19.宵闇の力、灼熱の力。

 軽く意識が飛んだ。


 ヴァルディスカイから発せられたとんでもない魔法の余波を食らったアリスは、全身を回復スキルの魔法文字がくるくる回っているのを感じながら、ゆっくり起き上がる。


 生きてる。


 直撃を食らったアンセルマは、無事じゃ済まないだろう。


 もう、それで良いんじゃないか。


 大変雑なことをアリスは考える。


 あ。


 アリスは見た。夜の闇のような青の、巨大な虎。モーターマシンだった。虎の頭の上に立つ、ジャック・ノワール。


 ああ、全然無傷みたいだ。

 何だ、痛い思いをしたのは俺だけか!


 ジャックはけろっとした顔で「ふはは!」と笑う。


「まさか生身相手にモーターマシンで攻撃とはな! 私の眷属の展開が遅かったら、危なかったぞ!」


 ドロシーはジャックの笑い顔に「ちっ」と舌打ちした後、「死ねば良かったのに」と薄暗い表情で呟く。


 何だか俺、女性恐怖症になりそう。

 だがそれでも、男は恋愛対象にはならないが。


 俺は、女だった男を見上げる。


 私は、男だった女を見下ろす。


 ジャックは言った。


「ならば、遊んであげようか。来い。『ゼアルディーガ』」


 夜のとばりが舞い降りたような、梟型のモーターマシンが飛来する。

 夜の泉が湧き出るような、犀型のモーターマシンが車を引いて地面から溢れ出る。

 虎と、梟と、犀は、形を変え、連結し、夜の闇の青は混ざる。

 そうして完成した青いモーターマシンに、アリスは強い恐怖を感じた。

 大きさと形はほぼ同じ。要所の禍々しいデザインが違うことを除けば、それはヴァルディーガであった。


 何だこいつは。


 昨日見たマッターンなどとは比較にならない強烈な重圧がアリスを襲う。


 息苦しい。


 その重圧にアリスは、どうしようもなく恐怖を感じた。


 肌がひりつく。喉が渇く。


 だが恐怖は、アリスの心の中にある小さな火を刺激した。刺激された火は、炎となって燃え上がる。


 俺の心に火をつけろ。


 燃え上がる、アリスの中の炎。それは、勇気という名前の炎だった。

 勇気は、アリスの魔力を開放する。


「モーターマシン、ヴァルディーガ!」


 アリスは召還する。ヴァルディレオンではなく、ヴァルディーガを直接。光の魔法陣が地面に描かれ、その中にヴァルディスカイは沈み込んで行く。ヴァルディスカイが沈んで行った後、代わりの魔法陣に現れたのは掌。掌は大地を起点にするとその本体を魔法陣の中から飛び出させた。


 桜吹雪を引き連れながら、空に大きく舞うその機体。ヴァルディーガは空中で一回転すると、桜吹雪と共に大地に降り立った。


 召喚された黒き巨人に、ドロシーは衝撃を受けた。


 個々のヴァルディマシンを召還するだけでも相当な魔力が必要なのに、ヴァルディーガを召還したなんて。いったいどれだけの魔力を秘めているの、この子は。でも、いけない。ゼアルディーガの波動に感化されて、明らかに普通じゃない状態に陥っている!


 ドロシーが見たアリスは、強烈な魔力の波動がまるで炎のように、灼熱のようにその身を包んで見えた。

 アリスに声を掛けようとしたとき、ドロシーは急に転移させられた。そこは、ヴァルディスカイのコックピットだ。同じように急に転移させられたのか、ヴァルディランナーのコックピットでは、どんぶりからうどんを啜るブレーメンが、何事かときょろきょろ周りを見渡している。


「何!? どうしたの!?」


 慌てるブレーメンに、ドロシーは答えた。


「大変。アリスが私たちの手に負えない状態になってるわ」





 恐怖を駆逐する勇気。その衝動に心を突き動かされているアリスは、心地良くすらある感覚に包まれていた。

 コックピットの中、アリスは普段ならばブルーサファイヤのその瞳を、ルビーレッドに輝かせていた。

 ゼアルディーガに感じた恐怖はもうない。

 あるのは胸の奥に熱い、勇気の炎だけ。

 自分の中からこんこんと湧き出る魔力の波動は、アリスにとってとても心地良いものだった。


 何でも出来るような気がする。


「アリス落ち着いて。あなたは魔力を制御できない状態に陥ってるわ」


 何言ってるんだドロシーさん。俺はいたって落ち着いてるぞ。


 ドロシーはモニター越しにアリスを見る。その目が赤い。


 こんな簡単に、こんな短時間で魔力の暴走を引き起こすとは。ゼアルディーガの波動は、アリスにとって強すぎた。


 焦るドロシーにも聞こえる声で、ゼアルディーガからジャックはアリスに語り掛ける。


「栄太郎——」


 その声には怒気はない。


「私と再会できたことが、嬉しくはないのか?」


 ジャックの言葉に、アリスの心は反応した。


「嬉しい——?」


 とたん、アリスの中に溢れだす、二人の思い出。思い出の中の二人は笑顔で、手を繋いでいて、笑っていて。


 長い黒髪のエキゾチックな美女は、俺なんかとは到底不釣り合いなくらい美人なその人は、俺に笑いかけていて。


「アンセルマ——」


 昔を思い出し、優しい声になるアリスに、アリスには見えないコックピットの中で、ジャックはニヤリと邪悪にすら感じる笑みを浮かべた。そして優しい声で言う。


「栄太郎、さあ栄太郎、私と行こう?楽しかったあの日々を、取り戻そう?」


「ダメだ!」


 アリスは強く断った。


「ドロシーさん!ブレーメン!」


 アリスの声に、ドロシーは焦りを感じたままの表情で、ブレーメンはどんぶりからうどんを啜りながら、答えるべくモニターに正面を向いた。アリスは聞く。


「こいつが所属している組織は、『悪』なんだな?」


 真剣なアリスに対して、ドロシーは真剣に答える。


「そうよ。ブラックヘヴラーのやっていることは、『悪』と呼べることよ」

「そうか、ならば——」


 アリスがすっと、ジャックに向かって人差し指を突き付ける。その動きに連動して、ヴァルディーガはゼアルディーガに指を突き付けた。


「俺はお前とは行かない!ジャック・ノワール!」


 ヴァルディーガから激しく立ち上る魔力の波動に、ジャックは興奮した。


 そうだ!良いぞ栄太郎!どうせならば、どうせ戦うならば、死力を尽くしてぶつかり合おう。何もかも焼き尽くして、溶け合うくらいに!!さあ!その力を見せてくれ!


 アリスの心の炎が燃え、高まるほどに、その魔力は上昇して行く。

 魔力は灼熱と化し、ヴァルディーガの中を駆け巡る。魔力を伴った水が、電気が、炎に置き換わり狂ったようにヴァルディーガの中を走り、各所のダクトから炎が噴き出す。


 炎神えんしんヴァルディーガ。


 その力は、まだアリスが手にするべきものではない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る