第9話

 鈴香は長い深呼吸をしてから話を始めた。

「人生時計って知ってる? 一生を一日に例えるとって言う話。一生を八十歳だとすると幸君は今十九歳だから、うーんと……午前の五時四十分くらいだね。私は二十六歳だから八時くらい」

「初めて聞きました」

「ねえ幸君、今、その、もうこの世界からいなくなっても良いかもって思ってる、よね?」

 思っている。鈴香は言葉を選びつつも、幸の心境をズバリ言い当てた。その表情は暗く悲しそうだった。

「な、何で分かるんですか?」

 鈴香は「うーん」と悩んでいるような様子を見せてから――

「それは幸君が私に似てるからだよ」

 断言して見せた。

「幸君とは理由が違うけど、私も昔そんな時期があったんだ。私の場合は初めて就職した会社が酷いブラックでね。そのうち全てがどうでも良くなっちゃって。それが一年前のこと」

 鈴香は人に言い難いような過去を笑い話のように言ってのけた。

「そんな時に出会ったのが人生時計の話。考えてみてよ、幸君、六時にもなってないんだよ? 六時ってまだ起きてない人だっている時間だよ。ねえ、勿体なくない? 私はそう思うよ。幸君……」

 鈴香は「これから絶対良いことあるよ」、そう言って幸を抱き寄せた。幸は声を上げて泣いた。誰かの前で泣いたのは何年振りのことだろうか。止めようとも涙は止まらなかった。

 鈴香は幸の頭を撫でながら話の続きを始めた。

「その会社は辞めたんだ。それから人生時計の話に出会ったり色々あったりして、何だかんだあって今はヒッチハイクで旅をしてる。今は楽しいよ」

「す、鈴香さんは、どうして僕に声を掛けてくれたんですか?」

 幸は嗚咽混じりの声を絞り出す。

「幸君をあの海の駐車場で見た時、何とかしなきゃって思ったんだ。だって昔の私まんまなんだもん、雰囲気とかがさ。あっ、勿論、車に乗せてってもらいたいってのもあったけどね。……そう言えばここは幸君と同じくらいの歳の頃に来た場所なんだよ。本当に良い所だよね。私、鈴蘭好きなんだ。久々にこの辺りに来て是非幸君にも見て欲しくなって、それで……」

 鈴香は何も言わず幸の肩に両手を置いた。鈴香の目線は幸の目と繋がっていた。幸も見つめ返す。

「幸君の人生はまだ明けたばかりだよ」

 鈴香のその一言で幸の心を覆っていた帷は消え去っていった。帷を介さずに見る世界はやけに眩しかった。

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