三章 エゴの世界

第13話 世界でただ一人の黒髪のエルフ

   ◆


「痛ぅ……!」


 あまりの頭痛に、俺はハッとなって飛び起きた。

 当たりを見渡すと、自分が寝かされていたのは王城のベッドだったと気がつく。


(ここは、姉さんに用意してもらった貴賓室……か?)


 悪夢にうなされながら、この部屋で目覚めたことに猛烈なデジャブを感じた。

 一歩踏み出すと、途端に足がよろける。

 ぐらりと身体が傾き、力が入らない。


「ううぅ……ッ、ぐっ……ぷ」


 そのまま四つん這いになっていると、たまらず嘔吐しそうになる。

 全身からせり上がってくるのは得体のしれない倦怠けんたい感だ。

 何だ? この怖気おぞけを帯びた感覚は……。


(当然か、人を……殺す夢を見ちまったんだから……)


 いまだに心臓がバクバクいっている。

 夢の中の自分はすさまじい力を覚醒させていた。

 だが、現実の自分の身体は何も変化していない。


 それどころか、夢の感覚は秒単位の速度で記憶から消えていく。

 後に残されたのは多少の気まずさと、夢で良かったという奇妙な安堵感だった。


 俺……こんなところに寝てたってことは、あれから運ばれたのか?

 姉さんと空中庭園にいて、それから気分が悪くなって走り出したような……。

 あのときは夕方だったと思うが、いまはもうすっかり暗くなっている。

 いや、待てよ? 暗いなんてレベルじゃない。

 もはや深夜を通り越して、東の空が白んできているじゃないか。


「マジかよ、俺どんだけ長く寝てたんだ?」


 とはいえたっぷりと寝ていたはずなのに、体は不思議なくらい疲労感でいっぱいだった。


「眠い……」


 再び重くなってきたまぶたに身を任せる。

 俺は今度こそ悪夢を見ないよう祈りながら、浅いに眠りに落ちていった。


   ◆


 次に目が覚めたとき、視界に入ったのは裸の女だった。


「どわぁ!?」


 驚きのあまりベッドから転び落ちる。


「な、ななな、なな……」


 夜明け前に俺は一度起きたはずだ。

 だが、その時までいなかったはずのそれは、横にしていた身体をむくりと起こした。


「なんだ。もう少し寝顔を見ていてあげようと思ったのに」


 動揺するこちらをよそに、同衾どうきんしていた人物はいたずらっ子じみた笑みを浮かべる。


「いつの間に……。つーか、朝っぱらから何やってんだよあんたは」


「はっはっは。可愛い弟子の様子を見に来たのに随分な言いぐさじゃないか」


「たちの悪い冗談はやめてくださいよ……師匠」


 裸の女に対し、俺はその呼び名を使った。

 師匠。俺がこの世界でそう呼ぶ人物は一人しか居ない。


 ――イオルメリア・ラ・ユグドセフィラ。


 〈鋼の妖精〉のあだ名を持つ、世界でただ一人の黒髪のエルフ。

 刀作りの恩人にして、禁足地アンヌンの森を治める妖精大公である。


 見た目は人間の女性で例えるなら二十歳前後だろうか? 若い娘の姿をしながらも、どことなく老獪ろうかいなたたずまいを見せる様子は不思議な貫禄かんろくを感じる。

 シミ一つない絹のようになめらかな肌に、怜悧れいりな印象が際立つ端整な顔立ち。

 しかしその容姿は、まるで時間が止まっているかのように初めて会ったときと変わっていない。

 不老長寿。人ならざる者。

 彼女は、人間よりも遙かに長命な妖精族だからだ。

 実年齢は知らないが、最低でも五百歳を超えているはず。


 レクシオン王国の属州を統治しながら大公の名を冠するなど、彼女の待遇と権力は非人間族にしては特異なものとなっている。

 もっとも、大公というは妖精族の身分であって人間社会のそれとは違うもののはずであるが。


 もともと〈国王代理〉となった姉さんの勅令ちょくれいを俺に伝え、王都への召還に同行してくれた後見人であるので、この人がここにいることに違和感はないのだが……。


「なぜ、脱いでいる?」


「玉の輿を狙う価値が付いたからねぇ。この際、既成事実でも作ろうかと」


「この俗物エルフが。あいにく、俺にそんな価値ないからな」


 本来エルフは森に住み、神秘的な存在として知られるが……この女はかなり猥雑わいざつだ。

 ずぼらでがさつ。

 出会った当初こそ大人の女性って感じだったが、いまではすっかり素の面があらわになっている上、おおよそ貴族としての品格を感じない。

 とはいえ、そのはすな言動が心の距離を詰めさせてくれるので、ありがたいといえばありがたいのだが。


「やれやれ。王子という身分に戻ったのだから、さぞ立派な面構えになっているのを期待して見に来たのだけれど……相変わらず自分を卑下する癖が抜けないね、“勇者くん”は」


