第25話 魂の輪郭を失った者

 俺をゆっくりと目を覚ました。

 何度目の行いになるだろう?

 悪夢から目覚めて自分がいまいる部屋の様子を確認する。


「おかえり」


 温かな声をかけられ振り返ると、ベッドの脇には俺の手を握った師匠がいた。

 ずっと隣で、こうして手を握ってくれていたのか。

 その感想と、同時に師匠が無事で良かったと安堵し抱きしめる。


「お? おぉ? どうしたどうした。そんな泣きそうな顔になって」


「だって……だってさ……! 俺てっきり……」


「ははは。愛い奴、愛い奴。ほーんと、世話の焼ける子だよ勇者くんは。んで? 例の悪夢は見たの?」


「……見た」


「そ。まぁそれは、こっちでも観測できたよ」


 観測? と師匠の言葉に首をかしげる。


「何もしないで待ってるのもなんだからね。仮にあんたが悪夢を見てるのなら、何が起きてるのかって、術式を発動して用意してたんだ」


 さすがだ。というか味方でいると頼もしすぎるなこの人は。


「まあ、こっちからの報告の前にあんたの感想を聞こうかね。今回の夢はどうだったの?」


「また……町で殺人を犯してた。犠牲者は兵士の人で……。あっ、あとリリーシェが……」


「リリーシェ? 誰それ」


「法王庁の黒騎士だよ。異端審問官をやってる」


「ああー! あの法王の娘の!」


「法王の、娘?」


 法王って教会で一番偉い人だよな?

 その娘ってことはリリーシェは法王庁でも特別な子だったのか!?


「さっきお城に怪我して運び込まれてきたんだよね。何事かと思ってたんだけど、なぁるほど……彼女も犠牲者だったのか。にしても、よく無事だったね?」


「危ないところを、すんでのところで助けられてさ」


「へえ。誰に?」


「それは……」


 そこまで言った途端、貴賓室の部屋の戸がノックされる。


「はいよ~。空いてるよ~」


 俺の代わりに大声で返事をする師匠。

 ドアが開き、中に入ってきたのは……神妙な面立ちをした姉さんだった。


「やあ。来たね、お姫ちゃん」


「ね、姉さん……」


 その姿を見た途端、どくんと心臓が脈打つ。

 先ほどまで死闘を演じた相手。

 俺のとどめを刺しに来たのだろうか?

 姉さんは無言のまま、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 彼女は知っていたはずだ。

 あれが、俺なのだと。

 明らかに俺の存在を認知し、その上で殺意を向けていた。

 優しい彼女があれほど豹変したことで、俺が信じられるものはなかった。


 一歩、また一歩と姉さんが近づいてくる。

 怖い。

 いきなり殺されるのか? もしくは何か質問されるのか?

 ベッドの上で拳を握りしめたまま俯いていると、姉さんが隣までくる。

 そしてその手がスッと伸ばされ……


「……っ」


 俺はぐっと目をつぶるが、訪れたのは柔らかな抱擁だった。


「ごめんね、怖い思いさせて」


「え……?」


「ユー君、さっき見てたでしょ? 嫌な思いをさせたくなくて、すぐに終わらせてあげたかったのだけれど……」


「見ていた、って……?」


 文字通りそのままの意味か?

  だってあれは、俺が変身したんじゃ……


「混ざってたんだよ、勇者くんは」


 横から師匠が言葉を添え、姉さんも頷いてみせる。

 混ざってたって、どういう意味だ?


「どうも〈エゴ〉がなさ過ぎるってのも問題だね。他人との境界線が模糊として曖昧というか……勇者くんの中で混信が起きていたらしい」


「セフィラ卿の言うとおりよ。〈エゴ〉のない者同士は、心が混ざってしまう」


「ごめん、もっと分かるように言ってくれない? 俺に〈エゴ〉がないのはわかるよ。でもそれが、ないもの同士っていうのは?」


「例の犯人のことよ」


 犯人。そう言われて、言葉をかみしめる。

 まず状況を順番に分析しろ。

 第一に、悪夢を見た俺は師匠に殺されちゃいない。

 どうやら俺は外に飛び出すことなく、このままずっとここで寝ていたらしい。


 第二に、黒騎士アアルシャッハ……リリーシェの声だ。

 俺は彼女の声に耐性がある。

 昨日、執務室で彼女が声を発したとき、近衛兵や侍女は恐慌状態に陥ったが俺は何ともなかった。昼間に話したときもそうだ。


 だというのに、先ほどリリーシェの声を聞いたときは、それなりの衝撃を受けたのだ。

 姉さん曰く、リリーシェの声は〈エゴ〉を直接揺さぶるそうだが、それっておかしくないか?

