17.再会。

 カフェのオープンテラスを風が渡る。渡る風に混じって、桜の花びらが舞う。


 アリスは街の風景を見た。


 街を歩く、たくさんの人影。その中に、スーツ姿のゴブリンやオーガを見つけると、異世界なんだなって実感が強く沸く。人か、もしくはコポムナー族の女の子が二人。中学生くらいだろうか、楽しそうにおしゃべりしている。また、さっき見たドワーフの三人組が巨乳エルフの美女に声をかけている。あ、断られた。

 今日見た、服飾関係のブランドショップが並ぶ通りのほかにも、いろんな通りがあるんだろうな。きっと、俺が好きなロボットものの玩具を取り扱う店なんかも。この世界では、どんなロボットが流行っているのだろう。


 アリスは、少し現実逃避した。

 ドロシーの質問に答えるためには、そんな行動が必要だった。


「好きな人は、いたよ」


 大分間を開けて、アリスは答えた。ドロシーはアリスの、明るいとは言い難い表情に、言葉に詰まる。アリスは続けた。


「でも、振られたんだ。もう、五年になる。俺の人生で出来たたった一人だけの彼女。そんな彼女に、俺は振られた」

「——そうだったの。その人のことは、まだ?」


 気持ちがあるの? そんな意味で、ドロシーは聞いた。


「もうふっきれたよ。それに——」

「それに?」

「その人はもう、死んでしまったからね」


 アイスクリームと混ざった、クリームがかった緑色のソーダの中を、炭酸の粒が浮かんで行く。氷が、からんと鳴った。


「ごめんなさいね。そんなこと聞いちゃって」

「ううん、気にしないで。もう終わったことだよ。それより、また今度、街を案内してくれるかな?」

「もちろん! そのときは今日買った服を来て来ましょう」


 ドロシーの提案に、アリスはにっこりと笑った。





「思ったより時間かかっちゃったわね」


 ドロシーの運転で研究所に向かう車の中、彼女は言った。アリスはガラス越しに流れる、桜のトンネルを眺めていたが、ドロシーのほうを向いて答えた。


「今日はありがとう。何だか、とっても楽しかった」


 バックミラーに映るアリスの笑顔と、その言葉に、ドロシーは喜んだ。


「また行きましょう。今度は、遊園地とか水族館も良いわね」


 遊園地、水族館、そんなものまであるのかこの世界は。この世界の絶叫マシーンとか、この世界独自の魚とか、けっこう興味あるぞ、俺。


 そんなわくわくに、アリスが浸ったそのときだった。

 響く、鋭い、路面とタイヤのこすれる音。

 音の主は、ドロシーの運転する車のタイヤだ。


 原因は、桜の並木の中から現れた。夜の闇のようなスーツを着た長身の男。それは、大きな歩幅で、いかにも堂々と車道の真ん中に歩いて来たのだ。


 急ブレーキに、がくんと揺れる車内。少し、怒ったような表情で、男を見たドロシーは、そのエキゾチックな美しい顔の長髪の男を認識すると、全身を強張らせた。


「ジャック・ノワール!」


 アリスはドロシーの態度と口調に、自分の中にも緊張が走るのを感じた。


「何だ、昨日聞いた気がする」


 そうだ、トレスとかいう偽ブレーメンが発した名前だ。


「奴は、ブラックヘヴラーの大幹部よ。四天王の一人、ジャック・ノワール!」


 俺は男の顔を見つめた。そしてその瞳と口元に宿る、微かな狂気に、身震いした。


「逃げて」

「えっ?」


 ドロシーさんの発言の意味が分からず、俺は声を漏らす。だが、彼女は答えることなく、車のドアを開け、外に出て行く。


「よくもおめおめと私の前に姿を現せたわね、ジャック!」


 言われてジャックは、ドロシーを見下すように笑った。


「ごきげんよう、ドロシーさん。今日は残念ながら、君に会いに来た訳では無いんだ」

「アリスが目的なの?」

「アリス! そうか、そういう名前にしたのか。栄太郎らしいな」


 ジャックの言葉には聞く耳も持たず、ドロシーは魔法の杖を構える。


「風よ切り裂け! ゲイル・トゥ・テア!」


 大気が揺れた。桜の花びらが散る。ドロシーが生み出した鋭利な風の刃は、桜の花びらを纏いながら、ジャックに高速で襲い掛かった。

 大木をも切り倒すほどの風の刃が、ジャックを襲う。笑みを浮かべ、躱そうともしないジャック。風の刃は、完全にジャックを捉えたかに見えた。


 ジャキンと、何か硬質なもの同士が激しくぶつかる音。


 舞う桜の花びらの向こうでジャックは、全くの無傷で立っていた。

 ジャックの前に立ちはだかる、魔法文字の円形魔法陣。障壁となった魔法陣が、ドロシーの魔法を対消滅させたのは、アリスから見ても分かった。


「無駄だ」

 ジャックは言う。


 嫌な緊張感。

 次の手を出せずにいるドロシー。


 強い。


 ジャックという者の強さが、アリスにもぴりぴりと静電気のように伝わった。この世界に来て間もないアリスが、魔法のぶつかり合いに驚く間もないほどに、ジャックは危険だと、アリスの中で何かが警告した。