「……うるさいな」


 ユーシアという名を、勇者とあだ名して呼んでくるこの女。

 力もない、頼るアテもない、金もない、の無い無い尽くしであった俺を、それでもこの世界で生きようとするなんて勇気がある奴だと……そんな理由で付けられた。


 イオルメリア……師匠からすれば、俺は十年前と変わらぬ小僧のままなのだろう。

 まあなんというか、俺にとって良い意味で頭が上がらない存在ではあった。


「それにしても豪勢な部屋だこと」


 師匠は改めて立ち上がると、何やら魔術を唱えて一瞬で衣服を身にまとった。

 蔓草つるくさ模様の装飾が施された赤と黒の装束と羽織は、どことなく和風めいた装いだ。

 その美しい出で立ちに目を奪われつつも、あまりの早着替えに最初の裸がまるで幻だったのではないかと錯覚するほどだ。


「あれ……? 師匠……」


「ん? どうしたのかな勇者くん。あたしの美貌に見惚れちった?」


「腰回り、明らかに太くなってね?」


「……ああン?」


 冷静な指摘に、ご機嫌な表情を一瞬でしかめっ面にされる。


「服を着たにしても胴回りが……さっきのくびれより一回り違うような……おぶッ」


 みぞおちにきつい一発をもらい、俺はベッドから転げ落ちる。


「クックック……よくぞ気がついたなぁ弟子よ! さっきの裸は幻覚だ。そもそもエルフがみだりに肌を晒すわけがなかろう、たわけめ」


 貞淑な割によくもまぁハレンチないたずらをしてくるな。

 幻の裸なら良いってのかよ。


「さっきのあれは、あんたのいやらしい願望に合わせた魅惑の肢体というわけよ。最近一番ムラムラと来たモノを見せてやったのだから感謝しとけー?」


「最近一番ムラムラって……」


「めっちゃおっぱいでかかかったなぁオイ? 誰に発情してんだ? このエロガキめ。あんなえちえちな身体してんの、あたしの知る限りお姫ちゃんしかいないぞ」


「うぐ……ッ」


「あ~あっ。手塩に掛けた弟子がまさか変態のシスコンとはねぇ」


「もう勘弁してください……」


 しょうがないだろっ!?

 十年ぶりに会った実姉があんな美人になってたら、誰だってドキドキするわ!


「ま、仲がイイに越したことはないね。お互い悪感情はもってなさそうだし。あたしに用意された客室もそれなりに豪華な作りだったけれど、この部屋には負けるよ」


 そう言って部屋を眺める師匠の眼差しは、どこか鋭い眼光を放っている。


「まさか。出戻りの王子と大公とじゃ、そっちの方が扱い良いんじゃ?」


「いや、この部屋に関しちゃ余人ではありえないもてなしを受けてるよ勇者くんは」


「わからん……。どの辺がそっちの部屋より豪華なんだ」


「たとえばこの貴賓室の壁紙。あんたは気がつかないだろうけど対魔術用の障壁が幾重にも掛かってる。もし外から大量の軍用魔術をぶち込まれても、簡単にはじき返せるほどの要塞仕様だよ。さらに部屋の前の廊下は【迷いの森】の術がおまけ付きだ」


「一本道の廊下なんだから、迷うも何もないだろ」


「ところが、迷うようにできてるんだよ。あんたに敵意や害意をもった人間は絶対にこの部屋にたどり着けない……そんな不思議なカラクリが仕掛けられてるのさ。いわば都市を守る〈結界〉が、あんたの部屋宛てにもう一枚張られてるってこと。こりゃあ暗殺者は絶対に近づけないね」


 暗殺者って……。まさか俺が誰かに狙われるってことか?


「あと、この机に置いてある国賓待遇の証。これ、命の危機に一度だけ身代わりになる魔除けの札が隠されてるね。この札一つ売るだけで小国の財源が百年は潤うぐらい価値のあるものだよ。この部屋を用意した人間からは、あんただけは絶対に守りたいっていう強烈な意思を感じるわ」


「そ、そんな高価なものだったのか」


「まあ、ゆーても勇者くんはお手製の〈覇鉄はがねの剣〉を持ってるからねぇ。その剣自体がお守りみたいなもんだし、お姫ちゃんは取り越し苦労だなぁ」


「お礼は改めてちゃんと言っておくよ」


「うんうん、そうしときな。……ん~、しっかしこの部屋は気になるなぁ」


 顎に手を添えながら、いぶかしげに部屋の中を眺める師匠。

 その目に宿る光は、感心したものから別のものへと切り替わる。


「まだ他にもセキュリティがあるとか?」


「んー。いやね? この部屋、【遠見の術】でも見張られてるんだよね。防犯目的にしては些か過剰すぎるような」


「見られてる? ……え? 何? 俺姉さんに監視されてるってこと?」


「そう、監視……。あ、わかった。女対策だ! あんたが悪い女を連れ込まないよう、見張られてるのかも?」


「あのな、俺にハニートラップなんてあるわけないだろ」


「分からないよぉ? 勇者くんはあのアイデスの息子だし。放逐されたとはいえレス王国の王子なんだから、娘と縁談を結ばせたいっていう貴族は星の数ほどいるだろうねぇ」


 縁談って……マジかよ。

 こんな俺にも女性が言い寄ってくることがあるのだろうか?

 つーか仮に見張られてるとしたら、横で寝てたあんたが一番まずくないか!?


「とはいえ、この魔術社会じゃ〈エゴ〉がない勇者くんはモテないからなぁ。いかにレス王国の王子とはいえ〈エゴ〉の強い貴族の令嬢としては……死んでも嫌だろうなぁ」


 ニコニコ顔でさらりと酷いことを言ってのける。


「だからハニトラ対策としての監視は、アリよりのナシなんだけど。じゃあそれ以外の目的で監視となると……」


 師匠はそこで一拍言葉を切ってジッと俺を見つめる。が……


「ま、いいか。深い意味なんてないよ、きっと」


 あっけらかんと断言した。

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