第20話 姉の愛情

「あら。ユー君、どうしたのこんなところで」


「あ、ああ。いや、ちょっと父上の思い出に浸っていてさ」


「クスッ。変なの、ユー君ってば小さい頃このお部屋に入ったことないでしょ?」


「あっ……あれー!? そうだっけ? でもさ! こうして書斎の様子を見てると、なんというか、色々考えふけりたくなるんだよね!」


 しどろもどろになって言い訳を考える。

 そんな俺の様子を知ってか知らずか、姉さんは俺にゆっくりと近づいてくると……


「大丈夫だよ」


 そう言って、優しく俺を抱きしめた。


「この城はもう、ユー君の家なんだから。堂々としてくれていいの。ユー君がいちゃいけない場所なんてないんだからね?」


 なでなでと、まるで叱られるのをおびえる子供をあやすように頭をなでられる。


「あ、あのさ。何で姉さんは……俺にそんな優しくしてくれるんだ?」


「え?」


「だって俺は〈エゴ〉がない不良よからずなんだよ? みんなが当たり前のようにできることを何一つできなくて、一族の恥って……こんな奴は弟じゃないって思わないの?」


 そう尋ねると、姉さんは長いまつげにふち取られた瞳を潤ませ、ふるふると首を振ってみせた。


「たった二人の姉弟なんだもの。そんなこと思うはずないわ」


「いやでも、姉弟だからって無条件に優しくなれるような世界じゃ……」


「そう、たった二人なの。王の実子の割に、私たち兄弟が少なすぎると思わない?」


「え? ……あっ、言われてみれば確かに……」


 親父は兄弟が九人、従兄弟が三十八人いたって言ってたっけ。

 そりゃそうだ。

 王族なんて子供を作ってナンボの一族。

 自分の血縁を増やして領地を統治させるのが、貴族として正しいはずだ。


 しかしそうなると、確かに国王の子供が俺たち二人だけというのは少ない。

 親父は統一王と呼ばれるぐらい侵略に意欲があり、諸国を征服しまくってきたはずなのに。

 ならば当然縁談だって、何人もの妃やめかけを召し抱えるハーレムを築いたっておかしくなかったはずだ。


 恐らくは祖父までの代はそうだったのだろう。

 でなければ、カロン公爵を始めたとした親族が多い理由に説明が付かない。

 けれど、親父は……しなかった。

 そういえば母の死後、再婚すらしていないな。

 俺と姉さんの母親……最初の妃をとても愛していたから?


 でも仮にそうなら、俺たちに兄弟がもう少し多くても良いような気はする。

 そもそも単身で他国を武力制圧できるのだから、政略結婚なんて必要なかったということだろうか?


(もしくは、ただただ単純に子供が嫌いだったとか?)


 案外その線が、一番濃厚のような気がする。

 だってその捨てられた当人がここにいるのだ。

 あまつさえ追放先の流刑地はアンヌンの森の最奥……

 非人間族が暮らす自治区だぞ?


 非人間族。

 つまり〈エゴ〉が皆無の俺は、エルフやドワーフと同様に人間として扱われていなかったってことだ。

 どんな嫌がらせだよ。


(まあ、そんな人間立ち入り不可の秘境に送られたおかげで、異端審問官や暗殺者に襲われずに済んだんだけどな)


 あれ? そう考えると、俺は人間社会で暮らすよりよほど安全に過ごせていたってことになるのだろうか……?


「私ね、ずっと寂しかった。私が初めて魔術を披露したとき、お父様がひどく落胆した顔を見せたのを覚えているわ。以来ずっと、お父様は私に冷たかった……」


「え……」


 姉さんの身の上話。

 けれどその眼差しは消沈し、美しい顔に悲しげな影が宿る。


「それまで優しいお父様だったのに、魔術を見せてからお父様は人が変わってしまったように私に見向きもしなくなったの。とてもつらかったわ。何か粗相をしてしまったんじゃないかと謝ったけれど、一顧いっこだにしてくれなかった……」


 恐らくそのときの姉さんは、幼児として低量の〈エゴ〉しか発露していなかっただろう。

 けれどそれは常識の範疇で、別に失望されるようなものはないはず。


「幼心にね、お父様は子供が嫌いなんだって思ったわ。でもそんなあるとき、お母様の妊娠が発覚した」


「よくそのノリで……その、子供を作ろうと思ったな親父は。もしかしてとは思うけど……」


「不貞なんかじゃないわよ。ちゃんとユー君はお父様とお母様の子供だから安心して」


「あー……う、うん。でも、どうして親父は急に?」


「お父様もきっと不安だったのよ。……人類最後の日が」


 人類最後の日。

 いきなり終末感のある言葉を言われてゾクリとする。

 この手の物騒な話題は、時と場所と相手を選ぶものだ。

 だけどあの姉さんが今、俺相手に話すということは大まじめな話なのだろう。


「いまから十八年前……英雄歴・四九九九年。その翌年には人類が繁栄して五千年目。つまり人間の時代は終わると思っていたの」


「魔王出現、か」


 生命の危機を感じて子孫を残そうとする。

 そんな原始的な感情で産まれたのが、この俺というわけか。

 戦争に出兵する前日に、兵士が妻を抱くような……そんな心境だったのかな。


「私は魔王の恐怖なんかより、自分に兄弟ができたってことのほうがうれしかったわ。お母様のお腹をさすってあなたの鼓動を感じると幸せを感じたし、自分がお姉ちゃんになることの方がうれしかったから」


「……姉さん……」


「でも、お母様は難産で……あなたを産んですぐに亡くなってしまった。ものすごく、本当にものすごく悲しかったけれど、私は……お母様に一度も抱きしめてもらえなかったあなたがもっと可哀想だと思ったの」


「……」


「だから……だからね? お姉ちゃんがお母様の分まで、ユー君にうんと優しくしてあげるんだって。そう誓ったの」


 そう言ってはにかむ姉さんの瞳は、熱く潤みながらも優しげな光をたたえていた。


(なんっ、ていうか……)


 こんな風に思って、自分の誕生を祝福してくれた姉がいたことを……俺は知らなかった。

 だって俺の意識としては、地球人からいきなり赤ん坊に意識が置き換わったように感じられてしまったから……。


 なぜ俺は家族の愛情に鈍感だったのだろう?