 だが、アリスは動いた。


 アリスは助手席のドアを勢い良く開くと飛び出した。アリスの、ときとして無謀とも言える正義感と勇気は、ジャック・ノワールへと魔銃を向けさせた。


「ほう」

 ジャックは不愉快そうな顔をした。


「アリス!」

 逃げての言葉が咄嗟に出ないドロシー。


「随分な態度じゃねえか色男!」


 長いとんがり耳の美少女が、ジャックに魔銃の照準を合わせる。その行動は、ジャックの神経を逆なでした。


「私に銃口を向けるとは――」

 ジャックの体が怒りに震える。

「許さんぞ!栄太郎!」


 ジャックはスーツの内側から勢いよく二丁の拳銃を引き抜く。左右の手で素早く、アリスとドロシーに向けられたその銃は、アメリカ軍が第二次世界大戦で使っていたオートマチックハンドガン。禍々しくさえ見える表面の魔法文字が、それが魔銃であることを語っている。


 魔銃の威力は今日、学習済みだ。

 撃たなければ、殺される。

 ドロシーさんが、殺されてしまう。


 アリスは葛藤した。それでも、人は殺したくはない。

 葛藤したアリスの答えはこうだ。


 相手の魔銃を狙え!


 躊躇せずに絞る引き金。アリスの魔銃から放たれる、銅色の弾丸。弾丸は回転しながら、うなりを上げてジャックの魔銃へと迫る。

 気の遠くなるような刹那の瞬間、アリスの魔銃から放たれた弾丸に向けて、ジャックの魔銃が火薬の破裂音を響かせ、銃弾を射出する。

 二つの弾丸は信じがたいことに中心と中心でぶつかり合い、爆ぜた。


 生じた爆発に、ドロシーは小さく悲鳴を上げて倒れた。魔銃の持ち主の二人は、煙を挟んで睨み合う。


「栄太郎!」


 ジャックは叫ぶと、左右のオートマチックを二丁ともアリスに向けた。


 しめた! ドロシーさんから銃口が外れた!


 アリスは素早く詠唱する。


「エンチャント・ディフェンス」


 ジャックが怒りに任せ引き金を引く。二丁の魔銃が火を放ったのは、アリスの魔銃が輝き魔法が効力を持った直後だ。

 ガンガンと音がして、アリスが交差させた腕に当たる弾丸が弾かれる。防御に魔法をかけたのは正解だった。


 良いぞ、痛いけどBB弾くらいなもんだ。


「エンチャント・アジリティ」


 続けて、アリスは素早さに魔法をかけた。


 うわっ!


 法外な魔力によって強化された素早さから来る瞬発力は、アリスの想像以上にその体を加速させた。あまりの勢いに、アリスは飛び上がり、ジャックの上空に達する。その速さは、魔銃の弾丸にも反応したジャックの予想を超えていた。


 ジャックの上空から魔銃を連射するアリス。

 ジャックは、魔法障壁を展開し、その魔銃と足下を狙った銃撃をこらえた。

 着地するアリスに、忌々しげな視線を投げるジャック。再び、叫んだ。


「栄太郎!」


 そこで、アリスは漸く気が付いた。何故だ、何故こいつは俺を栄太郎と呼ぶんだ?スパイとやらの情報が、更新されてないからか?


 いや違う。


 こいつの言い方は、俺を知ってるやつの言い方だ。


 寒気がした。


 そんなアリスに、ジャックは続けた。


「この私に、銃口を向けたな、栄太郎——」


 そう言うジャックに、アリスは何か懐かしい匂いを感じて、振り向いた。そこにいたのは、怒りに髪が逆立ちそうなジャック。その姿に、ある面影が重なる。


「栄太郎の分際で、生意気だぞ!」


 その言い回しには、何度も聞かされた懐かしさがあった。


「アンセルマ——」


 アリスが震える声で呟くその名前に、ジャックは恍惚とした笑みを浮かべた。

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