第5話
夕方16時過ぎ、のんと同じくらいの時間に駅について、改札前で待っているという彼を探した。
二年以上会ってないから、見つけることができるか不安だったけど、改札前の壁に寄りかかり俯いて陰のオーラを放っていた彼は相変わらずで、一目で見つけることができた。
少しだけ緊張しながら近寄り声をかけると、あの時と全く同じ髪型で、同じ黒髪で、同じ眼鏡で、同じちっともおしゃれじゃない服装で、同じ綺麗な肌で、同じ目線が合わない彼がそこにいた。
「遠くまできてくれてありがとう」と言われたので、「こちらこそいきなりごめんね」と礼を言って、私たちは足取り重く、埼玉の郊外の駅前のデパートに吸い込まれていった。
レストラン街にはサイゼリヤとドトールと餃子屋しかなかったので、サイゼリヤに入ることにした。
正直、彼と会うことができただけで私の葬式はほとんど完了していた。
彼と向かい合って、数分だけでも会話をすれば、それだけで十分なつもりだった。
のんはパスタとサラダ、私はステーキとサラダ、あとお互いにドリンクバーを頼んだ。
ステーキのソースが入った器が鉄板にこびり付いていて、無理やり引きはがしたら私の白いニットとチェックのスカートに広範囲に飛び散った。トイレに行き水で洗い流した為、服が濡れて少し寒かった。
なにも話すことが無いと思ったし、逆になにを話しても受け入れてもらえると思った。
のんはあの時の私と同じ、28歳になっていた。
のんの仕事の話を聞いた。情報系の大学だったのでIT関係に就職を考えていたが、ひょんなことから福祉関係に就職することを決心したらしい。
児童養護施設で働いていて、休みは不規則、今日はたまたま休みだった、と電話では聞いていたが、実際は担当していた女子棟で唯一の同性だった同僚が、児童たちからのいじめを受けて休職に追い込まれた途端、今度はその同僚と同じ男であるのんにいじめの矛先が向いたらしく、同僚達からもフォローはなく、職場の雰囲気に耐えきれなくなり、12月から3月いっぱいまで休職することにして、四月一日から男子棟の職員として復帰する予定ということだった。
その日は3月28日だった。ほんとうにギリギリに、奇跡的なタイミングでのんとまた繋がったんだと実感し、人知の及ばない大きな力に動かされているようにしか思えなかった。
私は、大きなストレスは本当に思考能力を鈍らせるのに、ちゃんと逃げれてえらいね、すごいね、とのんを褒めた。真面目なのんが休職の判断を出来たことが意外だった。
私たちは他愛のない話をした。
私はほとんど喋らないで、ずっと俯いていた。
いきなり思い立って、一緒に写真を撮った。ラインに送りたいと言って、やっとラインを交換した。
「ラインは本名だから・・・」と言われ、久しぶりに見た彼の名前。珍しい名字だけはっきりと思い出された。
下の名前は、読むことすらできなかったので、「下の名前なんて読むの?」と聞いてしまい、のんは、やっぱりという顔をした。
「私の名前覚えてる?」と聞くと、「下の名前はね。名字は忘れちゃった」と言われた。
のんのアイコンは繋がれた洗濯バサミの写真だった。どうしてこれにしたの?と聞くと、「なにもアイコンに出来る写真がなくて、仕方なくアイコン用に急遽撮ったのがこれだった」と言った。全然分からなくて、笑ってしまった。
「私たち、今後会うことあるのかなぁ?」と私が言うと、のんは「どうだろう~・・・でも、今はもう、会いたいって言われたらいつでも会えるから」と言った。
のんが会いたいわけでないのなら、今後会うことはないだろうと思った。
「私のこと、今も好きなわけではないでしょう?」と聞くと、「どうだろう・・・好き・・・なのかなぁ?わからないな・・・」と答えた。そんなのんを見て、私のことを好きなようには全然見えなかったので、安心した。
母親が死んで、火葬場で母親の肉体が焼けるのを待ちながら、親族で精進落としの料理を食べていた時の感覚に、ものすごく近かった。
