7.上空の巨大ロボ、隣の変態。

「今度は本物なんだろーな」


 アリスは露骨に疑いの視線をブレーメンに送った。ブレーメンはにっこり笑うとアリスの肩を抱く。


「ほら」


「ステータス」と言ってブレーメンが開いて見せた情報には、ブレーメン・エン・バレンタインの名前が表示されている。


 訝しそうに、アリスは見た。


「どうせ変えられるんだろ、名前くらい」

「出来ないよ」

「えっ?」


 アリスの顔がちょっと青くなる。


「名前は一度登録したら変えられないよ」

「なんでそんな大事なことを早く言わないのか!?」

「だって言う前にアリスちゃん登録しちゃったし」

「ああーっ! そんなことなら、キルシュブリュデとかアリアーシラとか、もっと可愛い名前にしたのに!」


 後悔するアリスに、ブレーメンはきらきらした笑みを向けた。


「大丈夫。君の名は素敵だよ、アリスちゃん」


 顔を近づけて来たブレーメンに見えるようにエンチャント付きの拳を握って見せると、ブレーメンはすすすっとアリスから離れた。


 こいつ、偽物の演技もあながち下手じゃなかったくらい女好きの臭いがする。


 嫌そうな顔をするアリスに、ブレーメンは取り繕うように微笑んだ。


「ごめんね、もっと早く君の下に到着する予定だったんだけど、スパイが発覚してね」

「スパイ!?」

「うん。君に関するデータを、軒並み横流ししてたやつがいたんだ。ま、もう捕まったから平気さ」


 そういうもんなのか? スパイって、一人いたら何十人もいそうなイメージがある。


「だから、あの偽物は俺のことを知っていたのか」

「そう。異世界から来たってこともね」


「俺は何だか、この世界のセキュリティレベルに強い不信感を抱き始めてる」

「大丈夫。こんなこと滅多にあることじゃないよ」


「この世界で生きて来たあんたと、来て数時間の俺とじゃ、滅多の感覚にかなりの乖離があるようだな」

「うっ」


 ブレーメンが言葉に詰まる。長年会社である程度以上の接客と営業、社外機関との対応をこなしてきたアリスの言葉はときに鋭い。


「と、とりあえず」困ったようにブレーメンは言った。「研究所に行こう? いろいろ、話すこともたくさんあるしね?」


 アリスの目が鋭く光る。


「そもそも、ブレーメン・エン・バレンタインなるものが、俺の味方だって確証はどこにもない」

「うっ」


 顔と口説き文句で25年間上手く渡って来たブレーメンが言葉に詰まる。耳の長い美少女越しではあるが、40近いおっさんの社会にもまれた視線は鋭い。


「で、でも」変な汗をかきながらブレーメンは言う。「アリスちゃん、このままだと今日、寝泊りするとこもないよね?その後のこともあるし」


「まあ、そうだな、あんたを信じるしかねーか」


 ほうっと、安堵のため息を漏らすブレーメンの頬が何故か、ほんのり赤く上気している。そして彼は思う。


 事前のデータだと、『単純で正義感の強い熱血バカ』って書いてあったのに、思ってたより頭の回転が速そうだな。


 もしや!


 これが伝説に聞く社畜ブラック企業戦士の力なのか!?


 ブレーメンはちょっと怯えた。怯えながらも、アリスを観察する。


 それにしてもすごい美人だ。可愛いし、綺麗だ。口は悪いし転生前はおっさんだが、それはそれでと言うか、僕の好きな気の強い系のある意味新ジャンルかもしれない。


 ああ、口説きたい。


 出来れば詰め寄られながら踏まれたい。


 ブレーメンは変態であった。顔の良い、変態であった。


 彼は、肩から斜めがけしたメッセンジャーバッグに入っている物のことを思い出す。

 ごそごそと、メッセンジャーバッグの中を探るブレーメンを見ながら、アリスは思う。


 スーツにメッセンジャーバッグとは。しかもデザインが纏まっている。このお洒落野郎め。


 お洒落だが変態であることには、アリスはまだ気が付かない。

 そしてその僻みっぽい思考は、ブレーメンがバッグから取り出したある物によってかき消される。


 桃の缶ジュース!


 アリスの目はまあるく可愛く見開かれ、缶にくぎ付けになった。

 およそ脳という物は、情報を処理したり考えたりするときにエネルギーを消費する。そのエネルギーを補充する物の一つ、糖分。さらに先ほどから、考えたり驚いたりし通しのアリスの喉は渇いていた。


 くれるのか?


「どうぞ。のどが渇いたでしょう?」

「やったーっ!」


 アリスは素早くブレーメンから缶を受け取ると「ありがとう」と礼を言った。


 流石、女に手が早そうなだけあって気が利くじゃねえか。ガハハ。


 心の中で笑うアリスを見ながら、ブレーメンは思う。


 いかに元おっさんだろうと、特殊能力者サラリーマンであろうと、このタイミングのばっちりな気が利く飲み物には敵うまい。僕に惹かれろ、フハハ。


 何だか二人ともバカだな。


 缶の開け口はアリスがいた世界と同じものだ。つまりこの世界で、アリスがそれを発明し、特許料で左団扇なんてことは出来ない。残念。


 アリスはエンチャントの力で缶を握り潰してしまわないよう、魔法を解除すると、開け口のタブに指を掛けた。


 あれ?

 なかなかタブが起きない。

 なんだこの体、力なさすぎ!


 アリスが苦戦していると、ブレーメンがきらきらした美青年の笑顔を見せながら缶を手に取った。


「貸してごらん。こんな蓋に苦戦するなんて、可愛いなあ。ほら、開いたよ」


 ブレーメンはきらきら笑顔を振りまくが、アリスにはそんなものより桃ジュースの缶のほうがよっぽどきらめいている。

 アリスが再び缶を手にすると、知っている桃のジュースの香りが鼻をくすぐる。


 ああ、あの匂いだ。


 一口、口をつける。


 ああ、あの味だ。


 ピューレを感じさせるくらい濃厚なのに、後味はすっきりしている。どこか桃の固形感すら感じるのに、のど越しはするりと、一つも引っかかることのない液体だ。程よく冷えているのが心地よくて、体の中に入っていくのが分かる。


 ああ、美味しい。まさか異世界でも、あの味が楽しめるだなんて。


 こくこくと、アリスは桃ジュースを飲む。


 これで果汁100パーセントじゃないってんだからすごいよな。桃でしかない。


 バキバキバキ。


 美味しいなあ。


 メキメキメキ。


 何だ、うるせえな。


 ホコリっぽい空気とやたらうるさい破壊音に、イラつきながらアリスは音のほう、天井を見上げた。


 あれ、空が見えてんな。


 天井が剥がされ、空にはお星さまがきらめく。


 はあ? とアリスは思った。意味が解らん、と。


 そんなアリスの視界に入る、いぶし銀の25メートルの巨体。眉をひそめて歯を食いしばったみたいなデザインの顔。


 目が合ったと感じたとたん、アリスの口から桃ジュースが溢れた。盛大に、ぶうっと。


「なんだこりゃあ!?」


 アリスはブレーメンに詰め寄る。


「なんだあれ!? 巨大ロボットか!?」


 頭から桃ジュースを被ったブレーメンは、頬に手を当て嬉しそうに顔を赤らめ、「甘いや」と呟く。


 どん引きするアリス。


 上空の巨大ロボ(しかも悪そう)、隣の変態(気持ち悪い)。


 嫌ぁーな板挟みだなと、アリスは思った。

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