第24話 殺人鬼VS殺陣姫

(リリーシェ……ッ!?)


 髑髏の兜が剥がれたその素顔は、俺が下町で出会った明るい少女だった。

 あの天真爛漫な少女が、どうして居丈高な性格に変貌していたのかは謎だが、その命はいままさに脅かされそうになっている。


 ――惰弱だじゃくな。少しは遊べるかと思ったが、見当違いか。


(やめろ、やめろ! 止まりやがれぇ!)


 ――うるさい奴だ。お前もこの女を気に食わなく思っていたのだろう。

 ――くびり殺してやるから、そこで眺めているがいい。


(くっそお! ふざけんな、やめろ!!)


 ――抗うなよ。お前も俺と同じだ。なぜなら、俺たちは……


 もう一人の俺は倒れ伏したリリーシェに近づいた。

 全身に傷を負い、気絶したままの彼女に手を伸ばし……その首を握りしめる。


「か……は……」


 片腕でその華奢な身体を持ち上げる。

 簡単に握り潰せる細い首。

 その感触を共有したとき、俺はあることに気がついた。


(喉に……鉄の鎖を巻いていない?)


 黒騎士としての彼女は、鉄を身にまとっていなかった。

 リリーシェの声を出すことが禁じられている呪いというのは、やはりあの声に関係するものだったのだろうか?

 とはいえ、その声の秘密を探る余裕などありはしなかった。

 このままではリリーシェが殺される。

 それは確実な予感に他ならなかったからだ。


『やはり竜の脈を宿しているな。その心臓、被造物ホムンクルスごときには過ぎた代物だ。我が手中にて散華さんげせよ』


 花でも手折るように力を込めようと瞬間――

 俺の全身を悪寒が駆け抜けた。


『ぬ……っ!?』


 リリーシェの……黒騎士が放った声とは比較にならない強烈なプレッシャー。

 死のあぎとそのものが迫り来る直感に、俺はリリーシェを投げ捨てると慌ててその場を飛び退く。


 直後、俺の立っていた場所に何かが飛来し突き刺さった。

 高高度から飛来した衝撃に周囲の墓石が吹き飛び、砂煙が巻き起こる。

 空高くからの攻撃。

 その攻撃には見覚えがある。

 他ならぬ俺自身がジャンプで山を越え、着地と共に恐るべき踏みつぶしを行ったからだ。


 一方、いま飛来したそれは……槍の一撃だった。

 青く輝く透明な槍。

 それは氷で創られたものなのか、穂先ほさきの脇には斧型の刃が備えられ、刺突と斬撃の両方が可能なハルバード構造と化している。

 それはこの世界の武装にしてはあまりにも珍しい、大型の長柄武器だった。


 そしてその氷の槍と共に地上へ現れたのは、一人の女性。


(な……嘘だろ……)


 砂煙が晴れ、俺のよく知っている人物が姿を現す。

 白いドレスに真紅のマントを羽織った、およそ戦いとは無縁の女性。


 レス王国の第一王女。

 レーテシア姉さんの姿がそこにあった。


 姉さんはスゥっと槍を構えると、緩慢かんまんな動作でこちらを振り返る。

 青くきらびやかな氷槍とは対をなすその眼光は、形容しがたい闇に染まっていて。


(ウソ、だ。なん……で……)


 なんであの聖母のように優しかった姉さんに、こんな……

 、見られなくてはいけないのか。


 目は口ほどにものを言う、というが……

 かつてこんな目をした人間に俺は会ったことがあっただろうか? 

 いや、あるはずがない。

 あったのなら、俺は間違いなくこの世に生きていないからだ。

 暗く淀んだ瞳。

 けれど覇気を感じないのかといえば、まったくそんなことはなく。

 その瞳から訴えかけてくる感情が、ただただ、あまりにも剥き出しすぎて――


『現れたか! 候補者よッ!』


 一方、もう一人の俺は歓喜の声をあげていた。


 腹の底から込み上げてくる喜びと笑い。

 彼女こそが待っていた獲物とでも言わんばかりの、興奮した態度だ。


『座興は終わりだ。これより真なる王位継承戦……魔王位継承戦を始めようではないか!』


 魔王位継承戦?

