4.浮遊霊の自我と願い

「……で、その子は結局なんなんだよ」


 神社を抜けて山を下り、市街地に入り始めたあたりで、駿は隣を歩く美紗希に問いかけた。


 美紗希の背中で丸くなっているゆうすけはとうに眠りこけているようで、すうすうと静かに寝息を立てている。


 今なら話しても大丈夫だろうと判断した駿の思惑通り、美紗希は彼の質問に答えた。


「この子も昨日お話しした浮遊霊です。ただ一つだけ違いがあるとすれば、自我を持った、いや、自我を取り戻した浮遊霊だということでしょうか」

「自我?」


 彼女の口からこぼれた単語を繰り返し、それに美紗希が頷き返す。


「多くの霊に自我はありません。ただ流れるままに浮遊し、多くは自分で天に還っていきます。ですが、この世に留まっていた霊が強い感情をトリガーにして、失っていた自我を取り戻すことがあるんです」


 例えば未練、例えば怨恨。


 作り話でよく聞くような理由が、美紗希の口からこぼれ出た。


 とはいえ、自我を取り戻す要因となった感情に囚われてさえいなければ、ゆうすけのように会話も成立するのだという。


 だが、それがどう危険なのかが駿には分からなかった。


 霊が自我を持つ。そして生きた人間と話が通じるようになる。


 そのことと、彼女が冷や汗をかきながら焦っていた理由が、駿の中で全く結びつかない。


「自我を持つ霊が、浮遊霊のままで居続けるとは限らないんです」


 そんな駿の内心を察した美紗希は、また彼に説明を加え始める。


「自我を持ったことで自分が死んだことに気付いた霊が、死んでしまったのならばと開き直ることもあるんです。誰かにとりつけば憑依霊に、悪意を持って行動に移せば悪霊や怨霊に、そして――」


 美紗希が言葉を区切る。


 息を吸って、吐いて、整えて、次の言葉を口にする。


「――生きている人に害を与え、人としてのタガが外れてしまえば、その霊は妖怪化します」


 美紗希のその言葉で、駿は今の状況をなんとなく把握した。


 風が吹いて儲かった桶屋のようなものだ。間接的な繋がりの連続が、最終的に妖怪化という最悪の事態を招きかねない。


 それを感づかれたくなかったから、美紗希はゆうすけの前でこの話をしたがらなかったのだ。


 駿はちらと、美紗希におぶわれているゆうすけの寝顔を見た。なんてことのない小さな少年の可愛らしい寝顔に、少しだけぞわりと背筋に冷たいものが走ったような気がした。


「つまり、その子が妖怪化一歩手前だからやばい、ってことか」


 美紗希の説明を掻い摘んで端的に言い表すと、こういうことになるのだろう。


 駿は確認もかねて、考えたことをそのまま口にする。


 だが、美紗希の口から返ってきたのは思ってもいない言葉だった。


「いえ、浮遊霊ならばこの世からの強制退去を命じることもできますし、ゆうすけ君はまだそこまで脅威にはなりえません」

「なんだよ。ならなんであんな不安そうにしてたんだよ」

「この子、死んだ時に両親とはぐれてしまったそうです」


 そうして美紗希は、今度はゆうすけと神社で話していたことを駿に伝え始めた。


 半月前にこの街で起きた電車の脱線事故。ゆうすけはその電車に両親と共に乗っており、そして事故に合ってしまった。


「おそらくご両親もこの子と一緒に亡くなったのでしょうが、その時生まれた浮遊霊はおおかた還してしまっているんです。なので、もしかしたらこの子のご両親。もう還しちゃっていて会わせることができないかもしれないんです」


 美紗希は冷や汗を浮かべながら、気まずそうに駿から目線を逸らしながら続ける。


 結果論だということも、今更どうしようもないことくらい二人とも分かっている。これを失敗というのは少々厳しすぎるというものだ。


 だから駿は、そのことについて別段彼女を責め立てる気はなかった。


「それって、そんなにやばいことなのか?」


 むしろ駿が気にしていたのは、もっと根本的なことだった。


「ちょっとかわいそうかもしれないけどさ、その子をあの世に還すために、わざわざその子の親に会わせる必要はないんだろ? だったらその子だけでもさっさと還しちまってもいいんじゃないのか?」


 ゆうすけを両親に会わせることと、彼を天に還すこと。美紗希の話をいくら頭の中で反芻しても、この二つがどうしても結びつかなかった。


 ならば、ゆうすけを天に還すこと。そちらを優先してしまってもいいのではないか?


「……それもそう、なんですけどね」


 そして駿の質問を、美紗希は少し寂しそうな顔であっさりと肯定した。


 だが、彼女の思いはそこで終わらない。


「でも、やっぱり、この子の、いや――」


 一呼吸入れて言葉を区切る。


 記憶を探るために閉じられた瞼が開き、まっすぐに行く先の道を睨みつけた。


「死んだ人達の最期の願いくらい、聴いてあげたいじゃないですか」


 美紗希は、言いかけた言葉の残り半分を、喉の奥から一気に押し出した。


 彼女の目から迷いは感じられない。


 理屈や効率をすっとばした、彼女の意志がそこにはあった。


「……そういうもんか」

「そういうものです」


 駿はそれ以上何も聞かなかった。なにせそういうものなのだから、聞いたところで大した意味はない。


「さて、この子はウチに連れ帰るとして……」


 ぽつりと呟いた美紗希の言葉に、駿は思わず固まった。


 おそるおそるといった様子で彼女の方を向き、声を震わせる。


「え、今連れ帰るって言った?」

「そうですけれど……?」

「浮遊霊を?」

「はい。私が借りているアパートはここから割と近いですし、一旦ウチで預かれば、明日すぐに両親を探しに行けますから」


 確かに彼女の言い分にも一理ある。


 何よりゆうすけに何かあった場合、その場ですぐに対処できる。


 え、でもそういうものなの?


 いくら仕事とはいえ、一人暮らしの女の子だ。そんな警戒もせずに他人を自宅に招き入れてもいいものなのか。


 しかも相手は、先ほどまでその危険性について話していた幽霊なのだから、余計に、だ。


「あ、よろしければ駿さんもウチに上がっていきますか? 私が今借りているアパート、ここからけっこう近いですし」

「いや帰る。帰ります。帰らせてください」


 一体何を考えてんだ。駿は心の中でそう毒づいて美紗希の提案を断った。


 そして、その返答を受けた美紗希は、どうしてか残念そうに眉をよせていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かみさまが捧げる神楽唄 くろゐつむぎ @kuroi_tsumugi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