18.子供のケンカin異世界。
アリスが震える声で呟くその名前に、ジャックは恍惚とした笑みを浮かべた。
「ああ——。その名前で呼んでくれるのだね、栄太郎」
アンセルマ・バンテラス。その異国の美しい女の名を知ってから、今日まで、俺は忘れたことはない。
アリスはジャックに向けた眼差しを、懐かしむような優しいまなざしから一転、鋭い視線に切り替える。
五年前、俺を振った女。そしてその後、死んだ女。目の前のジャックという男は、分かってみればなるほど、アンセルマの雰囲気そのままだ。
だとしたら、ヤバい。
アリスはジャックに魔銃を向けると、引き金を引いた。引く直前、光れと念じる。素早い行動にジャックは、怒りを見せる間もなく閃光に包まれた。
閃光の中アリスは、強化された素早さで走りながら、エンチャント・ストレングスを唱える。そしてドロシーをお姫様だっこすると、閃光が消えるよりも早く森の中へ姿を隠した。
閃光が消える。
瞳に焼き付いた光を払うように、ジャックは首を振った。まだ視界は回復しないが、もうアリスとドロシーがここにいないことは気配で分かった。
「なんだ栄太郎。かくれんぼかい? 子供じみたことをするね」
ニヤリと笑う。
ジャックは栄太郎にアンセルマと呼ばれたことが嬉しかった。心が震えた。
今はそれが、全てだった。
「どうしてあんな女を転生させた?」
ジャックからだいぶ距離を取ったところで、アリスがドロシーに向かって言った。ドロシーはまだ閃光が焼き付いた両目を瞬きしながら、アリスに強く抱きつきながら答えた。
「博士の、一回目の転生実験のときは、転生元の人物の素性までは調べられなかったのよ。だから二回目、君の場合は、その大体の人物像までは把握出来るようにしたの」
俺は二つのことを理解した。俺は二人目だってことと、あのジャックとかいう男が、転生第一号の俺の元カノだってことだ。
そしてどうやら、ドロシーさんもあいつがやばいってことは分かってるようだ。こっちの世界で何やらかしたんだろう。
考えるだけで恐ろしい。
さっき見ていただけで、何やらとんでもない力も有してるのが分かった。
「あんたたちは、最も力を持たせちゃいけない者の一人に、力を持たせたんだ」
性格、高慢にして自分勝手。思い通りにならないとすぐ怒る。しかもサバイバルゲームで、俺を含む36人もの人数を相手に、二丁の拳銃だけで全滅させる異様な戦闘力。そしてわがまま。理不尽。良く付き合ってたな俺。
「一回目のときはどんな人が転生してくるか分からなかったんだもの。まさか、
軽くすねながら強く抱きついてくるドロシーさんの豊かな胸が、あんまり豊かではない俺の胸に押し付けられる。
こんなときだってのに、おっさんはそれに気を取られた。
てゆーか、デミゴッド!?
