第28話 結界の秘密

  ◆


 姉さんを追って町外れの貯水湖へとたどり着いたとき。

 俺はすでに、戦いが始まっていたことを知った。

 魔術の余波なのか、何本もの水柱が爆発したようにあがり、激しい攻防が繰り広げられている。

 信じられないことに、二人は湖の上で戦っているようだった。

 両者共に水面の上に立ち、沈むことなく互いが水上を駆け抜けている。

 移動速度が信じられないぐらい速い。

 まさか水に沈む前に、足を踏み出すとかいう仙人のような芸当をしているのだろうか?


(自己強化は〈操〉の自界だっけか……)


 俺は姉さんが対峙している敵に、あらためて注目した。

 漆黒の闘気をまとった異形の怪物。魔王覚醒者。公爵殺しの犯人だ。

 注目すべきはその腕だろう。

 骨格から膨張した掌に、凶悪なかぎ爪が生えている。

 爪の長さは三十センチほどはあるだろうか?


 時折姉さんの攻撃で闘気が剥げ、やがてその全容が露わになる。

 それは……鎧兜をまとった騎士の姿だった。

 鷹の嘴を模したような羽兜に、鋭い六つ目ののぞき穴。

 そして鋭角なフォルムで形作られた甲冑を漆黒のオーラが覆い、その手甲から伸びる巨大な爪が奴のシルエットを怪物然としたものに変えている。

 さながら奴の急降下攻撃は、猛禽のそれであったに違いない。


「やはりあの姿、白騎士ヴァシュラートか……」


 特異なのは奴の右腕だ。

 姉さんに切り落とされた腕が、再生しているのである。

 魔術で自己治癒をしたのだろうか?

 それにしたって奴の手甲まで、まるごと再生しているのは奇妙な話だ。

 銀のガントレットなんて特注品のはず。

 仮に腕の傷が癒えたとしても、あの右手が同様の防具で覆われていることは少しばかり不自然なのである。


(スペアがあったのか? それとも……)


 思案にふける中、両者の動きは膠着していた。

 スピードはどう見ても姉さんの方が早いのに、ヴァシュラートには空間を操る技がある。

 ヴァシュラートの空間魔法は座標を指定し、掌に握り込むイメージを投影することで空間そのものを圧縮する。

 それ自体がまず必殺の威力だが、奴の魔法は……縮められた空間が、周囲の環境を同時に引っ張るという特性がある。

 その引っ張りに身を任せることで亜空間転移を実現させるヴァシュラートは、不自然なまでの機動力を有しているようだった。


 力も技も、〈エゴ〉の総量も姉さんの方が勝っている。

 しかしヴァシュラートの方が逃げ足が速い。

 このままでは埒がいかないといった感じだ。


 やがて姉さんは嘆息すると、自ら握る氷の槍を湖面へと突き立てた。

 すると槍を中心とした水面がみるみるうちに凍結し、その場に両者は立ち尽くす。


 それはひどく幻想的な光景だった。

 一部分だけ凍てついた湖面の上を、純白のドレスを着た美女がたたずんでいるのである。

 月明かりに照らされる氷上は、まるで湖の精が降臨したかのようだ。


 その美しさをまとったまま、姉さんは毅然とヴァシュラートを睨み付ける。


「あなたは寂しい人ですね。空間を無理矢理せばめるなど、叶えられなかった願望が透けて見えるようです」


『……なんだと?』


「そんな風に距離を詰めたところで、あなたが本当に近づきたかった人との距離は……互いの心は、縮まらなかったのではありませんか?」


『貴様……』


「距離を縮め、人を無理矢理密着させる。あなたの〈魔法〉からかいま見える渇望の深淵は、深い孤独の現れとしか思えません」


『だっ、黙れ……黙れぇぇええッ!!』


 ヴァシュラートが吠えた。

 それは図星だったのか、空間圧縮という根源たる〈エゴ〉は、互いの距離感を縮めたいという願望の表れだったと姉さんは指摘する。

 恐らく、それは公爵との関係。

 もしかしたらヴァシュラートは、産まれてすぐに自分を捨てた父親との接点を……愛情を求めていただけなのかもしれない。

 父親に捨てられた王族、という意味に関しては俺と奴は同類だ。


 もしかして、が理由なのか?

 だから俺は奴と……シンクロすることができたんじゃないのか?


『もういい、貴様は死ね! レーテシアッ……!!』


 ヴァシュラートが腕をかざし、殺意を込めて姉さんへと向ける。


「姉さん……!」


 その身を案じて名を叫ぶ。

 だが姉さんは凛然とした目つきでヴァシュラートを捕らえた。


「我が血脈に眠りし魔王のエゴよ、深淵への呼び水となりて力の源流へと導きたまえ」


 姉さんがそう言葉を紡ぐと、その全身を漆黒の闘気が包んだ。

 あれは……姉さんも、始祖の力を引き出したということでいいのか?