 疎ましく思っていたのだろう?


(考えるまでもないか)


 地球にいた頃から既に、俺自身が家族を愛していなかったからだ。

 鍛冶職人の家に生まれ、家業を継ぐことを強いられストレスを感じていた。


 親のことを……自分の人生を勝手に決めるむかつく連中だと思っていなかったといえば嘘になる。

 人生のレールを敷かれたくない。

 本当はやりたいことなんてないのに、やりたいことをできないと思い込んで自分の人生に捨て鉢になっていた。


 俺には家族への愛はおろか、自分を信じてやれる自己愛すらもなかったのだ。

 そんな俺がこの世界で〈エゴ〉を持たないのは、当然だったのかも。


「ユー君が産まれてから、お父様も変わったわ。ユー君は知らないと思うけど、お父様はあなたのことを希望と呼んでいたの。表向きはどうか知らないけど、お父様はユー君のことを愛していたと思うわ。私なんかよりも、ずっとね」


 それは……何となく覚えている。

 親父は俺に魔術の素養がないと分かったとき、泣いていたからだ。

 そしてその涙は、跡取りに恵まれない悲しみの涙というよりは……

 まるで、うれし涙のようなものに感じた。

 いままでずっとそれは俺の思い過ごしか妄想かと思っていたが、姉さんは同じように考えていたらしい。


「だからね、ユー君はいらない子なんかじゃないんだよ? 自分なんか、って言い方されるとお姉ちゃんも悲しいな」


「う……うん、ごめん」


 頭を胸に優しく押しつけられ、よしよしと撫でられてしまう。


(女神か……)


 こんな優しい姉と一緒に暮らせるなら、ここでの暮らしも悪くないかも……

 そう考えたとき、不意に昨晩悪夢で見た囁きが脳裏にこだました。


 ――では、本当の王位継承戦を始めよう。


「……ッ!」


 本当の、王位継承戦。

 本当の?

 本当って……何だ?


 黒騎士は一連の王族怪死事件が、姉さんが犯人のように語っていたが……ありえない。

 だって他ならぬ俺自身が、自分が犯行を行うところを見ているからだ。

 少なくとも昨晩、謎の力でカロン公爵を殺害したのは俺……。

 あのときの俺は王族への深い憎悪に囚われていたように感じる。


 もしも親族を殺して、候補者を脱落させるというのなら王女である姉さんは?

 あんな快楽殺人を楽しむ衝動が俺にあるのなら、その毒牙はいずれ肉親であるこの人にも向くのではないだろうか!?

 万が一、万が一にも自分でこの優しい姉を殺すようなことになったら……。


(だめだ! そんなの……絶対に許せるはずがないッ!)


 俺は姉さんの両肩に手を置くと、その腕を伸ばして距離を取る。


「あの、さ。俺……やっぱこの王都から出て行こうと思うんだ」


「えっ!? ど、どうして!?」


「理由はいえない。けど、その方が絶対にみんなの幸せになると思うんだ」


「な、何でかな? そんなこと言うの……ユー君、酷いんじゃないかなぁ」


「……ごめん」


 うなだれたまま、泣きそうな声に応えるしかない自分に嫌気がさす。

 お互いにしばらく押し黙ったあと、沈黙を破ったのは姉さんの方だった。


「ユー君……何か不安に思ってることがあるよね?」


「い、いや。ないよっ!」


「嘘だよ」


「嘘なんかじゃ……っ」


「お姉ちゃんのこと、まだ信じられないかな……。二人きりの家族なんだし、困ってることがあったらお姉ちゃんに相談して欲しいな。お姉ちゃんが悩んでるときはユー君には相談にのって欲しいと思うし……もしもユー君に悩みがあるのなら、お姉ちゃんも力になりたいって、思うよ……」


 言葉尻をすぼめながら、頼って欲しいとアピールする姉さん。

 その表情はまるで、弟からの信頼を得られないことに対する無力感を嘆いてるような、そんな気がした。


(そうじゃない……そうじゃないんだよ、姉さん……っ)


 俺は、間違っているのだろうか?

 この姉を傷つけまいと距離を置こうとすることが、本当に正しいのだろうか?

 先ほどの会話で、この人が弟の俺をどれだけ深く愛してくれているのかは分かった。

 だからこそ、俺も彼女の身を案じて距離を取りたいと思う。

 たとえそれで一時、心を傷つけることになっても……その身が守れるならば。


(――だがそれは、俺のではないのか?)


 俺の独りよがりな善意であり、彼女の悲しみを汲もうとしないのは事実だ。

 結局、俺が至らないからこそこんな問題に巻き込まれているというのに。


 俺はもっとよく知らないといけないんだ。この世界のことについて。


「少しだけ……時間を欲しい。もう少し、考えてみるから」


 俺はそう言うと、姉さんを残して執務室を後にした。

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