明くる日の日常と不安

 明くる日は、毎日見ている小川にうんざりして、手ごろな空き家に勝手に盗み入ることにしました。

「暇つぶしにしては面白いだろ」大口を叩きながら提案してくる彼に少女は少しばかりの心配をかけたのですが、結局彼の口吻に圧されて空き家に侵入することにしたのでした。

「意外に手間取るものだな」

そう言って男の子はもう当分使われていないだろう家に侵入すると、手ごろなスペースに座ってあらかじめ持ってきておいたカードゲームを取り出します。少女にも自分の前に座るよう、彼は声を掛けました。

「来な。たまにはボードゲームをやろうよ」

少女が天井に目をやると、隅の方で一匹の蜘蛛が巣を作っていました。それを見ながら彼女は悪いことをしているという自覚があるのか、少し戸惑った表情を見せました。ですが、最後には男の子の前に座りました。なんだかんだ、彼の対面に座るのはあまりないことだからです。


 薄暗い空き家に座る彼の顔は、少し輝いて見えました。

 それがなぜ輝いて見えたのか、少女には分かりませんでした。正確に言うと、彼女は言葉に出来なかったのです。今少女の目の前に座っている男の子は確かに光が当たっていない、なのに輝いているように見えるのです。少女はその謎を一旦心の端の方にしまい、しまった胸の感覚を妙に気にしながら彼の話に耳を傾けました。

 カードゲームの説明を終えて、二人は談笑しながらゲームを楽しんでいました。

「そういえば」男の子は突然話を切り出します。

「どうしたの?」

「図書館に行ったあの時、急に帰ってごめんな」

神妙な表情をした男の子を見て、少女はふっと頬を緩めます。

「全然大丈夫だよ。でも、急に走ったときはびっくりしたなぁ」

「やめてくれよ、恥ずかしい。あの後親に聞いたんだけどさ、蒸気機関車って人じゃないんだな。てっきり『身体がぽかぽかして走りたくなること』がじょうききかんしゃだって勘違いしていたんだよ。まさか、本当に車みたいなものだったとは思えないよ」

