第12話 魔人の狂宴

  ◆


 それからいったいどれだけ眠っていたのだろう。

 俺は、ゆっくりと目を覚ました。

 あれほど感じていた気怠けだるさ、吐き気は全くない。


(ここは、どこだ?)


 気がつくと俺は全く見知らぬ場所にいた。

 王宮の中ではない、どこかの山林さんりん

 夕日は落ち、辺りはすっかりと暗くなっている。

 遠くに見える街の明かりが、なんとなく現在の居場所をほうふつとさせた。

 ここは王都を囲む盆地の一角。城の裏山に位置する場所だ。

 がむしゃらに走りながら、こんなところまで来てしまったのだろうか?


(夢遊病ってやつか)


 気絶しながら、ここまで来られるなんて……

 ハハ、俺って魔術を使えるよりすごいんじゃないだろうか?

 そんな風に考えていると、確かに全身にみなぎる不思議な力を感じた。


 身体に満ちる、かつてないほどの躍動やくどう感。

 酩酊めいていするほどの万能感が去来きょらいする。


 ――たぎる。


(え……!?)


 声が聞こえた。もう一人の誰かの声。


 どこから? と思う間もなく、それは内側から発せられたものだと気がつく。

 そう、それは……これまでに何度も夢の中で聞いた、あの声だった。


 ――ついに目覚めたぞ、この身体に。


 身体? 俺のこの身体がなんだってんだ?

 そう思いながら自分の手足を見て、愕然がくぜんとなる。


 俺の身体は、獣じみた真っ黒い体毛に覆われていたからだ。

 いや、違う。

 毛のように揺らいで見えたのは……漆黒の火炎……?

 どす黒い煙が……炎のように揺らめく何かが俺の全身を包み込みこんでいた。


(何だ? 何なんだこれは!? 燃えてるのか俺は?)


 熱くはない。

 炎……いや煙?

 あるいはオーロラのようにも見える気流は、俺の身体から立ち上り、シルエットとして全身を覆っている。

 自分の燃え上がる腕を眺めながら、その手の平にはギョッとなった。

 手が、おかしい。

 骨格からして常人の二倍に膨れあがり、鋭いかぎ爪がある。

 そしてそれを握り込むだけで、酔いしれるほどに甘美かんびな力の胎動たいどうを感じる。


(どうなってんだこれは……)


 ――目覚めたのさ、俺本来の姿に。


(本来の姿!?)


 再び聞こえる謎の声。

 間違いない、この声はこの肉体から漏れている。


 ――俺たちの血に眠る、いにしえの力。それが目覚めた結果、こうなった。

 ――これぞ証。これこそが王の力。さあ、本当の王位継承戦を始めよう……。


(待てよ! 王位継承戦って……いったい何をする気だ!?)


 ――愚問。秘めたる願望を遂げるまで。


(願望? 願望だって? それって、まさか……)


 ――殺戮さつりく


 そう言って俺の肉体は、天高く咆哮ほうこうを上げてみせた。

 空気がビリビリと震撼しんかんする。

 まるで百匹の獣がいっせいに雄叫おたけびを上げたかのような、慄然りつぜんたる叫び。

 これが本当に俺の……人間の喉から発せられる声なのか!?


 ――さあ、宴を始めよう。


 足をりきませ、跳躍ちょうやくする。

 視界がものすごい勢いで縦に動き、直後一瞬の停止があった。


(な……っ!?)


 空を、飛んでいる。

 視界いっぱいに広がるのは夜空に浮かぶ満天の星と、彼方に見える遠い地平線だ。

 信じがたいことに俺はただのジャンプで盆地を飛び越し、いま長い滞空時間を得ながら城下町に落下しているようだった。


(すげぇ、鳥の視点ってこんな風なんだ……)


 呆然と生身で感じる俯瞰ふかん風景に驚愕しつつも、強烈な違和感が次第に芽生える。

 ジャンプだけで山を越えるとはどういうことだ?

 しかも遅い。

 落下しているのにものすごく時間の流れが緩慢かんまんに感じる。

 それはまるで、自分の時間だけが加速しているような……奇妙な感覚だった。


 ――見つけたぞ。


 空高くから地表を見下ろし、猛禽もうきん類のような眼光で王都を睥睨へいげいする。

 するとまるで視界がズームするように、上層街の一角が鮮明に目に映った。

 そこにいたのは、あのカロン公爵。

 酔っ払っているのか、周りには五人の護衛を引き連れながら千鳥足ちどりあしで歩いている。

 さらに兵士の二人には見覚えがあった。

 下層街で食い荒らしをしていた二人組の憲兵だ。


 ――では、片づけるとしよう。


(え?)


