第9話 覇王の足跡

   ◆


「くそっ、とんでもない連中だったな」


 人を呼び、倒れた侍女を医務室に運ばせながら事後処理に務める。

 外の廊下でうずくまったままだった近衛このえ兵士達にも休むよううながし、俺は執務室の濡れた床を雑巾で拭きながら姉さんに声を掛けた。


「完全に侮辱だろ。あんな奴ら、不敬罪ふけいざいで逮捕しちゃえば良かったのに」


「いいのよ。そんなことをして、ユー君に難癖なんくせ付けられる方がお姉ちゃん嫌だもの」


 難癖だって……?

 もしかして姉さんの次は、俺が異端審問に掛けられることか?

 政治上の高度な駆け引き……

 姉さんは、王殺しという侮辱を看過する代わりに、俺の王室復帰を容認しろと無言の圧力を掛けていたのかもしれない。


(ここに来て、助けられてばっかだな俺)


「それよりも、ユー君こそ床掃除なんてしなくていいのよ? 王子のすることじゃないわ」


「いや、いいよ。別の使用人にやらせたら、あの侍女の立場が悪くなるだけだし」


 心を砕く黒騎士の魔声ませい

 近衛兵が発狂するぐらいだ。粗相そそうをするのも仕方がない。


「もう、優しいんだから」


 そう言って姉さんは指をパチンと鳴らす。

 すると濡れていたはずの床は、光の線に囲われ一瞬で元通りになってしまった。

 思わず唖然あぜんとなる。俺の雑巾掛けっていったい……。


「はぁー、便利。魔術師の掃除って、いっつもこんななの?」


「普段はしないわよ。今回は特別、ね」


 ウインクして見せる姉さん。

 いまのは拭くと言うより、汚れそのものがワープして消えたように見えたぞ。

 いったいどんな原理なんだか……。


(そういや俺、魔術の仕組みって全然知らないな)


 どんなルールや法則があって、さらにどんな応用が利くのかとか、自分が使えないからって調べることもしなかった。

 いまの魔術は、さながら汚れという事象の除去って感じだった。

 さすがにこんな方法で掃除をしている人間を俺は見たことがない。

 魔法王国といえど、一般人が使う掃除魔術はせいぜいが箒を念力で動かしてゴミを掃いているくらいだからだ。


 とはいえ姉さんの力が、ここまで万能だったとは思えないのだが。


 いや、王族は特別か。

 その最たる例が、さっきさんざん話題に出たあの父王じゃないのか。 


「あの、さ」


「?」


「さっきのこと……気にしない方がいいぜ。あんな言いがかりふざけてるよ。それに、きっと父上には何かワケがあったんだよ。冷静に自分を拘束するのだって、なんか大きな魔術を使う前振りだったのかもしれないし。だって、あの父上なんだぜ?」


「……そう、よね」


 そう言って姉さんはかすかに頷いて見せた。

 破天荒はてんこうだった父ならば、そういうこともあるかもしれない。

 それはどこか、本心を押さえ込んだ願望めいた頷き方だった。


(だってさ、この優しい姉さんが王殺しの容疑者なんてあり得ないだろ)


 その美しい横顔には、既に様々な心労が見て取れる。

 王位を継ぐ。

 一見、華々しく聞こえるそれは、実態として大変なものだ。


 王は時に、三つの力を問われるという。

 この場合の力というのは、知力、財力、暴力の三つを指すらしい。

 〈レス〉の王座を継ぐと言うことはそれらを継承し、行使し続けるということ。

 そこには想像も付かない覚悟と責任が伴うのだろう。

 王立アカデミーを卒業したばかりの娘が、急に王の力を強いられる境遇というのは、いかほどのプレッシャーなのか……想像に難くない。

 特に暴力。

 それに関しては、姉さんからは一番えん遠いもののように思える。


 俺は執務室の壁に掛けられている世界地図に目を向けた。

 そこには、レス王国の領土が……先王が版図はんとを拡大し続けた結果が描かれている。

 他国を制圧する王の力。

 その一点において、亡き父アイデス・レス・レクシオンは偉大な暴君だったといえるだろう。

 民族融和政策を唱え、複数民族から成り立つ西方諸国をまたたく間に取り込み、元から栄えていたレス王国を超大国と呼べる規模へと発展させたのだから。

 それらを成し遂げたのは、王が誇示こじした絶大な暴力に他ならない。


 父アイデスは何らかの爆発魔術で大陸の一角を消し飛ばし、己の力を知らしめたという。

 その爆炎はいまもなお語り草になるほどで、大勢の人間が巨人のようにそびえる黒煙と火柱を目の当たりにしたらしい。


 王の暴力。それは強大であれど短慮たんりょに振るわれる乱暴のことではなく――


 当てることはしない、

 逆らえば決して無傷では済まないという、抑止力のことだった。


 戦争では木剣と弓による白兵戦が主な中。

 単身でキノコ雲を作り出す超絶の破壊者に攻め込まれた敵国は、どれほどの畏怖と絶望を抱いただろうか?