ヤバい響きでしかないんですけど。
「栄太郎! こんなときに女といちゃついてるとは、良い身分だな!」
はい。そのヤバいやつに速攻見つかった。
「離れろ! この浮気者め!」
相変わらずの、ヤキモチ。俺は少しうんざりしながら、力の入れ具合に注意してドロシーさんを離した。
「浮気者って、もう恋人同士じゃないだろう?お前から俺を振ったんだ」
「それはその——、あのときはだって——」
意外と正論に弱い。
こんなことなければ、花見がしたい桜吹雪の中、元おっさんの美少女と、元カノだった美青年が対峙する。
カオスだ。
「俺は忘れていない。あのときお前は出ていった」
「仕方ないだろう! それに、ことの発端はお前だ、栄太郎!」
ややこしい事情をその身に宿した元恋人同士の二人は、向かいあう。更なる会話の発展を期待して、ドロシーの喉はごくりと鳴った。
「アンセルマ、お前は出ていったんだ。俺をあの部屋に残して」
「二人の住処から出ていくのは私だって辛かった。でも、あのときは頭に来ていて——」
「俺たちはもう終わったんだ」
アリスは、美少女の姿で悲しい目をした。
「私はまだ、お前を想っている、栄太郎」
ジャックは、美青年の姿で胸の痛みをこらえた。
「残念だが、俺はお前の想いに答えられない」
「そんなことはない。まだ私たちはやり直せるぞ!」
「終わったんだ」
「終わっていない!」
アリスは真剣な眼差しでジャックを見上げる。ジャックは悲痛な眼差しで、アリスを見下ろした。
眉間に力の入るアリスが、一度目を閉じ息を深く吸い、そして再び開いて息を深く吐いた。
「自分のプリンを食べられたからって、散々暴れた挙句、荷物を一式撤去して、俺に別れを告げて出ていくような奴とは付き合いきれん。しかもあれは何度目だ?」
「あれは私が、風呂上がりの楽しみに取っておいたものなのだぞ! それをお前は! ああ、思い出したらまた腹が立って来た!」
髪を逆立てる勢いで怒り始めるジャックを見ながら、ドロシーは思う。
まあ、恋人同士のことなんて、くっだらないことか、浮気よね。
つまらなそうな顔をした。
「プリンのことは許さんぞ! 栄太郎!」
ジャックは素早く魔銃を構えると、撃った。
不意を突かれたアリスは、頭部にまともに二発の銃弾を食らう。エンチャント・ディフェンスの効果で、銃弾は弾かれゴンゴンと音を立てたが、その威力にアリスはのけ反り、ひっくり返った。
「ははは! 無様だな栄太郎!」
笑うジャックに、アリスは完全に頭に来た。
どうせチートじみた種族なんだ、当てても死なんだろう。
頭に来たアリスは、魔銃を撃った。空薬莢が、ぽーんと飛んだ。
「なっ!?」
魔法陣のような防御障壁に弾かれたが、ジャックは大きくのけ反る。
「私をアンセルマだと分かって撃ったな栄太郎!」
「うるせえ」土埃を払うアリス。「お前だって容赦なく撃って来ただろう」
「女に手を上げるとは!」
「女は俺だ!」
不毛なやり取りと飛び交う銃弾。
ドロシーはその光景にため息をついた。
「もう、良い加減にしなさい! 子供じゃあるまいし!」
銃弾の応酬どころか、髪の毛の引っ張り合いに発展したみっともない光景に、ドロシーはついに痺れを切らす。
「良い大人が、五年前のプリンで大喧嘩じゃないでしょう!」
その言葉に、「何だと」とジャックは不機嫌そうな声を漏らす。
いかん。
そう感じたアリスが、至近距離で魔銃をぶっ放してジャックの気を引こうかと思ったときだった。
「黙れ行き遅れ」
ジャックが発したのは、物理ではなく精神攻撃のほうだった。その単語一つで、ドロシーの顔は見る見る怒りに赤くなる。ジャックは満足そうにニヤリと笑って続けた。
「大方、早速栄太郎に惚れたりでもしているんだろう? 行かず後家。今年でいくつだ? もう70は超えたか? 人間ならババア、長寿のコポムナー族だって、適齢期ぎりぎりの特売品だ。焦ってるんだろう? 相変わらず」
最悪だ。最悪の攻撃だ。
アリスは内容を聞いて良いのか聞こえないふりをするべきか、破裂しそうに赤いドロシーとケラケラ笑うジャックをおろおろと交互に見る。
「うわーっ!!」
爆発したのはドロシーだった。
「モーターマシン、ヴァルディスカイ!」
空気の層が魔法陣を描く。その中から風を纏い現れたのは、鷹型のモーターマシン、ヴァルディスカイであった。
「殺れ」
情の一つも感じられないドロシーの言葉に反応し、ヴァルディスカイは羽ばたくと、見るからに鋭利そうな風が稲妻を伴って、ジャックを襲う。
近くにいた俺はもちろん、盛大に吹き飛ばされた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます