第4話

私はその後一年間、誰ともセックスすることはなかった。あんな風に愛されてしまった後では、欲を満たすだけのセックスは全て無意味なものに思えた。

がむしゃらに仕事に打ち込んで、ずっとランキング1位をキープした。結果的に元居た千葉の事務所にも、最大級の仕返しができたと思っている。

それでも私はごくたまに、のんに意味のないメッセージを送ることがあった。しかし、一度も既読が付くことはなかった。

その内私は、1位のプレッシャーとストレスに心身ともに疲れ果て、仕事の手を抜いて自由に生活するようになった。それからしばらくして、人生で一番好きになった男と出会い、不器用ながら必死に愛を伝えた。

彼も私を愛していたはずだったけど、うまくはいかなかった。大恋愛は半年ほどであっけなく幕を閉じた。


その彼と会わなくなってしばらくしてから、見るからにモテそうな大学4年の男と知り合った。

酔っぱらって、好きと言われて無理やり抱かれた。

22歳の女に困らなそうな彼が、30歳の私のことを本気で好きになっただなんて、信用しようがなかった。

彼といるといつも、大恋愛をした男のことが思い浮かんでは、やっぱり違う、この人じゃない・・・と感じていた。

誰といても、のんのことが頭をよぎった。この人もまた、いきなり消えてしまうかもしれないと思ったら、自分が少しでも好意を抱いた誰に対しても、余裕が持てなかった。


他にもう一人、同時に関係を持っていた同い年の男もいた。

私は人間関係に白黒つけない曖昧さも時には大事だということを、大恋愛をした男から学んでいたので、よく分からない関係性の男でも切らないことにしていた。

大学生の彼と出会って半年も経った頃、いつの間にか彼のことを好きになっていたと気づいたのは、同い年の男の方を生理的に受け付けなくなったことからだった。

私は彼に想いを伝えた。彼は喜んだ。はっきりと交際しようと言ったことはなかったけど、紛れもなくあの時の私たちは恋人だったと思う。


今思えば彼は発達障害の気があった。勉強や就職はとても順調なようだったけど、それ以外は人として最低限のことがほとんどできていないようだった。

何度もすれ違いがあって、その度に私の心はすり減って、彼が就職で神戸に引っ越すことが決まり、その直前にやっと会えることになったのに、その二日前の私の誕生日のお祝いをしてくれるという話だったのに、誕生日はおろか、会う当日になっても連絡はこなかった。


まさかと思ってラインでスタンプをプレゼントしてみたら、「〇〇はこのスタンプを持っているためプレゼントはできません」と表示された。

あまりの衝撃に、「絶望」という文字を顔面に張り付けたような顔で身体を震わせた。

のんの時に受けたあの苦しみを、また味わうことになるのか、と思ったら、うまく呼吸ができなくなった。


彼とも、もともとカカオで連絡を取り合っていたので、カカオでもブロックの確認をしてみることにした。

グループに招待できれば、ブロックはされていない。

そういえば、なんだかんだでのんのことも、ブロック確認をしたことはなかった、と気づき、何の気なしにのんと彼をグループに招待して、「あ」と、一文字だけ送信してみた。


2人とも招待することができた。どちらにもブロックはされていなかった。

でも、カカオを退会しないで、アプリだけアンインストールされていたら、通知がくることすらないんだろうな、と虚しく思いながら、「一生のお願いだから連絡してほしい」と彼に送った。


しばらくしたら、グループの方に一人既読が付いた。

よかった、カカオは見れる状態なんだ、と思った矢先に、のんから「?」とメッセージがきた。

2年4か月振りの返事だった。グループに既読を付けたのは彼じゃなくて、まさかの、のんの方だった。


さっきまでの悲しみは嘘のように消え去り、私は狐につままれたような、現実感のない感覚のまま、のんに返事をした。


「生きてたの?」

「うん、ごめんね」

「元気なの?」

「元気だよ。そっちは元気?」

「電話したら、困る?」

「今なら平気だよ」



電話はすぐに繋がった。のんと私を隔てる、2Gだった回線が、いきなり5Gになったような感覚だった。

どんなに願っても、もう一生繋がることができないと思ってた、死んでしまったはずの相手だったのに。


電話が繋がって5秒くらいして、やっとお互いに声を発した。

「生きてたの?」「うん、ごめん」

震える声で聞いた。「どうして連絡くれなかったの?」

一生答えが聞けなくて、悩み続けると思っていた問いに回答がもらえた。


「あの時は、お金にも時間にも余裕がなくて、連絡を取りつづけても会う時間が取れないと思ったから。卒論でいっぱいいっぱいだったし・・・実はあの後また留年したんだ。時間に余裕ができたのは連絡を取らなくなってからずっと後のことだったけど、ずっと無視してしまっていたし、もうとっくに自分のことは忘れられていると思ってた。たまに思い出すことはあったけど、今更連絡を取っても迷惑なだけと思って、なにも送れなかった」


私は湧き上がる涙を堪えることができなくて、嗚咽しながら泣きじゃくった。

「ごめんね・・・」と言う彼に、「ごめん、私はもう、折り合いを付けていたはずだったんだけど」と途切れ途切れに言いながら号泣した。

私が泣いているわけではなかった。あの頃の私が乗り移って、勝手に涙を流させられているような感覚だった。あの頃の悲しみが憑依してきて、どうしても離れなかった。私たちは1時間半ほど電話をした。


「私のこと、忘れたことなかったの」

「忘れられないよ」

「初めての人だから?」


のんは、私のことが嫌いになったわけではなく、好きだったけど、あの時はそうするしかなかった、と言っていた。嫌いだと思ったことは一度もないと。



あれからずっと、恋愛がうまくいかず傷つきっぱなしで、幸せを掴めなかった理由が、自分が誰かを励ます立場の仕事に就きたかったから、天に与えられた試練だったんだと、点と点が線で結ばれたような気がした。

どうして今日返事をくれたの、と聞くと、たまたま携帯を見ていたから、今日が休みだったから。もし3日後にグループが作られていることに気づいていたら、返信しなかったかもしれない、と言われた。


このタイミングで、彼とまた繋がったのはなにかの巡り合わせとしか思えなかった。

のんは今、就職して埼玉で一人暮らしをしているらしく、「もし嫌じゃなかったら、今から会いに行ってもいい?」と聞いた。

会ってなにかを話したいわけでも、抱きしめてほしいわけでもなかった。

のんは少しだけ戸惑いつつも了承してくれた。

片道二時間の距離の、お互いの中間地点で会うことになった。


私は急いで準備をして駅に向かった。

自分の葬式に向かっているような気持ちだった。

のんに会えば、私のずっと後ろ向きだった気持ちも、大学生への気持ちも、マイナス思考も、全て消え去って、これから真新しい自分に生まれ変わって、前を向いて歩いていけると思った。

そんな私とお別れするための葬式に、のんにも付き合ってもらいたかった。

ホームに入ってくる電車を見つめながら、私はブロックされたことのショックを思い出して、不意に電車に飛び込みたくなったりしていた。

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