第6話
二回乗り換えをして、話をしたり、黙ったりしながら、上野に着いて、のんに「ここで帰らないと、終電がないや」と気まずそうに言われた。私はとっくにのんの意思をくみ取っていたので、「うちに来てもいいよ」と言った。
「いいの?大丈夫?」と言いながら、申し訳なさそうにうちまで着いてきた。
最後に会ったあの日みたいに、私の最寄り駅にのんとまた一緒にいることが、とても奇跡のようで嬉しかった。あの時の私の願いを叶えてやっている気分だった。
昼間は暖かかったのに、夜は予想通り、とても冷えた。マフラーが欲しいほどではなかったけど、サイゼリヤの時点から冷え性の私の足先は冷え切っていた。
のんは冬用のモッズコートを着ていて、Gジャンの私よりも暖かそうだった。
途中セブンイレブンに入り、のんは梅とおかかのおにぎりとお茶を買っていた。私も真似して梅のおにぎりと、総菜、ゼリーを買った。のんが買った袋に入れてもらって、一緒に家まで歩いた。
家の目の前の公園で、数日前に友人とお花見をしたばかりだった。
5分咲きくらいだった桜が、きっと今頃満開になっているはずだと思って、のんと一緒に見に行くことにした。
とても広い公園だけど、0時を過ぎていたので真っ暗で、誰もいなかった。
桜は8.5分咲きといったところで、とても綺麗だった。
桜の木がとても多いその公園を、私たちはしばらく散歩した。
真っ暗闇で、映るわけがないと思ったけど、ダメもとで機種変更したばかりのiPhone13で写真を撮ってみたら、フラッシュもたいてないのに綺麗な桜の写真が撮れた。肉眼よりもよっぽど明るく映し出してくれて感動した。
のんのスマホはandroidで、私の綺麗な写真を見て羨ましがっていた。
桜にはしゃぎながら、顔の高さの花びらに鼻をくっつけて匂いを嗅いでみた。
生花の桜の花の匂いを嗅いだのは、生まれて初めてだったかもしれない。
ほんとうにこんな匂いがするんだ、と感動して、のんにも匂いを嗅がせた。
私は夢中になって木に張り付いて花びらの匂いを嗅ぎ続けた。
花びらの上に小さなアリがいた。私は「こんな時間でも、アリは活動するのかなぁ」と言いながら、去年、雨上がりの早朝の上野公園で、別の愛した男とほとんど散ってしまった桜を見に行ったことを思い出していた。
今となっては苦くなってしまった思い出を、のんが上書きしてくれているようだった。
最後に公園のおかしな遊具を見学して、意見を交わしながら家路についた。私はもう寮に住んではいなかった。去年の夏から、独りで猫と暮らしていた。
のんが家に入ると、うちの異常に人懐っこい猫は喉を鳴らして初対面ののんにすぐさますり寄っていた。
どちらかと言うと猫派らしく、のんは私の猫をかわいいと褒めて、撫でてくれた。
手を洗って、一緒におにぎりを食べた。残ったのは、明日の分にして、冷蔵庫にしまった。
私はのんに、おすすめの心理学の本を読ませた。
のんは世界一本を読むのが遅いと思っていた私の二倍くらい、本を読むのが遅かった。
途中何度も本を閉じては、視線を上にして考え事をしているようだった。
何考えてるの、と聞くと、いや、自分の経験と照らし合わせて、自分だったらどうするか、とか、考えながら読むから、本を読むのがすごく遅いんだ・・・と言っていた。
私はその間にシャワーを浴びることにした。
化粧を落とそうと洗面所の鏡を見ると、鼻の周りが広範囲に黄色く染まっていて、すぐに桜の花の花粉が付いたのだと気付いた。のんに見せに行って、二人で笑った。
風呂から上がると、のんは本を一章だけ読み終わったみたいだった。
感想を聞くと、「○○のこの言葉は、確かに、と思うことがあった」と学者の個人名を出してきたのでびっくりした。
学生時代、書評を言い合う活動を頻繁にしていた時の名残らしく、細かい感想を聞かせてくれた。
私はのんにもシャワーを浴びるように言った。一緒の布団で寝るつもりだった。使い捨ての歯ブラシもあげた。
サイゼリヤで服にソースが飛び散ったので、洗濯機を回さなければならなかった。のんが着ていた服も一緒に洗濯してあげることにした。
風呂上がりののんは、私が貸した大きめのTシャツとジャージをパツパツに着て、でもきつくはないと言って、洗濯物を浴室に干すのを手伝ってくれた。
お風呂から上がった私たちは、私が世界一周に行った時の動画を朝まで延々と見続けていた。
ベッドに腰掛けながらのんに見せると、立ってウロウロしながら覗きこもうとするので、座っていいのに、と言ったら、やっと緊張しながらも隣に座った。
のんはずっと、とても興味深そうに私の撮った世界各国の動画を見てくれていた。
私たちの空気感はサイゼリヤの時からずっと、昔セックスをした仲とは思えないくらい健全なものだった。
少しづつ距離が近づいて、肩が触れ合ったままになっていたけど、それだけだった。
朝5時を回ろうとしていた頃にやっとすべての国の動画を見せ終わった。
なにも寄りかからず何時間も見ていたのでお互い腰が痛そうだった。のんはベッドの上に寝そべっている猫を撫でて、指を噛まれて痛がっていた。
私はベッドに半分のスペースを空けて寝そべって、かけ布団を被った。
のんはベッドに腰掛けたまま、戸惑っているようだった。
「こっちに寝て」と私の右側に来るように言うと、「いいの?」と言って布団に入ってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます