第36話 二年生エース

「三年生の皆さんに話があります」


 赤頭は練習終わりのミーティングで唐突にそう言った。

 その言葉を聞いた他の二年生が激震したことは言うまでもないだろう。幻影であろうと、真実であろうと、嫌がらせに関与した全て人物から送られる好奇の視線は二年生を絶望の淵へと追いやった。

 「どうか違う内容であってくれ」と一心に願うが、それに続く言葉はやはり二年生に対する嫌がらせ行為を咎めるものだった。


 この正義感あふれる行為は時に被害者側を傷つける。

 人としては素晴らしい行い、道徳の授業なら百点である。しかしここは現実であり、勧善懲悪が全てではない。世の中は寓話と違いそんなに単純明快ではないのだ。悪は許さない。それだけがこの世の心理だと思っていた赤頭にとっては、これが他の二年生のためになることだと本気で思っていた。

 だがこの正義感こそが被害者にとって最大の敵であるのだ。無責任な良心はさらなる悪を誘発する。いまはまだ過度な命令に過ぎないが、これを機にいじめに発展することだってある。

 話を終えた赤頭は三年生からの報復があるのではないかと覚悟していた。

 だがその予想は見事に外れるのだった。


 事件はインターハイがかかった地区大会の決勝で起こった。

 補欠の二年生たちが赤頭のスパイクに細工をしたのだ。紐に切れ目を入れ、試合中に転ぶように仕向けた。そしてその最後の引き金は同じく二年生ながら試合に出場していた者によって引かれたのである。

 後半、五点差で負けていた海常臨高校にチャンスが到来した。ボールがエースである赤頭に渡たったのである。

 残り時間は僅か、ここでトライを決め、プレスキックを成功させれば、海常臨高校の逆転優勝が決定する。

 そして赤頭はその期待通り、敵陣まで光のようなスピードで突っ込んでいったのだ。

 爆走する軽トラほどの図体を止められる者などいなかった。タックルされようとそのスピードが落ちることなく、とんでもない勢いで敵陣を捉えた。

 そしてトライを決めようとした瞬間、敵チームに紛れた味方に足を引っかけられたのである。

 ここでトライを決めれば、赤頭は英雄になる。そうなれば学校のスポットライトは間違いなく、赤頭を照らすだろう。そうなれば花園大会までずっと赤頭の栄光の陰で三年生は苦い汁をすすらなければならない。

 赤頭本人が調子に乗らなくても、周りの反応は空気など読まない。新聞社は平気で〝二年生〟キャプテンや〝二年生〟なのに大活躍などと、三年生のプライドと傷つける報道をするだろう。そして中には「三年はなにをやっているのだ」と、心無いヤジを飛ばす輩だって出てくる。これは実力の世界であるからこそ、仕方のないことだ。だがそんな実力の差が、三年生をさらに腐らせる。


 二年生に裏切られた赤頭の体は大きく崩れた。ただそれだけならなんとか踏ん張ることが出来た。しかしその瞬間、スパイクの紐が切れ、完全にバランスを失ったのである。

 視界が反転し、先に見えていたゴールポストは消え去った。代わりに入ってきたのは燦々と照り付ける太陽光だった。

 宙を舞った赤頭の図体は制御を失い、そのまま腰をゴールポストに強打した。ボールは赤頭の手からこぼれ、フィールドを転々とする。


 ――ピーッ


 そこで試合終了のホイッスルが鳴ったのである。

 この瞬間、海常臨高校の敗戦が決定した。まだ花園がある。皆がそう思い、悔しながらも次なる目標への課題を考え始める中、倒れた赤頭の体は動かなかった。


「悔しいのは分かるけどよ、赤頭」


 そう言って近づいていった三年が顔色を変えた。


「監督! 赤頭が!!」


 倒れた赤頭は腰を抑えたまま、苦悶の表情を浮かべていた。赤頭の元に審判団や運営スタッフが駆け寄り、会場は一時騒然となった。

 その時、監督が見た腰は尋常ではないほど、腫れていたという。

 立つことさえできない赤頭はそのまま担架で運ばれることとなった。


 その後、救急搬送され、医者が言い放った言葉はもうラグビーはできないということだった。

 腰の怪我はスポーツ選手にとっては致命傷となる。それも骨盤に酷い骨折を負ったのである。リハビリをすれば、何とか走れるくらいまではいくが、もうスクラムを組むことは出来ない。タックルに耐えることは出来ない。赤頭のラグビー人生は助けた二年生によって幕を閉じたのである。


 後日、腰にコルセットを巻き、松葉杖を突きながら登校した赤頭からは沢山の生徒が目を背けた。もちろん主犯であるラグビー部の二年生は視界にすら入らないように姿を眩ませた。

 この時、赤頭は誰の仕業でこのような結末になったのか何となく気が付ていていた。だが理由だけはどうしても分からなかった。自分が叱咤した三年生がやったのなら、説明が付いただろう。だがなぜ二年生なのだ。

 正義感に真っすぐすぎる赤頭にはそれが分からず、考えた結果、誰も信じられなくなったのである。

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