「〈魔法〉――【反転結界はんてんけっかい】」


 姉さんが腕を突き出すと、ヴァシュラートが七色の光に包まれる。

 それは〈結界〉の応用技なのか。

 ヴァシュラートの身体を覆う、透明な二十四面体の障壁。

 それは魔術に疎い俺から見ても、直感でアレが無敵だと感じる堅牢ぶりだった。


『ハッハッハッハ、おいおい。これはどうしたことだ? このような防御膜をわざわざ付与してくれるとはな!』


「その防御膜は簡易〈結界〉そのもの。ありとあらゆる攻撃を防ぎます」


『間抜けめ! 自らに掛け損ねたか!?』


 ヴァシュラートは高らかに笑いながら手の平を掌握した。

 必殺の空間圧縮。

 だが姉さんは潰されることなく、むしろ何も起きていない。


『む……っ! こ、これはまさかっ』


「内側へと向ける〈結界〉です。あらゆる攻撃を防ぐ障壁は、裏返せばあらゆる攻撃を漏らさない防火扉となる」


 本来なら【覇界魔術】限定の力である〈結界〉を、〈魔法〉の力で無理矢理に【自界魔術】として発動させたのか!?

 〈魔法〉で〈魔術〉を応用実行するなんて、それだけで奇妙な技だ。

 そもそも〈魔法〉の源は、愛……執着心のはず。

 いったい姉さんは、どんな思想でこんな技を引き起こしたのだろう?


 結界の特性である鬼は外、福は内だった効果。それを鬼は内、福は外といった具合に切り替えているのは何となく分かるが……。


『ふん。結界……結界、か。この力こそが悪徳の象徴だというのにな! それを使いこなす貴様もさぞ性根の腐った魔女であろうよ!』


「……確かに。 王都を囲う〈結界〉は、業の深い魔術です。内部を楽園と化す一方で、あらゆる災厄を外に押しつける。本来なら国内で発生したはずの疫病、飢饉、火事、水害、犯罪……あらゆる災いを、〈結界〉の領域外である他国へと吐き捨てる。レスという国はね……利己主義でできた、恨まれて当然の国家なんですよ」


 なんだって!?

 〈結界〉のカラクリって、そういうことだったのか!?

 利己主義……

 まさにエゴイズムが具現化した偽りの理想郷だってことになるじゃないか!


 版図が拡大されているといっても、世界中がレス王国の支配下というわけじゃない。

 レス以外の国は、疫病や飢饉がはびこる地獄と化しているってことになる。


「こんな国はなくなるべきだと思っています。しかし国内の人々は〈結界〉の恩恵が手放せない。愚かなことです、王族に〈結界〉の維持を任せることが……やがて〈魔王〉の再臨を招き、内部から滅びることを分かっていない」


『だったら何だというのだ……っ!』


「人々は魔術から開放されるべきなのです。思想を制御された生き方など、まるで魔術の奴隷だ。しかもそのことに彼らは気がついてさえいない。本当に人間が自由たりえるには新たな指導者が要る……魔術に頼らずとも生きていける、そんな生き方を体現できる新たな王が!」


(ま、まさか……それって、俺のことか?)


 姉さんは本気で弟の俺を国王に据えるつもりだったのか?

 いや、実際彼女の言葉通り……魔術を肯定し続けるなら、遠からずレスは滅びる。


「それを妨げ、あまつさえあの子のことを脅かす者は、私が断じて許しません!」


 漆黒の闘気を全開にした姉さんは手を交差させ、魔王の力を発動させる。


「我が父・アイデスが用いた抑止の炎、その身に刻め……ッ!

 〈魔法〉――【超魔ちょうま天獄焦てんごくしょう】……ッ!!」


 姉さんの覇界魔法。

 それが絶対防壁たる二十四面体の内部で炸裂した。

 〈結界〉の外に厄災を押しつけるという業を、一転して裏返した魔法。

 〈結界〉の内でのみ発生する業火は、今度こそ太陽が地上に現れたと錯覚するほどのすさまじい光量で。

 まさに夜が昼間になったと思えるほどの激しい閃光が周囲に放たれる。

 

 かつて親父が自らの力を示すため、大陸の一角を吹き飛ばしたという抑止の炎。

 天も地も焼き焦がす、キノコ雲を創り出すほどの超絶の爆炎が小さな〈結界〉の中で起動し続けている。

 二十四面体の内部では、言語を絶する爆縮と爆発が延々と繰り返され、逃げ場のないエネルギーが繰り返し内部で炸裂するという地獄のループを繰り返す。

 あらかじめ相手に付与した【反転結界】の真意とは、相手の能力を防ぐためではなく……常識を逸した火力を、外に漏らさないための安全策だったのだ。


 やがて光の明滅が止むと共に〈魔法〉の効果は解除されたのか、獄炎は消失し、それを閉じ込めていた二十四面体も砕け散る。


 そこにはすでに何もなく、骨や炭、影すら残らぬ無の残骸が露わにされただけだった。

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