とっくに頂点を過ぎた、でも心に強く残った悲しみを抱えながら、世間話をして、傷を分かち合っていたあの時の感覚と同じだった。
のんはほとんど話さない私に気を使って、「なにかあった?話なら聞くよ、話して、少しでも楽になるなら」と何度か声をかけてくれたけど、私がここまで落ち込んでいるのは、のんのことも含めて、色んな男との恋愛に疲れたからだった。
のんはあれから、誰とも男女の関係にならなかったらしい。
そんな彼に一方的に会っていなかった間の私の恋愛の話をするのは少し気が引けた。
「辛いことがあった?」と聞いてきたのんに、「うん、でも、恋愛のことだから」と答えると、「彼氏とかいるの?」と聞かれたので、「いないよ、あれからずっと」と答えた。
「ずっとうまくいかなかった」そんな切り口で、私はのんと音信不通になった後の話をし始めた。
ずっとのんのことで死ぬほど後悔をしていたこと、その後誰と出会ってもうまくいかなかったこと、昨日好きな人にまた一方的に音信不通にされたこと。
話しながら無意識に涙が垂れてきてしまった。
カバンの中からティッシュケースを出したけど、ティッシュが入ってなくて、ハンカチしかなかったので、ハンカチで涙を拭いながら、鼻水を紙ナプキンで拭い続けたら、テーブルの上がくしゃくしゃになった紙ナプキンでいっぱいになってしまった。
途中何度か私は白湯を、のんはコーヒーを持ってきたけど、すぐに飲み干してしまった。
最初夕方だった店内はガラガラだったけど、その内夕飯時になり、人が増えても、何度も泣いては泣き止んでを繰り返しながら、閉店の22時まで、私は俯いて、静かに泣き続けた。
私たちの席を見ることができるのは隣の席からだけで、幸い、その席に長くいた若い女性二人組は、私が泣いてることには気づいてないようだった。
のんはずっと、何も言わずただ心配そうに私を見つめていた。
「いきなり連絡を絶たれたら、自分を責めること以外に出来ることが何もない」と言って、顔を覆って必死に涙を堪えたけど、どんどん止めどなく溢れるばかりだった。
「連絡をしなくて、本当にごめん」「そんなに傷ついてるなんて、思いもしなかった。俺のことなんて、すぐに忘れてしまうと思っていた」「これからこういうことがないように、本当に気を付けたいと思った」と言われた。
「私があの時、もう少し連絡をしていたら返事をしてくれたの?」と聞いてみた。「わからない、あの時は本当にいっぱいいっぱいだったから、連絡がたくさん来ていたらブロックまでしていたかもしれない」と言われた。
「私のことチャットで、見かけたりすることはあった?」と聞いたら、「たまに見ていた。ずっと1位ですごかったね。でも、チャットに入ったら俺だって分かっちゃうのかと思って、待機も見ないようにしてた」と言われた。
「あの時は髪長かったけど、その髪型いいね、似合ってる」と言われた。私の髪は、のんと変わらないくらい短くなっていた。
「あなたのこと、責めているわけじゃない、1ミリも怒ってない。ただ、私は今あの時の私が乗り移っちゃって、勝手に涙が出ているだけなの、ごめんなさい」と言って、たくさん泣いて、気づいたら店内の最後の客になっていた。
閉店の放送が流れ始めていたので、会計を済ませ、封鎖されたデパートの出入り口を警備員に開けてもらい、私たちはデパートに直結された駅に向かった。
改札に入り、のんは私と逆方向の電車に乗るはずだったので、最後に「ほんとうにありがとう」と伝えようとしたら、「よければ東京まで送ろうか、俺今ほんとうに、時間だけはあるんだ」と言われた。
後から考えたら、復職の三日前だったので、そういうわけではないはずだった。ただのんも、名残惜しく感じてくれていたことには違いなかった。
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