 緩やかだった時の流れが解除され、一気に猛スピードで落下する。


(お、落ちる……死ぬ……っ)


 この高度から落ちれば墜落死するに決まっている。

 しかし俺の身体はそんなことを気にした風もなく、地上の公爵達に急降下し……


 まるで隕石が落ちたかのような衝撃をともなって兵士の身体を踏みつぶした。


「は……?」


「……え?」


 着地時のけたたましい轟音ごうおん

 圧殺された兵士の血潮ちしお

 クレーター状にえぐれた石畳の欠片が宙を舞い、風圧で吹き飛ばされた兵士たちは何事かと愕然がくぜんとなる。

 突然人が降ってきて、仲間が潰された。

 そんな突飛な状況を目の当たりにし、冷静でいられるはずがない。


「な、な、な、ななな、なぁっ、何だっ貴様ぁぁァアーーッ!?」


 ――どけ。


 ヒュッと腕を振るう。

 薙ぎ払われた兵士はきりもみしながら吹き飛び、上層街の家屋へとたたきつけられた。

 その様はもはや原形をとどめておらず、潰れたトマトとしか言いようがないありさまで。


(ううう゛う゛ぅぅっ……ッ!!)


 涙が溢れ、猛烈な吐き気がこみ上げる。


(こいつ……! 一瞬で人間を殺しやがった! 二人も! 何の迷いもなく、花でも手折るように!)


 一撫ひとなでで人間を肉塊にする、超人じみた腕力。

 高高度こうこうどから落ちて、地面を踏み抜いてもものともしない異常な脚力。

 それらの生々しい反動を体験しながら、俺は自分の身に何が起きているのかいまだに理解できていなかった。


(いったい何だ? 何なんだよこれはっ!?)


 肉体の感覚はあるのに、まるで言うことをきかない。

 身体の主導権は完全にもう一人の俺に握られ、指一本動かすことができない。

 俺にできるのはただ傍観することだけ。


 黒く燃える身体といい、いったいどうなっちまってんだ俺は!?


「こ……このっ、化け物があぁぁッ!!」


(化け物!?)


 兵士が発した明確な言葉にハッとなる。

 やはり、そうなのか?

 骨格と言い、黒い炎といい、俺はいまどんな姿をしている?

 怪物になってしまっているのか?


『違うな』


 不意に、もう一人の俺が喋った。

 こいつ、声を……肉声を出せるのか?

 けれどその声は、人でも獣でもない不可解なノイズとなって耳朶じだに触れる。

 言葉の意味こそ理解できるものの、まるでテレパシーのようだ。


『俺こそが、人間。お前ら被造物ホムンクルスとは一線を画する存在だ』


「な、何をしている貴様ら! 早くこの儂を守らんかぁッ!」


 公爵が怒鳴り散らすと、護衛の兵士達が一斉に杖を振りかざし魔術を使い始めた。


「「〈エゴ〉の光よ……!」」


「我が熱意に応え、光弾となりてほとばしれ!」

「我が冷徹さに従い、無情なる矛にて刺し穿うがて!」

「我がひょう然たる意のままに、見えざる波にて打ちつけよ!」


 空中には無数の火球、鋭利な氷柱、圧縮空気の塊が形成され、その矛先がこちらを向く。


――【フレイムバレット】、【グレイシャルスピア】、【エアブロウ】か。三種とも高位の軍用魔術ではあるが……。


「「くたばりやがれぇーッ!!」」


 面制圧による大火力攻撃。

 爆炎と衝撃波、一点突破による貫通力を持つ魔術の総攻撃を食らいながら……

 俺は彼らの無意味さを、悲しいまでに感じ取ってしまった。

 痛感と呼ぶには皮肉が効きすぎだろう。

 全く何ともないのである。

 感覚を共有しているがゆえに、痛くもかゆくもないという絶望的な感覚が肌を通して理解できてしまうのだ。


「ハァーッハッハッハ! どうだ我らの魔術は!?」


「見たか! 王国兵士の力を!」


 もうもうと砂煙が立ちこめる中、兵士達が声高々に叫ぶ。


『こんなちゃちな攻撃で、俺を倒せると思っているのか?』


 ぞわりと、悪寒が走った。

 それは兵士達も感じただろうが、何よりも俺自身……。

 これから行われる悪夢のような出来事を、簡単に予想してしまえる状況に。


「ば、ばかな……効いていない、だと……」


「そ……そんな……ふ、不死身か……?」


 顔面を蒼白にする兵士をよそに、俺の視線は空中を漂う光の残滓ざんしに向けられる。


『愚かな。〈エゴ〉がせめぎ合い、互いの属性を相殺することに気がつかぬとは』


 各人が放った魔術は、確かにそれぞれが自慢の攻撃方法だったのだろう。

 しかし氷は炎で溶け、炎は強すぎる風で霧散し威力が半減している。

 俺が俺が、と言わんばかりの攻め手は、仲間の足を引っ張る惨事を招いたのだ。


 ――〈エゴ〉とは、すなわちを通す力。

 ――そうして世界に干渉するすべを、魔術と呼ぶが……所詮は


 三人の兵士達は公爵を残してこぞって逃げ出した。

 それぞれ北と東西に分かれて。


(いいぞ、急いで逃げてくれ! こいつと戦ったらダメだ!)


