歳月

歳月

※この話には『恋心』の2人も登場します。



久しぶりに戻るから会えないか、と叶野かのう維花ゆいかの元同期である三坂みつさか藍理あいりから連絡が届いたのは、漸く冬の寒さが緩み始めた頃だった。


藍理は2年前、パートナーである高埜たかのなつきの転勤について行くことを決めて、送別会を4人でして以来顔を合わせてはいない。


昨年、維花が国仲くになか立夏りっかと海外で挙式を上げる際に、出席できないかと声を掛けたものの、体調が優れないので参列は難しいと返事は貰っていた。


ただでさえコンサルという多忙な仕事に就いている藍理に、無理はしないようにとだけ返していたが、人の言葉を素直に受け入れるタイプでないことは、維花自身がよく知っていた。


いつものように居酒屋を予約しておくと言った維花に、折角だから家を訪れたいと言ってきたのは藍理だった。立夏もそれには反対をしなかったので、休日の午後に自宅で会う約束をする。


「維花、お茶の用意はしたけど、アルコールも用意した方がいいかな? ビールくらいならあるけど」


キッチンに維花が立った所で、立夏が近づいてくる。


この家に来客は珍しいので、立夏は朝からそわそわしながら動き回っている。


立夏はきれい好きで普段からまめに掃除する方なので、このために追加で掃除はしなくていいよ、と維花が言ったのにも関わらず、あちこち気になったところを掃除し続けている。


「飲みたいなら、近所の居酒屋にでも行けばいいんじゃない? 藍理はザルだからお上品に酒を飲むタイプでもないしね」


「それは維花もじゃない」


大学を卒業して、まだ若手の頃は、藍理と2人で飲んで、終電を逃したことは何度もある。


「でも、藍理と飲んでいた頃に比べたら酒量は減ったよ。短時間で楽しむ飲み会はいいけど、だらだら飲む体力はもうないから」


そう言いながら維花は背後から立夏の腰に抱きついて、自らの体と立夏の背を重ねる。


「もうすぐ藍理さんとなつきさんが来るんだから、だめでしょ」


「触れていたいだけだからいいじゃない」


溜息を吐きながらも立夏は手を止めて、維花に背を預ける。


「今の内だけだからね」


「うん」





しばらくしてインターフォンが鳴って、維花が応答に向かう。


モニターにはマンションの入口で手を振っている藍理の姿が映されていて、簡単に挨拶だけしてからオートロックを解除する。


数分後に今度は部屋の前のインターフォンが鳴って、立夏と2人で玄関に向かった。


維花がドアを開けると、正面にいたのは先程ドアホン越しに見た藍理で、その後ろの人影はなつきだろう。


「久しぶり〜 維花、立夏ちゃん。維花はそろそろ立夏ちゃんに愛想つかされてるかもって思ったけど、まだ大丈夫だったみたいだね」


「まだ、じゃなくて、ずっと大丈夫よ、藍理」


維花と藍理にとっては、この会話は挨拶みたいなものだった。


「ご無沙汰しています。維花さん、立夏さん」


藍理の背後からなつきも顔を覗かせると、藍理は体を斜めにしてなつきに隣に並ぶことを促す。


仲の良さは相変わらずだと微笑ましく見ていた維花と立夏だったが、想定していないものがなつきの胸元にあることに気づく。


花藍かれんおいで」


藍理の言葉になつきが抱えていた存在は、藍理の手に移る。


「いいでしょう」


「いいって、どうしたの!?」


「ワタシが産んだ以外にある?」


藍理の抱いている幼子が藍理に良く似ていることから、藍理の言葉には信憑性はある。


とはいえ、


「立夏、幻覚かな……」


「私にも見えるから、多分違うんじゃないかな」


一歩後退した維花の背を立夏の手が支える。


何かは分かっても、藍理が産んだと言われた言葉は維花には全く入って来なかった。


「詳しい話は中でするから、まずは入れて。子供を抱いてるってほんと大変なの」


立夏は維花に先にリビングに戻るように促してから、藍理たちを部屋に招き入れる。


リビングのソファーは藍理たち3人に提供して、維花はその様を眺めるようにダイニングのイスに陣取った。


「今、1歳くらいですか?」


立夏は客人に紅茶を出してから、改めて藍理の子供について尋ねる。


今日は家に来たいと言って来た理由は、この子がいるからだったのだと納得が行く。


「10ヶ月に入った所。最近立ち始めて、危なっかしくって仕方ないのよね」


藍理の言葉は母親らしいものだったが、維花にも立夏にも馴染みのなさがある。


「名前は『かれん』ちゃん、でしたっけ?」


なつきの膝に座る幼児は、見知らぬ場所に興奮しているのか、あちこち指さしながら言葉にはなっていない声でなつきに話し掛けている。


「高埜花藍。flowerの花に、ワタシの藍の字を入れて、花藍。藍は『れん』とは読まないんだけど、どうしてもその字を入れたいってなつきが言ったから、無理矢理はめただけどね」


