27.腹踊り。
「アリス——」
吐息の主はメイアイラだった。アリスは見た目以上に豊かなメイアイラの胸の感触を背中で受け止めながら、困惑気味に聞いた。
「メイア——?」
自分でも驚くくらい、ベタな文言が出た。
「酔ってるの?」
その言葉にメイアイラはくすくすと笑った。
「酔ってるよ?」
くすくす笑いながらメイアイラは、アリスの横に回ると、今度は肩に手を回して抱き寄せてくる。
「えっ、ちょっ、メイア!?」
体格の良い美女が、見た目だけは繊細な美少女を抱き寄せている図式になった。
「どうだい、私の体はしっかりしているだろう」
「——うん」
抱き寄せられる元おっさんは複雑な心境である。
「メイア、君に嫌われたくないから、言っておくけど——」
「ん? 何だい?」
「俺、数日前までおっさんだったんだ」
「へえーっ」
「モグラザカ博士って知ってる」
「ああ、有名な博士だね」
「そのドワーフの開発した機械で、別の世界から転生してきたんだ。そのときの影響で、おっさんの体から、こんな美少女になった」
「あはは!」
「そうだよな、笑っちゃうよな」
「自分で美少女って!」
「そこかい!」
アリスは何だか恥ずかしくなって顔を赤くして、メイアイラはケラケラと笑った。
「アリス?」
メイアイラはより強くアリスを抱き寄せる。二人の顔が近づいた。
「私が今日出会って気に入ったアリスに変わりはないさ。昨日までのお前より大事なのは今のお前だ、そうだろう。今は美少女のアリス、それで良いじゃないか!」
わはは! と笑いながら、メイアイラはアリスを軽々とお姫様抱っこして立ち上がる。
「えっ? えっ!?」
困惑するアリスは、そのまま拉致られた。
「えーっ!?」
メイアイラの部屋に運び込まれ、ベッドに降ろされる。
言いようのないメイアイラの色気と圧に、思わずアリスはベッドの隅に身を引いた。そのアリスについてくるメイアイラ。ついにはアリスは壁に追いやられ、メイアイラの腕が、アリスを逃がすまいと壁に突き立てられた。
現在、元おっさんが美女から壁ドンを食らっています。
視線が泳ぐアリス。近づくメイアイラ。
「可愛いよ、アリス——」
ぎりぎりまでアリスに近づいたそこで、急にバッタリとメイアイラは倒れ込む。
何が何だか分からないアリス。
恐る恐るメイアイラの口元に耳を寄せると、これはあれだ、寝息でしかない、といった音が聞こえる。
酒癖わるっ!!
ごーごーいびきをかき始めたメイアイラに布団を掛け、何だかいろいろ期待しちゃったようなそうでないような複雑な気持ちのまま、何なら少し不愉快な顔で、部屋を後にするアリスであった。
「寝たか?」
「寝ただろう」
何となく気持ちの納まりの悪いアリスは、再び酒場に戻って来た。戻るやいなや、カウンターに腰掛けたニッチとサッチからアリスはそう言われた。先程、相当酔ってるだろうと思われた二人は、酔いがさめたのか、それともさほど酔ってもいなかったのか、けろっとしていた。
「寝たよ」
若干不機嫌な顔でアリスは、二人に言った。
「知ってたのか?」
「まあな」
「大体、彼女に拉致られたウエイトレスはそういう顔をするな」
「ちっ」
舌打ちするアリス。ふと見れば、向こうの席で腹踊りをしている奴がいる。
すげえな、腹に顔まで描いて。本格的だ。
少し可笑しくなって、アリスは気を緩めた。言いようのないイライラは、軽いため息と共にはき出した。
そうださっき、外に置いてきちゃったジョッキを片付けなくちゃ。
アリスが外を見ると、もうそこにはジョッキは置かれていなかった。
誰か片付けてくれたんだな、ありがたい。
「すいません、レモネードソーダください」
カウンターで注文する。アリスはニッチの隣に座って、レモネードソーダを待った。
「悪かった。つい、面白がって黙っててしまった」
「良いけどさ」
良いとは言っているが、アリスは口を少し尖らせて拗ねる。酔っぱらった40近いおっさんならば醜悪だが、美少女がやると可愛い。
