第27話 二重人格少女
◆
扉をノックすると中から小さい反応があった。
俺は意を決するとドアノブに手を掛けて中に入る。
「よう、元気そうだな」
見舞客の姿を確認し、王城の救護室で寝かされていた少女をシーツから顔を出す。
「ユーシア!? わざわざお見舞いに来てくれたの?」
リリーシェは目を丸くして驚いたような反応を見せた。
とはいえバツが悪いのか、リリーシェは気まずそうに目を伏せる。
「ううぅっ、言いたいことあるよね……色々とぉ」
「まあな」
ベッド脇の椅子に腰掛け、腕を背もたれに乗せながら俺はリリーシェの首に注目した。
巻かれている鉄の鎖……これがあるときは、彼女はリリーシェということだろうか。
「んで、何て呼べばいいんだ? リリーシェでいいのかな? それとも……」
「リリーシェでいいよ! ううん、リリーシェって呼んで!?」
「あ、ああ。んじゃあリリーシェは、法王庁の異端審問官ってことでいいのか?」
尋ねるとふるふると首を振るわれる。
違うのか? そうなると、ますます彼女のことが分からなくなるが……。
「じゃあ、黒騎士アアルシャッハってのは?」
「それは……何と言えばいいのか、うー。難しいよう」
「職務上、ああいう演技をしていたんじゃないの?」
「違うよ! えっと、あのね? わたし……実は〈エゴ〉が二つあるの」
「二つ?」
「うん。昔、わたしが田舎に住んでいた頃、心臓の病気にかかったことがあって……両親が教会の司祭様に助けを求めたんだって。でも、お布施が足りないからって相手にしてくれなかったらしくて」
「それは……ひどいな」
「それでどうしようもなくなったときに、裏山に住む知恵のドラゴンに助けを求めたらしいの」
「ドラゴン? いまも生き残りがいるのか?」
「うん。妖精族みたいに全滅したわけじゃなくて、少ないけど何匹か地上にいるんだよ。それでそのドラゴンが、自分の心臓を分けてわたしを助けてくれたんだって」
「ドラゴンの心臓が……移植された?」
サイズ的に合うのか? と真っ先に当たり前の疑念が浮かぶが、相手は神話の生物。
恐らく超自然的な力の核としての意味合いに違いない。
「で、元気になった代わりに……わたしの中にドラゴンの〈エゴ〉が宿るようになっちゃって。その〈エゴ〉が出現してるときは、性格が変わるというか」
「二重人格……だったのか」
心臓移植の逸話ってのは地球にいた頃も聞いたことがある。
食べ物の好みや趣味が、ドナー提供者に影響されて変わるようになったとか、真偽は不明だが様々な憶測を生む逸話だ。
リリーシェの場合、ドラゴンの心臓を移植された結果、別の人格が生み出されたという。
心臓そのものが心というわけではないが、それで〈エゴ〉まで移されたというのなら不思議な話だ。
つまりドラゴンの人格が、アアルシャッハってことか。
言葉遣いだけでなく声帯までもが変わり、人間の声が竜の咆哮になるのなら……なるほど普通の生物なら、恐怖で心が散り散りになるのも当たり前な気がした。
とはいえその後のリリーシェの生活が幸せだったのかというと、そうではないことくらい俺にも分かる。
その声の能力ゆえに修道院での生活を強いられ、鉄の鎖を身に付けて生活していたのなら……色々と不便をしたはずだ。
(それに、父親はいま……法王だっけか?)
当時の司祭にぞんざいな扱いを受けた父親が、いまじゃ教会の最高権力者か。
どんな経緯を経てそんな出世街道を進んだのか知らないが、ドラゴンへ頼った過去を聞く限り生粋の魔王主義者に違いない。
ってことは魔王主義の法王と、拝火主義の大審院による政略が絡んでいたのか。
また、娘が異端審問局に所属しているのも……父親なりの庇護なのだろう。
その異能ゆえに弾圧される前に、逆に弾圧する側に所属させてしまえば安全だという無茶な配属だ。
だが結果として、それは功を
恫喝の一声で相手の心を砕く検挙率の高さは、異端審問官としては優秀過ぎる才能ではないのか。
髑髏の意匠が施された兜に漆黒の甲冑も、恐怖の象徴としてはうってつけだ。
かくしてドラゴン人格の黒騎士アアルシャッハが創り出されたってわけだ。
「リリーシェは、自分のもう一つの人格をどう思ってるんだ?」
「うーん……友達のように思ってるかなぁ? 記憶は共有してるんだけど、お話しするときはお互いに日記に書いて文通するんだよ。それに、意外と優しいところもあるし」
「優しい、ねぇ……」
でも繰り返し、野蛮は嫌いって言ってたな。
たぶん本人は拷問ごととかは嫌いなのだろう。
よくよく考えてみれば、俺自身は……あいつに何もされてないな。
姉さんのことをいきなり殺人犯扱いされたのは腹立ったけど、結局それも上の命令だったってバラしてきたし。
この天真爛漫な少女が友達扱いするからには、そこまで悪い奴ではないのかもしれない。
それよりも共存してることの方が驚きじゃないか?