「高埜ってことは、なつきさんの子供になっているってことですか?」


「ワタシは生みの母親だけど、養子縁組して、なつきの養子になってるから、今の保護者はなつきね」


「その……なつきさんが子供が欲しかったなんですか? ……やっぱり、いいです。失礼ですね」


「いいよ。立夏ちゃん。なつきは子供は考えてなかったんじゃないかな。ワタシが言い出した時に、めちゃくちゃ反対したからね。ワタシが誰かの子供を産むなんて絶対嫌だって」


「それは言いますよ。私だって、維花がそんなこと言い出したら病院に連れて行きます」


「確かに。維花は入院した方がいいかもね。たまたま、なつきの転勤があって、ワタシは仕事を辞めることになった。そんな節目に、もし子供を望むなら最初で最後のチャンスだなって、ふと思っちゃったんだよね」


「じゃあ、藍理さんが望まれたんですね」


「そうだけど、立夏ちゃんが思っているのとは、少し違うかもね。ワタシは女性しか愛せないから、普通の人生なんて送ることはないだろうって、思春期の頃から思ってきた。でも、なつきがわたしのパートナーになってくれて、ワタシにだって普通の人みたいな人生を送れるんじゃないかって欲が出たんだ。だから、ワタシはなつきと一緒に子供を育てて行きたくて、花藍を産んだの」