 以来、無血開城で隣国を屈服させ続け、レス王国は版図を広げ続けた。

 統一王とまで呼ばれたアイデスの侵略は、他国を安易に破壊せず、自治にも干渉せず、ただ属州として迎え監視下におく奇妙なものであったという。

 しかし常人ではあり得ない量の〈エゴ〉からくる偉大なカリスマ。

 〈結界〉の拡大によって支配地へもたらされる恩恵。

 天災や疫病を防ぐために、望んで支配を受け入れる小国もあったとか。


 なぜ近隣諸国を手の届く範囲でそれほど監視したかったのか、その意図は分からない。

 その偏執へんしつともいえるワンマン侵略は、まるで何かに駆り立てられているように必死な様子だったとも噂されている。


 だがそのアイデス王は、ある日……あっけなく事故で死んだ。


 王のカリスマによって成り立っていたレス王国は大混乱。大きく揺れた。

 その騒動は、遠い流刑の地にいた俺にも届いたほどだ。


 反乱や暴動の気配が迫る中、他の辺境伯へんきょうはく達では各地の〈結界〉維持もままならない。

 そんな中、選ばれたのが若干二十二歳の王女。

 レーテシア姫こと俺の姉さんだった。


 人柱として、〈結界〉を維持する役に抜擢ばってきされた姉さん。

 王の直系として国民を安心させ、さらに亀裂の入った外交問題にも着手しなければいけない大役。

 その仕事の片鱗を執務室で見ていた限りでは、それは急ごしらえの王が行うにはとても大変に思えた。


 ――それに。

 さきほどは黒騎士に啖呵たんかを切って見せたが、俺の幼少時の記憶では姉さんの〈エゴ〉は人並みだったはず。


 晩年の親父……アイデス王が異常だっただけで、姉さんの力では本来〈結界〉を張り続けることは不可能なのだ。

 様々な外圧がある中、恐らく寿命を削ってまで〈結界〉を維持している姉さん。

 だというのに弱音も吐かずに頑張っている。

 こんな人に、父親殺しなんてできるはずはないのに……。


「ユー君は……」


「え?」


「ユー君は、さっきの話……どう思った?」


 美しい姉さんには不似合いなほど、くたびれた声による質問。

 ただその問いを発することで精も根も尽き果てたような姿に、俺はひどく動揺しながらも率直な感想を漏らした。


「さすがに自殺と言われちゃ度肝抜かれたよ」


 王の不審死。それを聞かされて、何とも思わないはずがない。

 ただ親父に対してどこか悲しくなれず、他人事に思えている部分も事実で……。


 そのとき不意に気がついた。

 ――ああ、俺……この世界の家族のことを、愛していないんだな。と。


 ある日突然、異世界に放り投げられ、その住人として演じることになった自分。

 その俺からすれば、目の前に居る血を分けた姉でさえ肉親と呼べずに他人同然。


 国王が死んだ。父親が殺されたかもしれない。

 そんな話を聞いても、情報を記号のように捕らえている自分がいる。


(この人は……姉さんは、明らかに動揺しているよな……)


 姉の消沈した表情を見ていると、自分との感情の落差に気づかされる。

 実際、王とずっと暮らしていたのだから真実その通り父と娘として過ごしていただろう。

 一方俺は、王宮から追放されてのその日暮らし。

 そんな俺に、家族愛を感じろというほうが無理ってなもんだ。


 なんというか、乾いているな。

 血を分けた肉親の死に対して、なおざりになれるのは俺にエゴが……

 心が、ないからなんだろうか?


 まるで他人の人生を追体験しているような気分。

 一応、この世界でもそれなりに経験をしているのに、肉親の死という等身大の問題に触れると嫌でも思い出させられてしまう。


 もともと俺は、違うということを。


『――本当のお前はここにいるのだから――』

 

 なんとなく、いつか聞いたそんなフレーズを思い出した。

 それはどこで聞いた言葉だっただろう……?

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