少女は彼の話が面白くて、思わず笑ってしまいました。

「恥ずかしいね」

「うるさいな、身体が熱くなるんだからやめてくれよ」

「もしかして今、じょうききかんしゃってこと?」

からかいの言葉にもだえる彼を見て、少女は心の底が満ちていくような気持ちになりました。

「もうその話は良いだろ。何か別の話にしよう」

「そうはいっても何の話をすればいいの」

「なんでもいいよ、僕はもうあれを思い出したくないんだ」

「でも、急に何かをしようって言われると途端に意識して緊張してしまうよね」

「確かにそうだよな。特に意識せずにやるようなこととかは特にそうだ。やり方を忘れてしまうんだよな」

「君もそういうことあるんだ。なんか意外かな」

「意外ってなんだよ、僕だって緊張してしまうんだ。特に自己紹介とかは吐くほどに違和感があるんだ。本当にこれでいいのか、って感覚がずっと胸の中で残って仕方ないんだ」

「私も分かるよ、その気持ち。まぁ、この町に住んでるとあまり自己紹介をする機会が少ないのが不幸中の幸いだけど」

「そうだね、その点に限って言えばこんな田舎に生まれてきて助かったよ」

男の子は山札から一枚引いて、それを見つめながら手札に加えました。

「でも、退屈だ。この町から早く出て行きたいなぁ」

「どこの街に行きたいの? やっぱり南の都会街に降りるとか?」

「そうだな、早く南の方に行って仕事で名を馳せたいな」

「そうなんだ」

少女が手札を眺めて次の一手をどうするか考えていると、それを男の子は不思議そうにぼんやりと見ていました。

「君は南の方に興味はないの?」

少女は手を顎に当てて、すこししてその問いに答えます。

「そうだね、私はあまり興味はないかな」

「どうしてだよ、都会の方が仕事も沢山あるし美味しい食べ物や娯楽も沢山あるじゃないか」

「うーん、そういうのにあまり惹かれないんだよね。おいしい食べ物や娯楽とかが沢山あっても結局一人だったら意味ないでしょう?」

続けて、少女は考えていることを丁寧に言葉にしていきます。

「この町にはお肉屋さんとかお魚屋さんとかいろんな人がいるし、私はあの人たちが好きだから」

少女は、町の人たちが笑顔になる瞬間がとてつもなく心地良いのです。彼らが笑顔になる度に、少女は心が軽くなってこの町のことを好きになるのです。

 ですが、少女は同時にその考えに対して首を傾げていました。図書館で経験した時と同じような違和感です。果たして、本当に彼らがいるからこの町が好きなのだろうか? 適切なように見えて適切ではない、少女は上手く言語化できない異様な感覚に包まれていました。

 何はともあれその後、ボードゲームは男の子の勝ちで終わりました。男の子は嬉しそうでしたし、女の子もカードゲームが楽しかったのか満足気でした。家に帰る最中、町の人が不審そうな目で少女を見ていましたが、彼女はそんなことを一切気にせず、扉の向こうにあるお母さんの温かい手料理を想像しながら、家へと帰る丘を悠々と登っていきました。


 しかし、玄関を開けると、そこには両親が立っていました。

 いつもの包み込むような瞳ではなく、何かを引き剝がさんとしている瞳でした。

「お前は今日、何をしていたんだ」

少女の目には、いつも以上にお父さんが大きくて無機質に見えました。猫に追い詰められたネズミのように、彼女は一層背を縮めました。

「答えなさい、今日どこにいて、何をしていたんだ」

お父さんはあらかじめ答えを知っているような口ぶりでした。これから怒られるのだろう、という予感が少女の体を貫いて、彼女は重々しく口を開きました。

「ごめんなさい、空き家に行っていたの」

その言葉を聞いて、更にお父さんの声が大きくなりました。

「どうしてそんなところに行くんだ」

彼の怒号に更に体を震わせて、少女は悪いものを苦心して吐き出すように喋ります。

「ごめんなさい、友達と行っていたの」

少女は決して彼の名前を口にしようとは思いませんでした。話がこじれる、というのも一つの理由ではあったのですが、何より彼に迷惑をかけたくなかったのです。彼女は、彼の苦しむ顔なんて見たくないのです。

「今日、町の人から聞いたさ。どうやらお前ともう一人同じ年頃の男の子が二年前に使われなくなった家に入っていく様子をな」

少女はそれに黙って頷くしかありませんでした。

「いいか、お父さんは心配してるんだ。お前に何か不測の事態が起こってからではもう遅いんだよ。お前の力が悪用されるのも心配だし、何より父親としてお前の身を大切にしてるんだ。俺だって、怒りたくて怒っているわけじゃないんだ。ただ、そうするしかないというわけであって。俺が怒ることでお前の身を、この世界を守ることが出来るならば俺はいつだって怒る」

俯いたまま何も言わない少女を見てお父さんは言いました。

「更にだ。お前、最近楽しそうじゃないか。何やら町の男の子と毎日楽しんでいるだなんて、しょっちゅう聞くぞ」

今まで何も反応しなかった少女が突然、顔を上げました。

「お前が楽しく遊んでいる分には大いに結構だ。友達が増えるのは親として嬉しいことだ。だが、忘れるんじゃないぞ。お前には願えば嫌でも現実になってしまう力があるんだ。自分の願いが果たして何なのか、そして町の人にそれを使えるように、節度は保っておけよ。遊ぶな、と言っているわけではないのだが、その男の子にのめり込まないようにな」

お父さんは少女に背を向けて、自分の部屋に戻りました。


 ご飯は、すっかり冷めていました。冷えても美味しいのですが、冷たいご飯を食べていると少女はなぜかみんなから突き放されているような感覚になりました。まるで両親が冷めたご飯を通して何かを暗喩しているような気がして、彼女はなるべく早く口にかき込もうとしました。

 しかし、少女がご飯を食べきるにはかなりの時間を要しました。

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