「あいつ、酔っぱらうと見境なく女の子を口説くんだ」
ちょっと遠目にカウンターに置かれたレモネードソーダをつまむように軽々と持ったサッチが、アリスに手渡しながら言う。
酔っぱらうと見境なく女の子を口説くに関しては、アリスはおっさん時代を顧みると、全く心当たりがない訳でもなかった。酒が入ると、そんな気持ちになったことはある。だが、明日からの職場での人間関係を考えると、とてもじゃないが出来ることではなかった。
「まあ、全く分からなくもないよ」
「悪い奴じゃないんだ」
「ただ酒癖が悪いだけで」
「分かってるよ」と答えてアリスはレモネードソーダを飲む。
ああ、やっぱりこのほのかな苦みと柑橘っぽさと炭酸のちくちくが最高だ。
「あれから三ヶ月か?」
「そうだな、あれから三ヶ月だ」
不意に真顔で語りだしたニッチに、アリスは黙ってその話を聞いた。
「メイアには俺たち以外にも相棒がいた。名は、ロドリゲス。メイアが今日乗っていたモーターマシン『グッガ・ダンパ』の本来の持ち主だ。あいつは良いやつだった」
「ああ、良いやつだった」
ごくりと、アリスはレモネードソーダを飲み込んだ。
「良いやつだったが、正義感も強いやつだった。曲がったことを見過ごせない男だった」
「だからあんなことが起きてしまった」
「あの日、狩りの帰り道、俺たちはブラックヘヴラーから魔物の素材を巻き上げられている冒険者たちと鉢合わせた。正義感の強いロドリゲスは、すぐさま怒りと共にブラックヘヴラーに立ち向かった。それはもう、怒りの形相だった。だがロドリゲスはここでミスを犯した。あまりの怒りに我を忘れて、ブラックヘヴラーのモーターマシンに生身で挑んでしまった」
「挑んでしまった」
うんうんと、アリスは頷きながら聞く。
「結果は惨敗だった。敵も味方も引くくらいに。そのときの傷が原因で——」
「あいつは——」
おいおいと泣き始める二人を、アリスは背中をさすったりしてなだめる。
「そんなことがあったのか。許せねえな、ブラックヘヴラーの奴ら」
「だから、メイアには優しくしてやってくれ。お前の瞳、どこか何となく若干、ロドリゲスの奴を思い出させる」
「ああ、目の中に瞳があるとこなんかそっくりだ」
おいおい泣く二人を見ながら、アリスは決意も新たに真顔で言った。
「任せろ! メイアのこともブラックヘヴラーのことも、俺が何とかしてやる」
しっかりと意思表明をするアリスに、ニッチとサッチは「ありがとう、ありがとう」と大きな体を縮めて、アリスの手を握りながら言った。
ひとしきりニッチとサッチがアリスに感謝して落ち着き、アリスは使命感のこもった表情で、ふんす! と息をはいて椅子に座る。力強くレモネードソーダのジョッキを片手で持とうとしたが持ちきれず、両手で持った。
「ところで、ブレーメンの奴はどこに行った?」
言いながらアリスはレモネードソーダを飲む。ニッチとサッチは少し驚いた顔をしてから、向こうを指差した。
「ずっといるぞ」
「あそこにいるぞ」
艶めかしい。最早、艶めかしいと言っても遜色がないほどの滑らかな動き。腹に描かれた目と鼻はまるで表情豊かに動いているかのようにさえ見え、ヘソからは息づかいすら感じられた。
腹踊りを踊るブレーメンの姿に、アリスは盛大にレモネードソーダを噴き出した。
かさかさと奇怪な足音で素早く、噴き出したレモネードソーダを浴びに来る腹踊り。その行動と、頭を覆っているスーツの柄で、アリスはその物体がブレーメンだと確信した。
興奮しているかのように、腹が蠢く。
アリスは思い切り、その腹を蹴りつけた。
おぶっ! と声が上がったものの、喜んでいるように見える腹の動きに、アリスは「めんどくせえな」と苛立ちを隠さず言い捨てた。
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