 レス王国の国王になるんじゃなくて〈魔王〉の座を継ぐってことか?


『力に目覚めることを拒み、墜ちた同胞に価値はない! これよりは同じく魔に目覚めた者同士、しのぎを削りあおうぞ! もっとも、貴様は知るまいがな。その命の残り火が既に我が手中に墜ちているこ……』


 続く言葉を、俺は最後まで発することができなかった。

 目の前から姉さんがかき消えたかと思うと、恐ろしい速度で青い閃光が迫ったからだ。


『……ッッ!?』


 とっさに氷槍の刺突しとつを横に避けるが、遅い。

 穂先が払われた瞬間、斧刃ふじんがきらめき俺の右腕は宙を舞った。


『ガぁァッ……!!』


 傲慢ごうまん喜悦きえつに歪んでいた俺の口から、悲鳴がほとばしる。

 黒い闘気で覆われた無敵の肉体が傷つけられ、あっさりと切り落とされた片腕はぼとりと地面へ転がった。


『な!? グッ!……ォォォァァアッ!!、ゴぉッ、ぎっ、貴様ぁぁ……!?』


「能書きは結構」


 ひゅんひゅんと槍を振り回しながら、つとめて冷静に姉さんは槍を構えて向き直る。


ことを構える相手と対峙したのなら、ただ一言……と告げるだけで事足ことたります」


 先ほどからずっと虚ろな目で訴えかけていた、ただ一つの言葉。

 純粋なが、漆黒の眼光となって俺たちを刺し貫いていた。


『クッ……!』


 ――ぬかった! よもやこれほど容赦がない女だったとは!


 もう一人の俺は怨嗟の声を上げながら動揺をしている。

 そして同時に、俺も信じられない気持ちで一連の動きを見ていた。

 戦いや暴力とは無縁と思っていた優しい姉が、ここまで恐ろしかったなんて。


「可哀想なユー君。いま、楽にしてあげるからね」


(……ッ!)


 姉さんは、知っていたのか? この化け物が俺だと言うことを。


『ォォオオオッ! なめるなァッ!!』


 俺は左腕を振りかぶると、その長い爪で彼女を引き裂こうとした。

 ただの腕の一振りで、人を紙くずのように吹き飛ばす異常な腕力。

 その剛腕を、か弱い姉さんが耐えられるはずがない。


 ダメだ逃げてくれ!

 そう安否を気遣いながらギュッと目をつぶる。


 が、自身の肉体を通して共有される感覚は、あまりにも重い手応えだった。

 必殺の一撃を、姉さんは水平に構えた槍の柄で難なく受け止めていたのだ。

 剛腕の衝撃波で足下がひび割れ、地鳴りと共に円形に陥没していく中、姉の立っている場所だけは何事もなく平地のまま残っている。


 まるで微動だにしない姉さんに対し、こちらの左腕は槍にはばまれたまま押し切れずにぷるぷると震えている。

 次いで、流れるようなさばき方で重心をいなされると、体勢を前のめりに崩した俺の側頭部めがけてで何かが迫った。


『ガッ!?』


 横殴りの一撃で視界に火花が弾ける。

 それが槍の握り手……石突いしづきの部分での殴打だと気がつく間もなく、姉さんはワルツのように身体を回転させると、素早く手を走らせ氷槍の下段突きを見舞った。


『ちぃ……ッ』


 よろけた足を左右に素早く開き、鋭い刺突を回避。

 槍の切っ先は股の間を通過する。

 だがそれを読んでいたように、姉さんは柄を握る手をくるりと返した。


 途端、穂先に付属する斧刃のが、俺の足首の裏へと引っかけられる。


『な……!?』


 そのまま勢いよく槍をグンッと引っぱられ、無様に転倒。

 尻餅と共に仰向けになる。


 見上げた夜の視界。

 そこには、青ざめた月と女が、ただひたすらに冷たくこちらを見下ろしていた。


『――……ッ!!』


 地面に倒れた俺を見下ろす姉さんの矛先は、依然容赦なく――

 こちらの心臓を穿うがたんと、いままさに三度目の刺突を構えている。


 来る。やられる。

 それは逃れようのない、絶対的な死の予感だった。


 ――まっ、ずい……ッ! この女、達人だ……!

