第29話 決戦

(すっげぇ……) 


 あきらかにオーバーキルである。

 そもそも、核の炎をたった一個人に限定して使っているのだ。

 やりすぎな気もしたが、〈魔王〉相手にはあれぐらいやらねば勝てないということだろうか?


「お疲れ様。姉さん」


 湖から戻ってきた姉にねぎらいの言葉を掛ける。


「ユー君……」


 姉さんのまとう漆黒の闘気は依然として消えていない。

 まさかこのまま姉さんまで〈魔王のエゴ〉に飲まれるなんてことはないよな?


「大丈夫よ。ごめんね、心配かけちゃって」


 そう言って姉さんは微笑んだ。


 ――と。

 キュゥゥンと、耳障りな音と共に俺と姉さんの間に、歪みが発生する。

 透明な何かが眼前でねじれ始め、第六感が警鐘を鳴らした。


「え? これ……空間の……」


「ユー君、危ないっ!」


 とっさの反応で、俺は姉さんに突き飛ばされた。

 直後、ボッという耳障りな音と共に視界が鮮血で染まる。


「っ……ぁ……」


 どさりと、地面に落ちて転がったモノ。

 視界の隅に落ちたそれは、俺が断じて認めたくない現実そのもので――

 腰から下を完全に失い、上半身だけになった姉さんが血溜まりの中に倒れ伏していた。


「な……ん、で……っ」


『無駄だ。無駄なんだよ……無駄なことをするな……劣等が』


 不快な声音に、わなわなと震える唇。

 信じられない思いで背後を振り返ると、そこには白銀の騎士が平然と立ち尽くしていた。


 なぜだ?

 あれほどの爆炎にのみこまれたというのに。

 なぜこいつは何事もなかったのように生きているんだ?

 まるで無傷。

 その容姿に一切の損傷はなく、甲冑は溶けたりも破けたりもせず、煤一つかぶらない完璧な状態でその場に立ち尽くしている。


 姉さんの渾身の〈魔法〉は……こいつには通用しなかったのか?

 いや、そんなことはどうでもいい。

 どうだっていいんだよ! こいつのことなんかっ!

 それよりも大事なのは……っ!


「ユー……く、ん。よかっ……、ぶ……じ、で……、……」


 小さな、か細い声。

 慌てて姉さんに駆け寄るも、その瞬間倒れた姉から瞳の光が完全に消える。


「姉さん……?」


 吐血し、鮮血にまみれて千切れた身体。

 おびただしいほどの流血で地面が無惨に染まる中、それでも魔術なら……優れた魔術師なら何とかなるのではないのかと思案する。


(だって、だって姉さんは! あんなにも強かったじゃないか……っ)


 その最強の姉が、こんなにもあっけなく終わるなんて、あり得るはずが……!

 そんな淡い期待にすがりながら、彼女の無事を祈る。


 けれど結局、奇跡は何も起きなくて……。

 訪れたのはただの沈黙。

 この世界で俺を愛してくれた姉の死という、言葉にできない深い絶望だけが俺を取り囲む全てだった。


 目の前で失ってみて初めて分かる。

 家族を失うことの、深い喪失。

 事切れてしまった亡骸に対し、俺はただ全身を震わせることしかできなかった。


『侮ったなレーテシアよ。貴様に必殺の策があったように、こちらに必生の策ありだ。俺の心に土足で入り込んだ報いを受けるがいい』


 後ろから……不快なノイズが聞こえる……。


『俺の抱きし渇望は……追憶だ。俺の存在を思い出し、永久に認識させること……離れた相手に忘れられたくないという我執がしゅうこそが、俺の見果てぬ夢なのだからな』


 自らの魔法の根源を口にするヴァシュラート。


『無様だな、従弟いとこよ。同じ血族として親に捨てられたお前は、言わばもう一人の俺。そしてお前は……お前だけは、知っていたはずだ。この俺が再生の技にけていたことを。それを失念していたとは迂闊うかつの極みよ』 


「……ッ、ヴァシュラアアァァトォッッ!!」


 俺は憎むべき仇を振り返ると、咆哮を上げて突進した。

 刀を鞘より走らせ、一刀のもとに斬り殺さんと首筋を狙う。


『フン、来るか? 〈エゴ〉のないお前に何ができる? 死ねっ!!』


 ヴァシュラートが手の平を突き出す。

 俺を中心に座標が固定され、甲高い音と共に空間が歪曲し、捻れる。


「こっのッ、くっそがァァッ!!」


 俺は怒りを込めて、眼前で歪もうとする空気を刀でたたき切った。

 直後、収束していた何かはガラスのような固形となって溶け消えていく。


『むっ。鉄の剣だと? よもやそんな物が近くにあったとはな! 道理でその女の乳から上を潰せなかったはずだ! 惜しいぞ! 美しい女を醜い肉塊へ変えるのは、趣味と実益を兼ねた最高の娯楽だったのだがなァ!』


