3.元おっさん、口説かれる。
黒服は軽々と持ち上げられ、そして床に叩き付けられた。柔術などの技ではなく、純粋な力で。
華奢な少女が、その数倍の体積を持つ大男に見舞ったのだ。
異様な光景である。
「おおっ! 素晴らしい!」
不意に聞こえた新たな男の声に、栄太郎と女の子は素早くそちらのほうを見る。男は拍手をしていた。入り口のドアに体をもたれかけながら。
「こっちに来て直ぐにケンカ沙汰とは、なかなか元気なようだ」
濃紺に細いストライプのスーツ。開いたジャケットからはベストが見える。
ベストなんか着る奴はオシャレかカッコつけのどちらかその両方だ。
そう思いながら栄太郎は、細身で長身の男を見た。
顔は整っている。男前だ。ちょっとバタ臭いのが、なおさら色男って感じだ。
「想像を絶する美しさだ」
男は中折れ帽を人差し指で弾く。キザと色気がむんむん香った。
「俺の名はブレーメン。ブレーメン・エン・バレンタイン」
つかつかとブレーメンは栄太郎に歩み寄る。彼が腰から下げている、西洋の細身の剣についてそうな装飾の施された鍔と柄だけの刃がない物が気になったが、それ以上に、彼の発した言葉が気になった。
「以後お見知りおきを。アリス・エイタロウ」
名前を呼ばれて栄太郎は身構える。銃を構えようかとも思ったが、やっぱり気が引けた。代わりに拳を構える。
構えた拳を見てブレーメンが、驚いたように目を見開いてから、両手を腹の辺りで小さく左右に振った。
「おいおい、俺は敵じゃないぜ?」
確かに、直ぐ名前を名乗る辺りは紳士的だ。だが、俺はこういう女にだらしなさそうな奴をあまり信じないことにしている。
「何で俺の名前を知っている?」
「そりゃあ——」ブレーメンは笑みを浮かべた。
「君を異世界から転生させたのは、俺が世話になってる博士だからさ」
確定。
いろんなもしもが一気にぶっ飛ぶ。
ここは異世界。俺はこの美少女エルフに転生したって訳か。
栄太郎は拳を下した。
ブレーメンはそれを見て、満足そうに微笑んだ。
「良かった。俺は女性には手荒なことはしたくないんだ」
ブレーメンはぐいぐい栄太郎に近づいて、ついにはその手を握った。
「しかし、美しい。これほどの美しさは見たことがない」
甘い言葉と手の感触に、栄太郎は寒気がした。
「おい、俺はもともと男だぞ」
「知ってる。だが今は女さ。しかもとびきり美人の。俺の瞳に映る、美しい女だ」
ブレーメンの声と手触りに、栄太郎の背筋はぞわぞわする。寒気がする。そんな引きまくりの栄太郎に、ブレーメンは「見てみるかい?」とスーツの内ポケットから鏡を取り出した。
「割らないように気を付けてくれ」
そう言われて栄太郎は、今、自分に筋力を上げる魔法がかけられていることを思い出す。ブレーメンに手を触られているときはそれに任せていたから気が付かなかったが、確かに俺の腕の力は、あの大男を軽く投げ飛ばすほどに強くなっている。
なるべくやんわりと、栄太郎は鏡を受け取った。
鏡を見るとそこには、とんでもない美少女が映っている。
思わず、栄太郎はその容姿に見惚れた。
これが俺。ははは、勝ったも同然じゃないか。
鏡に向かって謎の勝利宣言をする栄太郎。嬉しくなってくるくる回ってみたりする。
おっと、いけない。
栄太郎はひらひら舞う、やたら短いプリーツスカートを抑える。
パンツが丸見えになってしまう。
40近いおっさんの体より、圧倒的に未来が明るいであろうこの体。惜しむらくはそう、部屋に残してきた愛しのコレクションたちだ。漫画、映像関係、そして何より、可愛い可愛い大切なロボット玩具たち——。
オタクでありコレクターである栄太郎の、大切な物たち。だが、それらと引き換えにしても魅力的な存在が、今、彼を構築している。
そんなことを思いながらふと、気が付くと、ブレーメンがいない。栄太郎は周りを見渡すと、直ぐに彼を見つけた。
「すまなかったな。騒がせちまったみたいだ」
女の子を口説いている。彼女の手を優しく握りながら。
栄太郎は中間管理職であった。
人を見る目は、あるほうだと思う。
やっぱり女にだらしなさそうな奴だなと、栄太郎は改めて確信した。
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