第32話 覆水盆に返らず
翌日、雷伝は少し早めに部室に訪れた。自分の椅子に座り、足を組んで膝の上に手を置くと、そのままじっとしていた。
「早いですね、部長」
いつも通り岩寺と一風が入って来る。
「証拠を突きつけに行くであります」
一風がそう言って、ヘルメットを深くかぶり直した。
だが雷伝は座ったまま、動こうとしない。顔を見合わせる二人、異変に気が付いて問いかける。
「何かあったのですか」
「我らの使命は全うした。あとは果報を待つだけだ」
「どういうことでありますか」
「データはミミに渡した」
「な、なぜですか!」
「あの者が盗作の容疑を取り下げる。そしてあの者にはあの者のやるべきことがある。我らはそれを待つだけだ」
「裏切り者……か」
岩寺も一風も全てを納得した。ここは下手に動かず、じっと待つのが僥倖である。賽は投げられたのだ。あとはじっとこの我らがバンキシャ部で風紀委員が訪れるのを待つだけである。
同日、パソコン部。
ミミは一週間ぶりに訪れた。するといつも通り、鳥海千佳がやってくる。
「ミミ先輩! 今日でバンキシャ部もおしまいですね」
「そう、そのことで話があるんだけどちょっといいかな」
ミミは鳥海を連れて外に出た。パソコン室を出て廊下を歩くと、すぐに鳥海が足を止めた。
「もう分かっているんですよね、ミミ先輩」
「うん……」
ミミが問い詰める前に白状した。鳥海はずっとパソコン部を支えてきた副部長である。一方、ミミは部長ではあるがほとんど部活には来ない。
それでもミミには卓越した才能があり、誰もパソコンでは勝てなかったし、文才でも全校を凌駕する実力を持っていた。どんなに協調性が無かろうと、性格に何が在ろうと、ミミという存在は裏サイト運営には欠かせなかった。
努力せずに成功を収める人間、言ってしまえば天才である。さらにカリスマ性も併せ持っていた。そのため統率を取らなくても、勝手に人がついて来て、根回しなどせずに鶴の一声で盤上はひっくり返る。
鳥海もそのカリスマ性に魅せられて、ずっとミミの後をついて来た。二人は水魚の交わりのごとく一緒にいた。しかし鳥海にとってはミミが水であるが、ミミにとって鳥海は魚でしかない。
それに疲れてしまったのである。
「あたし嫉妬していました」
「なんでこんなことをした? なんて野暮なことは言わないよ。どうせあんたのその弱い気持ちに付け込まれたんでしょ」
やはりこの人には勝てない。全てを見透かされている。いずれ全てが白日の下にさらされることは覚悟していた。そしてこの一週間、死ぬほど後悔した。
「覆水盆に返らずよ」
「分かっています」
吐き出すように言った鳥海は大粒の涙を流した。人目をはばからず、まるで子供のように泣きじゃくった。
その姿を見たミミはポケットにあったUSBメモリーを強く握りしめる。
薄々気が付いていた。開示前の情報を知っている人間は限られる。状況証拠は充分にあったが、それを信じたくない自分もいた。鳥海ことを信じていたいという願望がこの一週間の原動力となっていたのだ。
だが嫌な予想ほど外れない。雷伝から貰ったデータにはコピー室からバンキシャ部の記事を盗み出す鳥海の姿を明白に映っていたのだ。
それでもミミは少し嬉しかった。こんな証拠を突きつけて白状させては本当にただの犯罪者ではないか。
「その涙に嘘はないんだね?」
「はい、すみませんでした」
鳥海は決して許されないことをやった。裏サイトの信用にかかわることをやってしまった。その愚行に至った経緯は年頃の少女が抱える悩みであり、誰しもが思う天才への嫉妬だった。
鳥海はいつだって明るく振舞い、ミミのことが大好きだった。だがいくら感情の上ではそう思っていても、深層に溜まる負の感情が浄化されることはない。「明るさ」や「愛嬌」で蓋をしたその鍋の底では沸々と煮えたぎった感情が沸騰していた。
蓋に僅かに綻びが生じれば、どうしたことのないきっかけで噴火してしまうのだ。
「裏サイトは閉鎖することになるわ」
「ミミ先輩……別にそこまでしなくても」
「この後、バンキシャ部の記事で裏サイトの情報流出が大きく報じられる。そうなれば信用は地に落ちてしまう……もうやっていけないのよ」
「そこはあたしがバンキシャ部に取り合って何とかします」
「ダメ。同じ暴露記事を書く者としてそれを止めることは許されない。相手を殺すときは殺される覚悟なければやってはいけない。バンキシャ部の記事に手を出したら今度こそ許さないよ」
「ミミ先輩……」
「千佳、今回のことで学ぶのね――」
ミミは窓の外と見つめながら言った。
「周りばかり気にして明るく振舞ってもいいことなんてない。人にはガス抜きが必要なのよ」
そう言うと、再び鳥海を顔をしっかりと見て言った。
「鳥海千佳、副部長の任を解くわ」
「はい……」
この決断は鳥海のためでもあった。副部長という重荷から解放する。それこそがミミの与えた救いだったのである。
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