 異端審問における、職務上の拷問経験。

 自らの蛮行を嬉々ききとして語るこいつは、純粋なサディストに他ならない。

 清廉な白銀の鎧に身を包みながら、内にはどす黒い欲望を隠した精神異常者。

 人を傷つけることにだけ楽しみを見出す、邪悪の権化ごんげがそこにいた。


 俺は後退しようとするヴァシュラートに肉薄すると、勢いに任せて刀を振るう。


『ヂィ……ッ!』


 銀製の兜が弾け飛び、その素顔が露わになる。

 亜麻色の髪に、灰色の瞳。

 線の細い面立ちは、たしかにかつては美男子であっただろう。

 だがいまや、歯を食いしばりながら血走った目つきは狂人のそれだ。


『クッ、生意気なァ……!』


 ヴァシュラートが鋭いかぎ爪を振り下ろしてくる中、返す刃で刀を切り上げる。

 ザン! という鈍い手応えと共に銀色の籠手が宙を舞う中、俺は相手の血しぶきをかいくぐりながら身体に密着した。


 もはやゼロ距離の体勢で、刀を振りかぶる間合いすら無い中。

 刀身の根本だけをヴァシュラートの首筋に添えた俺は、その場でワルツを踊るように回転してみせた

 足のじく運動でのみ放たれた華麗なで切りに、ヴァシュラートの首はきりもみしながらね飛ばされる。


(斬った……!)


 確かな手応えと斬撃を決めたのもつかの間、気がつくとヴァシュラートは再び兜を装着した状態で離れたところに立っていた。


「なっ!? いつの間に……」


『フン……不思議か? 気になるか? だが、知れば余計に後悔することになるぞ?』


 たったいま首を切り落とされて生きている理由、そして姉さんの必殺の魔法を受けて無事だった理由を、ヴァシュラートは意地悪そうに語ってみせる。


『〈魔法〉――【永劫回帰えいごうかいき】。俺を認知している者がこの世にいる限り、我が身を絶つことは永遠にできん。俺はお前達の記憶……〈エゴ〉の無意識領域より自動的に復元されるのだからな。……そら、いまのでまたお前の心に俺の存在が印象深く刻まれたぞ?』


「他人の記憶から復元、だと……?」


 肉体を再生し、時間を巻き戻す魔法の正体。

 それは単純に時間を操作しているわけではなかった。

 その力の正体は、他者の記憶から実存を索引さくいんし、現実世界に複写しているものだという。

 要は他人の心にセーブデータを作り、そこからスナップショットされた自分をロードして現実に貼り付けているというのだ。

 以前に破壊された上層街の景観を元に戻したことからも、その芸当は人間だけではなく風景すらも可能なのだろう。

 つまりヴァシュラート本人は概念と化し、もはや個としての生命を超越している。


 たとえいま俺がこいつを倒しても、この世の誰かがヴァシュラートという男を覚えている限り、こいつは自動的に湧いてくるらしい。


(無敵か? こいつの能力は)


 もはや自分自身をへと昇華させた、忘れられたくないという妄執の具現がそこにあった。


『〈エゴ〉の光よ! 我が意に従い、瀑布の砲弾となれ!』


 今度はヴァシュラートが魔術を唱えた。

 上空にある滝から創り出した激流の水球が、猛然と空から飛来する。

 あれは姉さんとの戦いの時に使った、水の魔術だ。

 姉さんはエゴを押し通すことで炎で競り勝つという芸当を見せたが、もちろん俺にそんな力はない。


 魔術で形成されたとはいえ、水を切り裂くなんて俺にできるのか!?


「こ、のォ……!」


 とにかく喰らう前に、剣先を当てる!

 迫り来る激流の砲弾が自分の身体にぶつかる直前。

 ぎりぎりの距離で刀を振り抜くと、水球は信じられないくらいにあっさりと瓦解した。


『チッ、なんだその剣は!? なぜそんなものを握っていられる!?』


 ヴァシュラートが驚愕する。

 本来なら切り裂くことの出来ない空間のねじれや水流を、一刀のもとに粉々にしているのだ。必殺の威力に自信があるほどに、そのショックは大きいに違いない。

 とはいえ互いに苛立ちが募るのを感じた。

 勝負への決め手がないのだ。


『魔法も魔術も効かないとは……お前、何者だ?』


「知るか、ただの不良王子だ」


『……良かろう。ならば、直接踏みつぶしてくれる!』


 ヴァシュラートは足を力ませると、すさまじい勢いで空高く跳躍した。


(な!? しまった……!)


 高高度からの落下攻撃。それは単純な物理的な衝撃となって飛来する。

 刀で迎撃すれば、奴の闘気も解除され大打撃を与えられるだろう。

 そのまま墜落を狙えるかもしれない。だがこっちもまずい。

 こっちは確実に踏みつぶされて死ぬだろうし、相手も墜落死したところで自分の存在を再生して蘇れるからだ。

 鷹を模したフォルムよる急降下は、まさに猛禽のそれ。

 公爵達を狙って落ちたその命中精度は、尋常ではない。


(……来るッ!)

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