第16話 異端審問官、再び

   ◆


 石畳を進んだ先にある、殺人現場。

 その場所は既に人払いをされており、驚くほどに閑散としている。

 そこには人だけではなく鳥や虫すら寄りつかない、生命を冒涜する異常な痕跡が残されているような……そんな予感を俺にいだかせた。


 何もないはずの街路はせ返るほどの血臭が漂い、不快感を以て俺を出迎える。

 殺人現場というのは、得てしてこれほど不気味なものなのだろうか?

 さらに、本来なら誰も立ち入れない禁止区域であるはずの中――


 それは、あまりにも異彩を放って床に鎮座していた。


 おびただしいほどの血が地面に広がる中……街路のど真ん中にあるもの。

 を見た途端、俺はうめくように声を上げる。


 片膝を突いて地面を見つめていた相手……

 髑髏の兜を被った黒騎士アアルシャッハは、顔をもたげると緩慢かんまんにこちらを振り返った。

 兜越しに注がれる胡乱うろんな眼差し。

 俺は嫌なものに顔を背けるようにして、隣の兵士に話しかける。


「何であいつがいんの? ここ、バラバラの遺体があった場所なんだよな?」


「不明です。あそこから動きませんし、話しかけようにも……その、奴との会話は、例の声を恐れて誰も……」


 たった一声で異常をきたした本人が言うのだ。

 その驚異は身をもって味わっているに違いない。

 会話しただけで心が砕かれる相手なんて、誰だって近づきたくないに決まってる。


「あぁ。わかった、俺が行く。他の兵士は声の届かないところまで下がっててくれ」


 腰を上げてゆっくりと向き直る黒騎士に、俺は近づいていく。


「よお。人様の姉貴を侮辱してくれた無礼者が、こんなところで何をしてんだ」


「……」


 できるかぎり、ふてぶてしさを装って話しかける。

 こっちはお前なんか怖くないぞ、と。

 粋がってみたいたところだが、やっぱりこいつの髑髏顔が怖すぎて自分でも表情が引きつりつつあるのが分かった。


「白騎士はどうした? 一緒じゃないのか?」


 あっちの方が、まだ会話の相手としては成立していたんだけどな。


「――そうか。貴様は……平気だったな……」

 

 ドスの効いた、兜越しに響く低音の声。

 その黒騎士にびびらないように、思わず虚勢を張ってみせる。


「あ?」


「私も誰かと話したいと思っていたところだ。貴様なら問題ないだろう」


 なんだこいつ。いちいち話し相手を選り好みでもしてんのか?


「ユーシア・レス・レクシオン。噂の不良王子が、よもや貴様だったとはな」


 やっぱり魔術を使えない不良王子の噂は法王庁でも有名らしい。

 どうせ悪し様に言われているんだろうなってことは想像に難くないが。


「だったら何だよ。異端者としてしょっぴくか? 非魔女狩りと称してよ」


「……他の者はどうか知らぬが、私は野蛮を好まぬ。悲鳴は好きではない」


 野蛮を好まないって、嘘つけよ。

 そんな凶悪そうなナリをして、似合わないこと言いやがる。


「初めに言っておくぞ。俺はお前が嫌いだからな。姉さんを侮辱したこと、謝るまで許さん」


「……そうか」


 ずいぶんとおとなしめな反応を示す黒騎士。

 あれ? なんだか昨日の居丈高いたけだかな雰囲気とは少し違うな。


「貴様は私のことを嫌っているかもしれないが……」


 黒騎士は言葉を続ける。


「私は貴様のことは、嫌いではない」


「は、はあ!?」


 何なんだコイツは。

 なめられたくないと思って近づいた相手から、いきなり好意を打ち明けられてしまった。

 でもそんなこと言われても全然うれしくないぞ!

 第一、どうしてそんな脈絡のないことを――


「貴様には、リリーシェが世話になったようだからな」


「なっ……え!? リリーシェ!? お前あいつのこと知ってるのか?」


 そういえばリリーシェは『教会の人と一緒にきた』と言ってたっけ。

 もしもそれが法王庁の異端審問官と一緒だったという意味なら、納得がいく。


「彼女とは家族のようなものだ」


 そう答える黒騎士アアルシャッハの声音は、どこか皮肉めいていた。

 俺は髑髏の兜からのぞく長い銀髪にふと注目する。

 同じ珍しい銀色の髪の毛ということは親族か?

 アアルシャッハは、リリーシェの親兄弟ってことだろうか?


(つか、こいつの性別が分からんな。甲冑の具足でタッパが上がってて身長も不明だし)


 結わえるほど髪が長いってことはもしかして女なのだろうか?

 となるとリリーシェの母親か姉妹の可能性があるのか。


「リリーシェは良い子だったのに、お前はなんつうか酷いな。特にその外面そとづらどうにかならんのか、禍々まがまがしすぎて近寄りがたいぞ」


「それでいい。その方が、声もかけられなくて済むからな」


「話しかけられたくないってことか? それを意図した姿だとでも?」


「好むと好まざるとにかかわらず、私との会話は相手の悲鳴で終わる。場合によっては二度と口がきけなくなることもあるからな。例外は、貴様ら姉弟ぐらいだ」


 髑髏顔の奥から響く抑揚のない声。

 その表情も、兜に覆われてうかがい知ることはできない。

 だが、そんな言葉を紡ぐ黒騎士の声は……俺にはどこか悲しげに聞こえた。


「だから……こんなに誰かと言葉を交わしたのは貴様が初めてだ」


「お前……」


 その声の能力は、任意のものではなくて抑制がきかないものなのだろうか?

 ただ話すだけで心を砕き、自分の意思に関わらず相手を廃人にさせてしまうのだとしたら……何だかこいつのことが少し哀れに思えてきてしまった。


「白騎士ヴァシュラートとは、話さないのか? 耳栓……してるらしいけど」


「……クックック……さあな。いずれにせよ私にそんな自由はない」


 自嘲気味に笑うだけの黒騎士。


(自由がない、か)


 リリーシェと同じ事を言うんだな……こいつは。

 そんな態度に感じ入るものを感じ、俺はふと思いついたことを口にしてみた。


「――お前さ。その兜、ちょっと脱いでみてくれないか?」


「なぜ?」


「コミュニケーションってのはお互いの目を見てやるもんだろ。素顔を見せろよ。意思疎通ってのは身振りや表情の変化でも伝えるもんだぜ?」


 なんか兜ごしに話されると、昔SNSでメッセージのやりとりだけで会話してたのを思い出すんだよな。

 短いテキストだけで会話して、相手がどんな顔をしているのかも分からない。

 そういうことだけを延々と続けてると、人間としてのような感じがして、俺はすごく不健全なんじゃないかと思ったことがある。


「少なくとも! リリーシェは全身で感情を表現してたぞ」


「頭に入れておくことにしよう。だが、貴様の要請は断る」


 にべもなく断られ、俺の話は打ち切られてしまった。


「それよりも、尋ねたいことがある」

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