 ない袖は振れないのだ。

 俺は〈エゴ〉が空っぽなのだから揺れるはずがない。

 つまり、あの肉体は……俺が得ていた衝撃ではないってことになる。


 第三に、姉さんが俺を殺すつもりなら……いまこうして俺はのんきに考えを巡らせていることなんてできないってことだ。


「あの、つまり俺は……殺人鬼ではない、ってこと?」


 俺の質問に、姉さんと師匠は頷いてみせる。


「はああぁぁーー……っ、マジかぁ~……。良かったぁ……」


 脱力する思いで、俺はうなだれた。

 本当にホッとする気持ちだ。


「じゃあ、あいつは一体何者なんだ?」


「〈エゴ〉を喰われた者のなれの果て、というところかしら」


 姉さんは神妙な面持ちでつぶやく。


「誰でもああなり得るわ。私たち……レクシオン王家の人間ならね」


「王族があんな化け物になるってこと? ど、どうして!?」


「私たち王族には始祖の血脈……〈魔王のエゴ〉が流れてるからよ」


「魔王の……エゴ?」


「王家の人間には蘇りし血族という伝説があってね。始祖の意思が隔世遺伝する体質があるの」


 隔世遺伝? 遠い父祖の因子が、現代の人間に発動するってやつか?


「先祖返りするってこと? 始祖の意思が目覚めると、どうなるの?」


「心を蝕まれ、身体を乗っ取られるわ。始祖様……〈魔王のエゴ〉によってね」


 まさか文字通り、人格を上書きされちまうってことか?


「〈魔王〉は殺戮衝動の塊だから……その片鱗がかいま見えてくると、人柄まで豹変してしまう。あのカロン公爵だって昔は本当に優しい叔父様だったのよ。それが長い年を経て……あんな乱暴な方になってしまった」


(性格が変わる……〈エゴ〉が、書き換えられるせいで?)


 背筋に衝撃が走った。

 中庭で聞かされた積年という言葉が、その通りの意味だったなんて。


 あのときの姉さんは俺のために怒ってくれてはいたけど……その矛をすぐに収めたのは、公爵の人格形成の歪みを知っていたからなのかもしれない。


(情状酌量の余地はあったって、ことか)


「昔から王族は心が不安定な奴が多かったよ。あたしはまぁ長いこと生きてるから、レクシオン王家の連中が鬱になりやすかったり、トチ狂う様は何度も見てきた」


 師匠も当然、知っていたそぶりで語る。

 そりゃそうか、エルフなんだから何百年も前から王族の変死は見てきたはずだ。


「質問ばかりで悪いんだけど、どうしてそんなことが起こりえるわけ?」


「魔術の使いすぎが原因だね。他の平民と違って、王族は自分の〈エゴ〉が無尽蔵にあるのを知っているんだ。なんつーかな、自分のポケットに財布が二つ入ってるとして、片方の財布から無限に金貨が出てきたらどう思う?って話だよ」


「無限の金貨……」


「普通ならおかしい、あり得ない、その金を使うのは何かヤバイって……そう思うはずだ。実際王家ではそれを禁忌として扱っている。小さい頃からみだりにその力を使うなって徹底して教育されるんだよ」


 俺はそんな教育受けてないけど……まあ、その無限財布を持っていなかったのだから当然か。


「だけど、大抵の奴らはいざって時には禁忌を破ってその力を使っちゃうんだなこれが。まあ、都度使ってきたから今日までの王国の繁栄があるんだが……ある時、この無限の財布を使いまくる王族が現れた」


「誰だそのバカは」


「……お父様よ」


「えっ」

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