かみさまが捧げる神楽唄

くろゐつむぎ

1.「おかえりなさい」

『深夜』『神社』『女の子』――検索。


 大学入学を機に新しく契約したスマートフォンのひび割れた画面に、検索結果がずらりと表示される。


 家出、不良少女、その他諸々。真っ白い背景に並んだ不穏な言葉達を横目で流し読みしながら、そうであった方がまだよかったかもなと、草葉の陰から隠れて様子を伺う千代樵駿ちこよりしゅんは自嘲気味に笑った。


 ピークこそ過ぎたものの、まだ蒸し暑さの残る晩夏の夜。都市部から離れた山中の、寂れた神社の境内の真ん中で、少女が一人、一心不乱に踊りを踊っていた。


 高校生か、あるいは大学生か。おそらく歳は駿とそう離れてはいなさそうだった。シャツにショートパンツ、スニーカーというラフな格好で、そこから覗く細い手足は、まるで陶器のように白く滑らかだ。


 肩甲骨の辺りまで伸びた白い髪は透き通り、踊りに合わせてさらりと揺れるたびに、夜闇に紛れて消えてしまいそうな細い線を描き出した。


 よほど集中しているのだろう。半分閉じられた瞼の奥で光る彼女の瞳は、現実のものではない、別の何かを写しているかのような深い黒を称えている。


 ここまでならば、人目のつかない場所でこっそりダンスの練習でもしているのだと、納得のいく理由の一つでも浮かんだかもしれない。


 だがここから、浮かんできそうな納得のいく理由をすべてぶち壊すような、不可解極まりない要素が加わっていくことになる。


 まず彼女は、ラフな格好の上から半透明の巫女服をまとっていた。下の服装が透けて見えるほどの巫女服は左前――いわゆる死に装束になっており、月明かりを吸い込んでほのかな淡い光を帯びている。


 ダンスというよりは伝統舞踊のような、ゆったりとした彼女の動きとともに、手にした扇子がまるで水中を泳ぐ魚のようにひらめき、手足についた鈴がしゃんと音を立てる。


 扇子も、鈴も、巫女服と同様半透明だ。そしてそのどれもが、輪郭を煙のように空気に溶かし込んでは、元の姿を形作ろうと寄り集まってを繰り返していた。


 そして極めつけが、彼女の周りをふわふわと浮遊する、拳大ほどの大きさの火の玉だ。それも一つや二つではない。何十もの火の玉が青い炎を燃やしながら、彼女の巫女装束を青く照らし出している。


 彼女が右手を伸ばし、前を薙ぐようにゆっくりと振ると、火の玉達もその指先の軌跡をなぞるかのようについていく。


 手にした扇子が起こした小さな小さな空気の揺らぎに煽られ、火の玉達はくらげのように空中で浮き沈みを繰り返す。


 遊んでいるような、じゃれあっているような、戯れのような彼女達の踊りの最中、火の玉のうちの一つが、彼女の方へと引き寄せられるように近づいていった。


 彼女は左手で火の玉を掬うと、顔の前に近づけてしばし見つめて、悲しんでいるような、慈しんでいるような曖昧な表情を浮かべた。


 その光景は、まさに幻想的と呼ぶにふさわしかった。

 美しいという意味合いでも。

 現実味がないという意味合いでも。


 やがて彼女の動きが一段とゆっくりとしたものになっていった。踊りが終わりに差し掛かっているのだろう。


 最後に彼女は指し示すように、右手を星空へと伸ばした。手にした扇子は煌めく砂粒のようにぱらぱらと崩れ、夜風に乗ってどこかへと消えていた。


 その彼女の腕に誘導されるように、火の玉達も次々と夜空へと昇っていく。打ち上げ花火のように、光の尾ひれを波打たせながら上へ上へと進んでいく火の玉達は、やがて星々に紛れてどれがどれだか分からなくなってしまった。


「おかえりなさい」


 火の玉達の最後の一つが見えなくなり、ぽつんと一人地上に取り残された彼女は、夜空を見上げたままぽつりとそう呟いた。


 その表情は、どことなく嬉しそうだった。


 しんと静まり返った境内の真ん中で、一人立ち尽くす少女が纏っていた半透明の衣装が、扇子と同じように光る粒子となって散り消えていく。


 霧が晴れるように粒子がどこかへと消えていった後に残ったのは、シャツにショートパンツを着てスニーカーを履く、なんてことのないただの少女だった。肩甲骨の辺りまで伸ばした白い髪はいつの間にか真っ黒に色づいており、ともすれば夜の暗がりに紛れてしまいそうだ。


 ふうとため息をついた彼女がふと顔を上げる。


 やや幼さの残る、ぱっちりとした黒い瞳が、その視線の先にいる駿を捉えた。


 同じく駿も、手の甲で頬の汗を拭いながら呼吸を整える彼女が、駿の存在に気がついたことに気がついた。


「あ」

「あ」


 期せずして、二人の口から同じ言葉が漏れ出た。


 その瞬間、駿の背筋がぞわりと粟立った。


 これがもしも事件の一部始終を目撃してしまったとかであれば、最悪の場合、口封じのために彼女が駿に襲いかかることも考えられただろう。


 だが今回ばかりは、駿は彼女が何をしていたのかの見当も、いいことなのか悪いことなのかの区別すらついていない。だからこそ、彼女の次の行動に予測がつかず、得体の知れない恐怖心がより一層彼にのしかかっていた。


 早くここから逃げるべきだ。


 今の光景が尋常でないことだけは理解できる。彼女の立ち位置は、ただの一般人が土足で踏み入ってはいけない領分であることは、考えるよりも先に肌で感じ取っている。


 そう頭で分かっていても、どうしてか足が地面に縫い付けられたかのように動かない。


 そうしている間にも、彼女はほんの少し驚いたような表情を見せてから、真っ直ぐに駿のいる方へと歩み寄ってきている。


 迷いなく進む彼女は、ほどなくして駿の目の前に立った。


 彼女が何を言おうか逡巡して、わずかに目を泳がせる。やがて言葉が見つかったのか、まっすぐに駿の顔を見つめた。


 駿はごくりと唾を飲み込んだ。


 そして彼女が、口を開く――。


「――こんばんは。いい夜ですね」


 これが彼女――神木美紗希かみきみさきとの出会いであり、その後数ヶ月に渡る駿と彼女との交友の始まりでもあった。

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