 ――この長柄斧槍ハルバードもハッタリではない。完全に機能を使いこなしている!


 俺は左手で後方に手を伸ばすと、その手の平をグンッと掌握した。

 後方の空間が圧縮され、消滅。

 狭まった座標……二十メルテルほどの距離が圧縮され、ずれた空間に引っ張られるようにして俺の身体は遙か後方に移動する。


 あとには何もない地面に槍を突き刺した姉さんと、命からがらの緊急回避を果たした俺との間合いだけが残されていた。


 ――何たる膂力りょりょく! 何と冴えた技よ! 認めよう、力に関しては貴様の方が……


「〈エゴ〉の光よ。我が意を示し、焼きぜよ」


 途端、姉さんが手を上にかざして魔術の詠唱をする。


 【ファイアボルト】。それは昨日、憲兵が使った初級の火炎魔術だ。

 しかしそれは……。

 姉さんが発動したは、果たして本当に同じ魔術なのだろうか?


 一瞬、墓地に太陽が出現したのではないかと思った。

 それほどまでに姉さんが創り出した火球は大きく、上空にたたずむ業火はまるで審判の火のようであった。


(でかい! そこらの屋敷よりもでかいぞ!?)


 憲兵の火炎魔術は手の平サイズだったのに、同じ魔術でも〈エゴ〉の量が違うだけでここまで威力が桁違いになるのか!?


『ふん。魔術比べか? 良かろう、受けてやる!』


 俺もまた、腕をかざすと魔術を唱える。


 ――この俺があえて劣等の技を使ってやるのだ。その真意を見抜けぬ迂闊うかつさを知れ!


『〈エゴ〉の光よ! 我が意に従い、瀑布ばくふの砲弾となれ!』


 〈操〉の【覇界魔術】。

 俺は上空にある浮遊島の永久水源に干渉すると、滝の勢いを利用した水の砲弾を創り出した。

 そのサイズは火球よりも一回り大きい。

 さらにそれは、ただの水ではなかった。

 水の表面は超高圧水流の激流で覆われており、触れるだけで岩をも砕く必殺の威力を秘めている。


『そうらっ!【ハイドロ・フォール】!』


 放たれた水流と火球が互いにぶつかり合い、金色の衝撃がほとばしる。


『バカめ、火が水に勝てると思ったか! このまま削りきられて溺死しろ!』


 属性や常識といった観点から見れば、炎はただちに鎮火されるはずだった。


 しかし姉さんの放った火球は消されることなく、水流の中を突破する。


『なっ!? そ、そんな……そんなバカなッ!? うおおぉォォオオッ……!!』


 水流が蒸発して四散する中、飛来した業火に俺は全身を飲み込まれる。

 爆風と共に周囲が紅蓮の炎で包まれ、墓石までもが溶け消える。

 自らの闘気を全開にして防御するが、その灼熱は御しきれるものではなかった。


『な、なぜだ……こんな、ことがァァっ、なぜ火で水を消せるのだ!? 魔術の属性としてあり得んッ!』


「愚問ですね。あなたを殺したいという私の〈エゴ〉が、常識を上回った。それだけの話です」


『!!!』


 魔術はエゴとエゴのぶつかり合い。

 属性の有利にあぐらをかいた時点で、こちらの敗北は決定していたのだ。


 ――まずい……。勝てん! この女、強すぎる! いまは、いまは逃げなければっ!


 俺はいまだに燃えさかる炎を振り払いながら、撤退しようとする。


「逃すか」


 当然、それを見逃すほど姉さんは甘くない。

 俺は気絶して倒れたままのリリーシェをつかむと、そのまま姉さんの方に放り投げた。


「……っ!」


 一瞬。一瞬だけでもその気を引ければ良い。

 投げつけられたリリーシェを抱き留めた姉さんは、そのまま体勢を崩し、俺はそんな彼女を尻目に脱兎のごとく逃げ出した。


 ――なんということだ! あんな恐ろしい女がこの世にいようとは!

 ――油断した。必ず……必ず復讐してやるぞ……レーテシア……!!


 復讐の怨嗟を漏らしながら、だんだんと意識が薄れていく。

 そうして俺の視界はゆっくりと闇の底へ沈んでいった。

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