「ただ、子供が欲しいじゃなくて、なつきさんと一緒に育てるが藍理さんにとっては大事だったってことですね」


「普通そうじゃない? 結婚して、子供を望むってことは」


「そうですね」


ただ、自分たちの子供ができることはない。そうなれば幾つかある手段のどれを選択するかになる。


「格好つけて言ってるけど、藍理、なつきちゃんをいっぱい泣かせたんでしょう?」


イスに座って足を組んだままの維花が、藍理の我が儘になつきを巻き込んだのだろうと呆れ声を出す。


「あの時のなつきは毎日泣きながら、ワタシを抱き締めて離さなかったかな」


「藍理、そういうこと言わなくていいの」


子供をあやしながら、なつきが口を挟んでくる。


なつきは表情を崩さないクールなイメージがあったが、今は子供を愛おしむ母親そのものに見える。


「それでよく産むになったわね。っていうか、年齢的に初産でよく産めたわね。あんなに体に悪い生活していたのに」


「なつきとパートナーになってから、煙草もやめたし、なつきが甲斐甲斐しく世話をしてくれるから、すっかり健康体になってたんじゃない?」


「全部なつきちゃんのお陰ってことじゃない」


「いいでしょ」


「わたしには立夏がいるから、羨ましくなんかないからね」


「ほんと、立夏ちゃんじゃないとマイペースな維花の面倒なんて見切れないわよね」


「強引すぎる藍理に言われたくないんだけど」


子供の喧嘩になりかけた維花と藍理の間に割って入ったのは、花藍だった。藍理の膝に手をついて、何かを話し掛けている。


「藍理さん、抱いてみてもいいですか?」


「意外と重いから気をつけてね」


立夏のリクエストに藍理が花藍を抱いたまま立ち上がって、手を広げた立夏の胸元に花藍を寄せる。


「立夏ちゃん、子供抱くの上手ね」


「兄の子供を抱いたことがあるので、その時に抱き方は教えてもらいました」


そう言いながらも、胸元にある幼子は自然と笑みを誘う。


「藍理さんにそっくりだから、美人さんになりますよね、きっと」


「なつきママは、それが今から心配だ、心配だって言ってるけどね」


「性格が藍理に似てるかどうか次第じゃない? 藍理に似てたら、どこに行っても大丈夫よ」


維花も立ち上がって、立夏の胸元にある存在を覗き込む。


「維花も子供欲しくなったんじゃない?」


にやにやしながら維花に尋ねてきた藍理に、維花より先に口を開いたのは立夏だった。


「維花は無理じゃないかな」


「どうして?」


考えるより先にパートナーから出された答えに、維花は理由を問う。


「子供に焼きもち妬いて拗ねるでしょう」


「有り得ないとは言えないけど、立夏の子供なら別かもしれないじゃない」


「その前の段階で絶対嫌だって泣くでしょ」


「維花、心狭いもんね。立夏ちゃんが自分を見てくれない、って拗ねてテントに籠もりそう」


「そんなことしないわよ」


「するんじゃないかな。でも、私はどう考えても維花との子供以外は産みたくないから」


「立夏〜」


維花が立夏に抱きつこうとするものの、子供を抱いているから駄目と目で拒否をされる。


同時に、それまで立夏の腕の中でじっとしていた花藍が暴れ始めて、落としてしまわないうちにと藍理の手元に戻す。


「立夏ちゃんは年齢的にもまだ少し考える時間はあるのに、もう決めちゃっていいの?」


「そうですけど、私は維花を独占しておきたいので、今のままが一番なんだって思ってます」


「立夏ちゃんがそう思ってるならいいか。人の幸せに決まった形があるわけじゃないしね」


「そうですね。私だって、将来、あの時の藍理さんの言葉に頷いておけばよかったってことがでてくるかもしれませんけどね」


「それはないから。わたしがさせない」


維花が背後から立夏を抱き締めると、腕の中の存在がもうっとあきれ笑いを出す。


「まあ、維花と立夏ちゃんはそれを選ぶかなって思ってた。人それぞれだよね」


「でも、花藍ちゃんは可愛くて羨ましいです」


「毎日毎日になると大変だよ? 夜は全然寝てくれないしね」


「そう言えば、藍理は今仕事はどうしてるの?」


「育休というより、引っ越してすぐ妊活始めたし、妊娠時期もなつきが絶対仕事は駄目って言って働きに行かせてくれなかったから、ずっと主婦」


「高齢出産の上に、切迫早産の危険性もあったんだから、当然でしょう」


「だから、去年誘った時に体調が悪いって返事だったんですね」


「そう。実は入院してたんだよね。子供産むって、こんなに大変なんだって身を以て知った十月十日だったわ。なつきがいてくれなかったら、絶対途中で音を上げてた」


「藍理は無茶ばかりするから」


「でも、なつきはそういうワタシが好きでしょう?」


なつきからの返事はないものの、崩れた表情でそれは肯定されたも同じだった。


「藍理さんとなつきさんで、子育てはどう分担されているんですか?」


見ている限り、花藍は藍理にもなつきにもどちらにも懐いてはいる。


「日中は今はワタシが仕事をしてないから、ワタシが見ていて、なつきは夜の担当」


「それって、なつきちゃんは休む間がないってことじゃないの?」


「大丈夫ですよ、維花さん。自分でやると言ったことなので。それに、仕事で疲れて帰ってきても、花藍に触れるとそんなの忘れちゃうんですよね」


「なつきさんって世話好きですしね」


「そうそう。なつき、めちゃくちゃ育児書とか、育児雑誌とかも読んでるの」


「いいでしょ。子育ては初めてなんだから……」


「なつきちゃん真面目だから。今10ヶ月ってことは、藍理はそろそろ仕事復帰考えてるの?」


「ワタシは考えてるけど、なつきが自分の稼ぎだけでもやっていけてるから、もうちょっとこのままを続けたいって言って、どうしようかなって思ってるところ」


「なつきちゃん格好いい」


「でしょ? 仕事もできて、子育ても協力的で、ワタシ一筋で、文句の付け所がないパートナーでしょ」


「そのなつきちゃんに頼りまくりの藍理が、胸張って言うことじゃないでしょ」


「藍理はもっと頼ってくれるくらいでいいと思ってます。何でも自分で決めちゃえる人なので、ワタシには背中しか見せてくれなかったりするので」


「わかる。わかる。藍理はそういうところあるよね」


維花も同意して、藍理に視線をやる。


「自覚はあるわよ。だから、2人で子供を育てることを選んだんだからね」


「だって、なつきちゃん。じゃあ、藍理にはもうしばらく子育てに専念してもらうでいいんじゃない?」


「そうします」


藍理は文句があり気な顔をしていたが、それでも言葉にしなかったのは、今の生活も悪くないと思っているからなのだろう。





日が傾き始める前に藍理たちはホテルに帰って行って、いつもの2人だけの空間になる。


「今日は、ほんとにびっくりしちゃった」


「藍理は昔っから何しでかすかわからなかったけど、まさかいきなり子供を産んで来るとは思わなかった」


「望んで、なんだからいいんじゃない?」


「そうだね。でも、藍理と子供って一番遠い位置にいる存在に見えていたから、そんなこと考えると思わなかった、かな」


「きっと、なつきさんが藍理さんを変えたんだよね」


「仕事に生きるみたいな藍理が、2年も仕事しなくても音を上げてないくらいだからね」


「でも、私は今の方がバランスがいい気がする」


「藍理、仕事はできてもそういうところは不器用だからね」


「大部分が器用にこなせても、できない部分が人にはあるのが当然じゃないの? 維花だってそうでしょう?」


「わたしはできないことは、立夏に甘えることにしてるから大丈夫」


胸を張って言った維花に、立夏が呆れ声を出す。


「知ってる。頼っていいって言ったけど、ありのまま全部投げてくるんだから」


「だって、立夏には全部見せられるからね」


「そういうこと言うのずるい」


「えーっ、本心だよ?」


「知ってる。普段は格好いいのに、甘えるのは上手いんだから、逃げられないでしょ」


「いいじゃない。折角だし、ベッド行こうか」


「折角じゃないでしょ、もうっ」


そうは言いながらも立夏は手を引く維花に従っていた。

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