第29話 データ

 ダウンロード画面が表示されてから、数分が経過した。


「流石に遅すぎないか」


「映像のデータはかなりの容量を食う、このくらいの時間がかかって当たり前だ」


「だがあまり時間は欠けられないであります」


 一風がそう言いながら、腕時計を見つめた。


「あと数十分もすれば警備員の巡回が始まるであります」


「そうか、それがあったのか……」


 深夜の一時に夜勤の警備員が一度、巡回するという情報を一風が入手していた。それまでになんとしてもここを出なければまずいことになる。


「いま十二時五十分ですので、あと十分であります」


「望月、ダウンロードはどうなっている?」


「まだあと少しかかりそうだ。だが十分もあれば充分、間に合う」


 その時である。昇降口が開く音が聞こえた。巡回まではまだ十分も時間がある。もう警備会社の人間に来たと言うのか。

 不運とは常道である。むしろ平運が幸運であり、幸運は奇跡なのである。そんなことをこの数か月の間に痛いほど学んだ。またしても予期せぬ災難に見舞われるのか。

 雷伝は奥歯を強く噛み締めた。


「この音……」


「警備会社が来ましたね」


「だよな」


 パソコン画面に注目するが、まだダウンロードは完了していない。


「望月……」


「あとちょっとだ」


 あと少しで証拠が手に入る。だがそんな事情を知らない警備員は懐中電灯を照らして普段通りの業務を全うする。

 足音は二階からこちらに近づいてきた。もう巡回はとっくに始まっていたのだ。それと同時に、廊下側の小窓からちらちらと明かりが揺れ動いているのが見えた。

 警備員は確実にこちらに近づいている。

 最初に巡回するのは職員室だろう。あと数十秒で扉が開けられる。


「もう無理だ、USBを抜くぞ」


 痺れを切らした望月がUSBをつまんで引っこ抜こうとした。この状態で抜けば、折角手に入れたデータまでもが水泡に帰す。


「待て」


 その腕を雷伝ががっしりと掴んだ。


「もう逃げないとまずいことになる。いまなら窓から外に出ればなんとかなるはずだ」


「ダメだ。ダウンロードを続けるんだ」


「何を言っている。見つかれば退学ものだぞ」


「それでもだ。岩寺の思いを無下にするつもりか」


「雷伝さん……」


「逃げるならそのUSBは置いて逃げろ。我は最後まで責任をもって完了させて見せる」


 すると望月もUSBから手を放した。そして大きな溜息をつき、少しはにかみながら言った。


「パソコンに足跡を残さずにシャットダウンできないでしょ。それに出入り口のピッキングだって、あんたにはできない。俺はもうバンキシャ部の仲間だ。おめおめと逃げ帰ったらこのキャップのRが廃れる」


「そんなRは廃れてしまえ」という言葉を唾棄し、望月の覚悟を飲み込んだ。

 その瞬間、警備員の手が扉にかかる。三人は息を飲むみ、じっとそちらを見つめて、腹をくくった。

 悔いはない。やるだけのことはやった。だがほんの少しの希望を言えば、もう一度いつものメンバーで部活をしたかった。

 雷伝は下唇を血が滲むほど強く噛み締める。


 無慈悲に開いた扉、しかし数センチだけ扉が開いたところで、ぴたりと止まった。

 何があったのだ。微かに見える警備員の帽子の鍔は廊下のほうに向いていた。そして小窓から見える懐中電灯の光線がゆっくりと階段のほうに向けられる。


「誰だお前は!!」


 警備員の怒号が聞こえると、止まっていた足音が走り去っていった。


「助かったのか……」


 三人は顔を見合わせる。高鳴った鼓動が少しずつ落ち着きを取り戻し、呼吸が楽になっていく。肩の荷が下り、机の角に手を突いた。


「全くこんなことばかりだな……」


 雷伝が唸るような声を出す。

 だらだらと流れた冷や汗が背中をぐっしょりと濡らしていた。時計を見ると一時丁度である。本来ならこの時間に警備が巡回するのだ。


 ――ガラガラガラ


 三人の安堵した表情が一気に強張った。総毛立ち、体が飛び上がった。

 まさか、先ほどのはただの生徒か!? これが本当の警備員なのか。

 三人の絶望に満ちた視線が扉に集まる。


「何泣きそうな顔してるんですか、俺ですよ」


「い、岩寺かぁ」


 そこに立っていたのは顔を腫らした岩寺だった。


「警備員はいまガーディアンを追いかけています。だから安心してください」


「脅かすなよ、岩寺」


「いやぁ、でもまさか三十分も早く巡回が始まるとは思いませんでしたよ」


 岩寺が腕時計を見ながら言った。


「三十分?」


「ええ、僕がガーディアンと交戦している時に、懐中電灯の光が見えて……」


 では先ほどの昇降口が開いた音は何だったのだろうか。この学校にもう一人誰かが潜んでいたのか、それとも本物の七不思議が……

 雷伝は不意に深夜の学校という独特の雰囲気を悪寒を感じるのだった。


「も、望月。そんなことよりダウンロードはどうした」


 話を戻し、良からぬ想像を誤魔化す。すると望月はデータが詰まったUSBメモリーを掲げながら言った。


「完璧だ」


「任務完了だな」


 雷伝はそう言って、大きくガッツボーズを決めた。



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