第3話

その日そのまま秋葉原の事務所に直行して仕事をしたけど、全然稼げなくて、のんに「今日も仕事しないでのんの家に泊まればよかった」とカカオを送った。

のんから、「一緒にいすぎて勉強とか、やらなきゃいけないこと溜まっちゃってるし、お金も全然ないからしばらく会えないかも」と返事がきた。

私たちが会ったのはたったの二回だけだった。たったそれだけでそんなことになる?と半信半疑だった。


私のことを思い出してムラムラして、ひとりでしたとメッセージがきた。私が恥ずかしがると、すごく求めてきたでしょ、という返事が返ってきて、思い出してムラムラした。

でもそれ以降、のんから連絡がくることは一度たりともなかった。



何日経っても返事がこなくて、気遣うような連絡を入れた。電話をかけてみても、出なかった。

友達と会って、のんのことを話した。その時はまだ、またすぐに連絡が来ると思っていた。


一週間が経った頃には、不安で胸が押しつぶされそうになっていた。

二週間目あたりで、占いをした。

「彼はあなたのことを友人に相談した結果、完全に遊ばれてるよとひどくあなたのことを批判され、他の女性を紹介されて、その人と結婚前提で交際を始めたようです」と言われた。

信じられなかった。26年間童貞だった男がそんなに短いスパンで私や他の女と男女の関係になれるわけがないと思った。

彼にとって私以上の女が見つかるはずがないとも思っていた。元々お客さんで、ましてや童貞だったのに、好きになったチャットレディーと会えてこんな関係になれて、簡単に手放すわけがないと思っていた。


一か月が過ぎた頃には私の心は灰のようになっていた。のんの家に行ってみようかと考えたけど、駅の名前も、家までの道のりも、全く覚えていなかった。一週間毎くらいに連絡を入れてたけど、毎日毎日既読すらついていないことを確認しては心が引きちぎれるようにキリキリと痛んだ。

好きと言ってくれたことや、結婚したいと言ってくれたこと、

それを鼻で笑って受け流していたこと、

好意を寄せてくれたのに真剣に向き合わなかったこと、

完全に選ぶ立場だと思っていたのが、ほんとは選ばれる立場だったんだと思い知ったこと、

見下してた相手のことを本気で好きになっていたんだと思い知ったこと、

結婚したいなんて言ってくれた男は初めてだったと気づいたこと、

本当は私も結婚してもいいくらい愛していたんだと気づいてしまったこと、

他の誰にもあんな風に触れてほしくないと心から願っていること、

のんの体温、私よりも冷たい足、胸元に顔を埋めてきた時に感じる息の熱さや湿度、少し伸びたひげが服を貫通して胸元にちくちく当たって痛かったこと、

柔らかくも硬くもない真っ黒で艶のある髪の毛の手触り、

ものすごい腕力を持った大男が壊れ物を慎重に触るように、まるで死んだ恋人と再会した時かのように、いつも、震える腕で慈しむように、強く抱きしめてくれたこと、

あの時ああ言えばよかった、こう言えばよかった、あの時あんなこと言わなければよかった、あの時電話をすればよかった、もっと話がしたかった、

毎日毎日思い出して、後悔し尽くして、涙は枯れ果てて、すっかり私の心は死んでしまった。

こんなに後悔した恋愛は生まれて初めてだった。離れてから、好きだったと気づいたわけだけど。無理やり自覚させられた、と言った方が正しいかもしれない。


何か月も経ち、苦しみ抜いた私は、彼を死んだと思うことにした。私を拒絶する理由がどう頑張っても思い浮かばなかった。

癌があったから、死んでしまったんだ、そう思い込む以外に私の心を守る方法がなかった。

彼と作ったベッドの上で、彼と愛し合ったマットレスの上で、毎日寝なければいけないことが死ぬほど辛く、悲しかった。


携帯がダメになってカカオが使えなくなってしまったのかもしれない、勿体ぶらずにラインを交換していたらよかったのかもしれない、と思ったけど、新しい事務所での私のチャットのアカウントをのんは知っていた。

そうなったとしてもサイトからいくらでもコンタクトが取れたはずだった。

彼はカカオの名前も「のん」だったので、私はいつの間にか彼の本名も、忘れてしまった。

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