2.死神
石畳を踏みしめたスニーカーから、じゃりっと砂が擦れる音がする。
手足についた半透明の鈴が揺れて、しゃらりと音を立てる。
二人が初めて出会った時と同じように、美紗希は周囲に青い火の玉を揺蕩わせながら舞を舞い、駿はその様を見ていた。
ひとつだけ違う点があるとすれば、もう駿は木陰に隠れることなく、邪魔にならないよう距離を取りながらも、堂々と彼女の踊りを見ていることだろうか。
あの時と同じ幻想的な光景を目にしながら、駿は昨日のことをぼんやりと思い出していた。
「えっと、さっきまでのあれ、どこから見ちゃってましたか……?」
「悪い。最初から全部」
「ですよねえ……」
石段の端に座った駿の返答に、彼の反対側に座った美紗希は困ったように頬をかいた。
彼女は最初に警戒していたよりもずっと、駿に対して物腰柔らかで親しみやすく接してきていた。少なくとも、すぐに何かされるような気配はない。
軽い自己紹介を済ませ、二、三言葉を交わし、すっかり毒気を抜かれた駿は、自分から質問を美紗希にぶつけてみた。
「あのさ、あれ、俺が見て良かったものなのか?」
「見られて悪いことはたぶんないのですが……、まあ、大丈夫です」
「たぶんって」
「そうですね。ではその辺りは説明しておきましょうか。おそらく千代樵さんも気になっていることでしょうし」
美紗希が人差し指を立てながら言った。
そんな彼女の言葉に、駿は眉根を寄せた。申し訳なさそうにおずおずと右手をあげ、遠慮がちな声を出す。
「教えてくれるのはありがたいんだけど、その前に一つだけ。話の腰を折るようで悪いんだけど、俺のことを名字で呼ぶのはやめてくれないか? どうにも居心地が悪いっていうか、あんま慣れないっていうか……」
「そうなんですか?」
美紗希の言葉に駿が頷く。
それで美紗希も駿の意図を汲んだようで、「では駿さんで」とすんなりと呼び名を変えた。
そして、立てていた指を駿に向ける。
「では駿さん。まず最初にずばりお聴きしますが、あなたは幽霊やその類の存在を信じますか?」
「全く信じてない」
「まあ、そりゃそうですよね」
駿に向けた指が力なくしおれた。
とはいえここまでは彼女の中でも予定調和だったのだろう。またも困ったように笑った彼女は、すぐさま気を持ち直して少しだけ得意げに言った。
「ですが、霊感が弱い人には見えていないだけで、幽霊は実在しているんですよ」
「さっきの青い火の玉みたいなやつ、のことでいいんだよな?」
「はい。あれらは分類上浮遊霊に当たるものですね」
「浮遊霊」
美紗希の口から出てきた言葉を、駿がそのままオウム返しする。
なんとなくのイメージは浮かぶものの、浮遊霊が具体的にはどういうものかを説明するのは難しい。
「霊の区分や細かい説明は一旦省きますが、浮遊霊はその周辺を徘徊する霊のことで、基本的に人に害を及ぼすようなことはしません」
駿が言葉を選んでいるのを察して、美紗希が掻い摘んだ説明を始めた。
そして、彼女の基本的にはという言葉に駿が引っかかる。
美紗希もそれに気付いたらしい。浮遊霊の説明を、基本的の内容に寄せ始めた。
「死者の霊は普通ならば自然とあの世へ行ってしまうものなのですが、中には未練が残っていたり、自分が死んでしまったことに気づいていなかったり、還り方が分からなかったりして、この世に止まり続ける霊が出てきてしまうんです」
どうも美紗希は、人にものを説明するのをやや苦手としているらしかった。分かりにくい箇所があったり、言葉を選んで詰まったりと要領を得ない。
だからこそなのだろう。彼女は身振り手振りを交えつつ、なんとか駿に自分の話を理解してもらおうと必死になっていた。
「浮遊霊とはいえ霊は霊です。この世に止まり続けていいわけでもありません。例えばそうですね……、駿さんは以津真天という妖怪をご存知ですか?」
『いつまで』『妖怪』――検索。
どこかで聞いたことのあるような気がする名前を、スマホの画面に打ち込んで、慣れた手つきで検索ボタンをタップする。
表示された検索結果をななめ読みして、おおまかな概要を口にする。
「死体をほったらかしにしてると出てくる、デカい鳥の妖怪」
駿の言葉に美紗希はこくりと頷いて、さらに簡単に補足した。
「以津真天はいつまでも弔われない死者の怨霊が妖怪化したもの、といわれています。そして、これと同じような妖怪化現象は現代でも起きる可能性があります」
人が死ぬという事象が身近でなくなった現代で、弔われることなく放置される人は圧倒的に減った。だが、未然に防ぐ環境が整えられただけで、第二、第三の以津真天はいつ生まれてもおかしくはない。
そして妖怪は、人に害を及ぼす危険性がある。
「なので、幽霊達がこの世に留まりすぎないために、私達があの世――天に還しているんです」
すっと手を胸に置いて、彼女が自慢げに話を締めくくる。
ひどく荒唐無稽な、フィクションの世界のような話だった。
だが、その一部始終を見せられて、その光景に惹きつけられて、なにより彼女が真剣に語る姿を見て、今更疑うことなどできなかった。
「……なんか、神様みたいだな」
紛れもない本心が、気づけば感心とともに口から漏れ出ていた。
「神様は神様でも、どちらかといえば死神ですけどね」
そんな駿の言葉に、美紗希は笑って返した。
死神は、三途の川を手漕ぎの舟を使ってあの世へと渡していく。
一方彼女は、舞を通して霊達をあの世へと導いていく。
言われてみれば、確かに彼女は死神のようだった。
こんな綺麗な死神がいたのかとも思ったが、それは口に出すことはしなかった。
「おかえりなさい」
ふと聞こえてきた美紗希の声に、ぱっと駿は我に返る。どうやら彼が物思いにふけっている間に、美紗希は今日集まった魂達を天に還し終わったようだった。
「お疲れさん。今日もだいぶ還したみたいだな」
労いの言葉を口にしながら、駿は美紗希の元へと歩み寄っていく。
美紗希はカバンから引っ張り出したスポーツタオルで汗をぬぐい、用意していたペットボトルで水を飲む。魂を天に還すという行為はかなりの集中力を必要としているらしく、一仕事終えた彼女はいつもややぐったりとしていた。
「この辺りの魂を大方返し終わったら、仕事終了ってことで実家に帰るんだっけか。この調子じゃ、案外すぐ帰ったりしてな」
「そういうわけでも、なさそうですけどね」
駿は、美紗希の視線が自分ではなく、自分の後ろの方に注がれていることに気付いた。その目線を辿るように、駿も背後へと視線を向ける。
そこにはぽつんと一人、小さな男の子が立っていた。
特に変わったところのない一般的な子供服に身を包んだ、どこにでもいるような普通の子供だ。
こんな深夜に人気のない神社に、一人で来ること自体がそもそも異常だ。
そして何より、その少年は、先程美紗希が還した魂達と同じ、ぼんやりとした青い色の光をまとっていた。
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