なまじ〈魔王のエゴ〉の話を聞いたせいで、人格が上書きされていないというのが俺には驚きだった。
「そういや相棒の白騎士はどこいったんだ?」
「ヴァシュラートは、父親に会いに行くって言ったきり見てない……」
「父親に? 里帰りでもしたのか?」
「わかんない。でも、王都に来る道中ずっと苦しそうにしてたし心配だなぁ。会ったばかりだけど、彼すごく躁鬱が激しかったから」
「会ったばかり? あいつとはあまり親しくなかったのか?」
「今回の任務で初めて会ったんだよ。でも、感情の波がすごく激しくて……穏やかな人かと思ったら、いきなり大声で叫び始めたりね。それが嫌で、抜け出したりしたんだけど」
「あ、ああ。抜けて来ちゃったって、あれ……あいつと一緒にいたくなくて出てきたのかよ。パッと見、美形の紳士だったけどな」
「でも乱暴だったよ。執務室のドア、蹴破って開けたのヴァシュラートだったし」
「あいつがドア蹴ったの!?」
俺はてっきり黒騎士かと……つーか、近衛兵の連中もそう思ったから、無礼者って言ってたんだよな。
まさか犯人が後ろで静かにしていたあいつだったとは。
「あの狸め。ドラマの中で取り調べする刑事と一緒だな。脅してくる刑事より、一見穏やかな刑事の方が実は腹黒いってパターンだ」
「あとね? これはわたしの思い過ごしかもしれないんだけど……」
リリーシェはおずおずと口を開く。
「ヴァシュラート、わたしの声があまり効かないの。そもそもわたしの声、耳栓なんかじゃ防げないし」
「声があまり効かない……?」
それなりに〈エゴ〉が強い近衛兵達ですら、一声で発狂したレベルだぞ?
エリート街道を邁進してプライド高めだった近衛兵が逃げ出したのに、あまり効かないってどういうことだ?
俺みたいに〈エゴ〉が空っぽってわけじゃないだろうし。
じゃなきゃ、姉さんみたいに総量が多すぎて揺らがないとか?
「……っ」
何となく、リリーシェの言葉に思い当たるところがあった。
いまのところリリーシェのドラゴン人格、黒騎士アアルシャッハの声は絶大で、聞く者の心を大きく震え上がらせる特徴がある。
経験から言えば、その効果は極端すぎるほど印象深い。
俺と姉さんのように全く動じないパターンか、近衛兵すら恐慌状態に陥り錯乱するかのどちらかだ。差が大きすぎて中間は見たことがない。
だが俺は……その中間を自ら体感したことがあるじゃないか。
他ならぬアアルシャッハの言葉を受け、それなりにではあるが衝撃を得た感覚だ。
それはいつ、どのような状況だったか。
(まさか……)
ドクンと胸が高鳴る。
(落ち着け。要素を一つ一つ思い出してみるんだ)
リリーシェ曰く、白騎士ヴァシュラートは躁鬱が激しく王都に来る途中も様子がおかしかったという。
彼は父親に会いに行くと言って姿を消したそうだが……彼の容姿に似たものを俺は見たことがある。
亜麻色の髪の毛と灰色の瞳。そう、カロン公爵と同じ容姿だ。
カロン公爵が女好きだった様子は俺も目の当たりにしたが、魔王化の影響で乱暴になってしまった結果……女なんて掃いて捨てるほどいると言ってのけたあの性格だ。
たぶん子供ができも、認知だってしないだろう。
もしもそれで王族の私生児がいたとすれば……当然〈魔王のエゴ〉が禁忌であるなんて教育は受けているはずがない。
一方、異端審問官ってのは相当なエリート職のはずだ。
それこそ法王のツテだとか、非常に高い成績を修めてなければなれるはずがない。
だがことこの魔術社会において、自らの優秀さを示すのは簡単だ。
“無限に金貨が出る財布”を持っているのなら、いくらでも証明できるだろう。
(それに公爵を殺そうとしたとき、犯人は深い怨恨を抱いていなかったか?)
自分のことを覚えているか? と、あのときの俺は誰何していた。
普通、庭園で会ったばかりの俺なら言わない台詞だ。旧知の間柄でなければ。
(暴走している殺人鬼は……奴か?)
奴を……ヴァシュラートを見つけてみないと。
「ヴァシュラートが行きそうなところって、心当たりあるか?」
「ごめん。ちょっとわかんないかな」
「そっか……」
くそ、奴が行きそうなところはどこだ、教会か?
ヴァシュラートが向かう先。向かう、先は……。
(待て待て。向かう先は……他ならぬ奴が、口にしていたじゃないか)
――油断した。必ず……必ず復讐してやるぞ……レーテシア……!!
そう、言っていた。怨嗟の感情を漏らして、つぶやいていたじゃないか。
「姉さんのところだ! あいつ、姉さんを狙ってるんだ……」
俺はリリーシェに礼を言うと、王都の湖畔へと向けて走り出した。
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