 このままここにいたら殺される。早く逃げるんだ!

 俺は必死になって叫んだ。

 散り散りに分かれてさえくれれば、生存率が上がるはず。

 だけどそんな俺の祈りは、まるであざ笑われるかのごとく……


『教えてやろう。〈〉ってのは、こう使うんだ!』


 俺の身体は、異形の手の平を前方に向かって突き出す。

 すると世界から色が失われ、一瞬……何もかもが灰色になったような気がした。


 気がつくと、目の前には五人の兵士がきょとんとした表情を浮かべて立ち尽くしている。

 五人……である。

 最初に踏みつぶされた兵士も、壁にたたきつけられた兵士も、なぜか元気な姿のままそこにいた。

 当然、散り散りに逃げたはずの三人も全て。


「え? え? あれ?」


 急降下や魔術の総攻撃で吹き飛んだ地面、周囲の民家までもが元通りになっている。

 まるで時間が巻き戻ったとしか思えない。

 そんな異様な状況が広がっている中……


「あれ? 俺たち、生きて……?」


『――死ね』


 そしてもう一人の俺は、突き出したままの手の平をグンッと掌握しょうあくした。

 直後、まるで空間が収縮したように兵士達が一カ所にせばまり、互いの身体が密着したままバキボキュと嫌な音を立てて折りたたまれていく。

 やがて肉と骨がきしむ音が止むと、空中には血まみれになったバレーボールサイズの肉塊だけが残り、それがごとりと地面に落ちて転がった。


『ククク……これで少しはまとまりができたか? これが〈魔法〉だ』


(こ、こいつ。人間を文字通り圧縮しやがった)


 どうやって? という疑問を挟む余地すらない。

 目の前で起きた奇怪な惨殺は、ただただ常軌をいっした事実を端的たんてきに述べている。

 何よりも悪趣味なのは、その殺し方だ。


 死んだ兵士達を生き返らせた上で、また殺したのだ。


(イカれてやがる……!)


 なんて残酷な奴なんだ。

 それに時間を戻すなんて、とても人間業とは思えない。


 それに、なんだ?〈魔法〉って言ったか? 〈魔術〉とは違うのか?

 詠唱をしなかったし、魔術とは根本的に別物なのだろうか?


『言語化された真理は劣化する。おのが渇望をあるがままに履行りこうする。それこそが真なる魔』


 俺の身体は残されているカロン公爵へと向き直った。


『公爵よ……この俺を覚えているか』


 カロン公爵はどこか放心した顔を浮かべていた。

 時間が巻き戻った影響だろう。

 恐らくは錯乱していたであろう精神も、綺麗にリセットされている。

 それでも公爵は見たはずだ。

 目の前の怪物が、兵士達を奇怪に惨殺する光景を。


「な、何じゃ貴様は!? わ、儂を誰と心得ている! アケロニアの公爵だぞ!」


『覚えていまい……覚えているわけないよなあ? ……あァ、お前はそういう奴だった。だからこそ、その傲慢……万死に値する』


 もう一人の俺は公爵へとにじり寄った。

 その溢れる憎悪と殺意は、同調している俺すらせ返るほどで。


「ヒィィ!? う……うぅっ、や、やめろぉ……誰か助けてくれぇ!」


 腰を抜かし、涙と鼻水で顔面を濡らしながら命乞いをする公爵。

 公爵ならば彼も優れた魔術師であるはずだが、恐怖に駆られた状態では〈エゴ〉を扱えないらしい。

 それほどまでに目の前で起きた惨殺と俺の気配は、相手を萎縮させるものだったのだ。


(やめろ! これ以上殺すな!)


 ――何をいい子ぶっている? 庭園で愚弄された怒りを忘れたのか?


(殺したいと思ったわけじゃない! 俺はこんなことを望んでいない!)


 ――誤魔化すなよ。俺が殺すと言った以上、こいつの死は絶対だ。


 絶望に染まるカロン公爵の顔を眺めながら、もう一人の俺は暗い愉悦を感じていた。


 ――ククク……俺は宣言したぞ。貴様は万死に値する、とな。


『殺してやるぞ。何度でも。何度でも巻き戻して殺してやる! この俺が貴様になめさせられた苦渋は、一度や二度の死ではあがない切れぬ!』


 異形の手の平がかざされ、世界は再び灰色へと包まれる。

 それは再び、時間をあやつる魔法の前触れで……


(やめろ! やめろやめろやめろぉぉーーッ!!)


『夜が明けるまで死に続けろ』


 惨劇の産声うぶごえに、他ならなかった。

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