第10話 始祖の血脈

「ふぅ。少し……気分転換したくなっちゃったかな。ユー君も、ちょっと歩かない?」


 姉さんにうながされ、王宮の広い中庭へと連れてこられる。

 そこは城の中だというのに水が小川のように流れ、巨大な噴水を囲むように様々な草花が咲き乱れていた。


 きさきの庭。

 そう呼ばれるこの庭園には、花だけではなく無数の彫像が並んでいる。

 歴代の王妃たちが描かれたという雪花石膏せっかせっこうの彫り物はため息がでるほど美しく、標高の高い城にこれほど見事な空中庭園があることにレス王国の文化レベルの高さと、芸術への造詣ぞうけいを改めて垣間見せられるのだった。


「ここで昔隠れん坊したわよね。覚えてる?」


「ああ……」


 当時俺があまりにも上手に隠れるから、小さかった姉さんは「ユー君どこ~?」と必死に探し回り、いつまで経っても見つからなかったため泣き出してしまうことがあった。

 しかも泣いていた本当の理由は、俺が誰かに連れて行かれたのではないかと不安になっていたというものだった。

 ひょっこり姿を現した俺を、無事で良かったと抱きしめて泣く小さな姉に対して、反省した気持ちになったのを覚えている。


「ここ、昔はもう少し地味だったんだけど。お父様がね、お母様が好きだった花をたくさん並べてるの」


「……そう、なんだ」


 俺たちの母親……王妃が亡くなったのは俺が産まれた直後。

 親父は、慰霊いれいのためにこれだけの設備を作り上げたのか。


 アンニュイな気持ちで庭園を眺めていると、身なりの良い男性が侍女達に言い寄っているのを見つけた。

 年齢は五十歳前後、亜麻色の髪に灰色の瞳。銀糸が編まれた青い服を着ている。

 かなりでっぷりとした肥満体型をしているものの、それを補ってあまりある瀟洒しょうしゃな格好だ。

 さぞ名のある貴族なのだろう。

 しかしその顔は、遠くからでも分かるほど下卑げびた表情を浮かべており、傍目はためから見て随分とだらしがない。


「良いではないか。この儂の夜伽よとぎ役など、そうそう任せられるものではないのだぞ?」


「閣下、お許しを。わたくしめには婚約者がいるのです」


「ほぉ~お? この儂よりも優先に値する男だと申すか。良かろう、そやつの名を申してみよ。何という名の男だ? そやつの仕事先、家庭も調べてやろうではないか」


「お許しを……どうかお許しを……」


「何をされているのです?」


 侍女に言い寄っていた男は姉さんに気がつくと、抑揚よくようを付けたしぐさで近づいてきた。


「これはこれは国王代理! いやぁ、相変わらず見事だなここの庭園は!」


「ご無沙汰しております叔父様。して、当家の侍女が何か粗相をしましたか?」


 叔父!?

 俺は驚いて男の顔をのぞき込んだ。

 この人も、王族なのだろうか?


「なあに、ひん客に対して今宵のとぎを任せようとしていたところよ。王族に抱かれるなど、端女はしため風情には過ぎた喜びだと思ってな」


 姉さんは侍女達に目配せして「行け」と合図をする。

 彼女らは頭を下げて、スカートの裾をつまむとそそくさと退散していった。


「当家の侍女は娼婦しょうふではございません。行儀見習いで奉公に来た、諸国のご令嬢だということをお忘れなきよう。それとも正式に婚姻を結ばれますか?」


「ハッ! するわけなかろうが。女など掃いて捨てるほどおるというのに」


 ひどい言いぐさだな。

 それに一国の姫君に対する、不遜ふそんな態度を崩そうともしない。

 まさかこんな親族がいたとは。

 俺のいぶかしげな視線に気がついたのか、叔父らしき人物はこちらを見やり、姉さんは嘆息たんそくしてみせた。


「ユー君、こちらアケロニア公国のカロン公爵。お父様の弟君おとうとぎみにあたるわ。王位継承戦にともない、王都へお越しいただいているの」


 公爵!? そんな偉い人間だったのか!? こんなエロ爺が!?


「フン。儂の名を知らんとはな。いったい誰だこいつは?」


「……ユーシア王子ですわ、叔父様」


「ユゥシア~? 王子だとォ……!?」


 カロン公爵はものすごい形相になって俺を値踏みすると、姉さんを睨み付けた。


「おいおい、おいおいおい。なぜ追放されたはずのゴミがここにおるのだ?」


「私が呼び戻しました。それから、弟はゴミではありません」


 居丈高いたけだかな態度の公爵に対し、毅然とした態度を崩さない姉さん。


「フン、虫けらにも劣るゴミが! いったいどういう了見で現れた? まさか継承戦にのぞもうだなどと、考えてはおるまいなぁ?」


「いけませんか?」


 出ねえよ、と言おうとした俺の言葉をさえぎり、姉さんが叔父を牽制けんせいして見せる。


「彼が王になっては、問題があると?」


「ふざけておるのかね? 〈エゴ〉を持たぬ者が国王になるなどと、言語道断だ!」


「あら。では叔父様は、王の器とは魔術の素養そようのみで決まるものだと?」


「当然であろうが! レクシオン王家の〈エゴ〉は、常人を遙かに凌駕りょうがする! それこそが始祖の血脈たる証ではないか」


(始祖の血脈? 何だそりゃ) 


 初めて聞く言葉だな。

 もしかしてご先祖様は相当な偉いさんなんだろうか?


「すわ、優れた魔術師であればこそ都市を守る〈結界〉も維持できるというものよ。いま! この空に浮かんでいる守護の紋章を作り出しているのは誰だ!?」


「……私です」


「さよう! そなたが国王代理でレクシオン王家の人間だからこそ、この〈結界〉は作り出されておる! ではそのゴミに、同じことが可能なのか?」


「できるわけないだろ」


 俺が答えると、カロン公爵は冷たい視線を俺に向けた。


「黙れ。儂は貴様の発言を許しておらん。身の程をわきまえぬか」


「王の資格とは、この都市の守護が可能かどうかではなく、国を発展させる者にこそ相応しいと考えますが?」


「あァ? 一緒であろうが」


「異なります。街は街、人は人、国は国です。無人の街を守る者が王になってはいけない……私は継承戦の審判役としてそう考えております」


「無人の街だぁ? そなたはこの大都市から人がいなくなるとでも言いたいのか!? 〈結界〉があれば外部からの攻撃はおろか飢饉や疫病すら防げるのだぞ?」


「つまり、脅威はないと?」


 その姉さんの質問には、ある種の値踏みする感情が含まれているように見えた。

 まるで物事の真理を見抜く洞察力が、そこにでもあるかのようない。

 一方公爵は、その意図を察してか否か自信満々に答える。


「無論だ。安全な街。この世の楽園こそイシュガリスだ。人がいなくなるなど考えられん!」


 冬でも田畑が実り続けるという奇跡の土壌。それが王都にはある。

 いや〈結界〉で覆われた支配地には、そのような恩恵が与えられるのだ。

 他にも疫病は一切広まらず、ばい菌やウイルスといったものが〈結界〉の内部では自動的に消滅していると考えられる。


 とはいえ人間がいる以上、問題だって起きるはずだ。


傲慢ごうまんな領主が圧政をいたら、内乱が起きたりして滅ぶんじゃねえの?」


 むしろそっちのほうが国が崩壊する要素として多そうだが。

 そんな疑問をぶつけると、公爵は憤然ふんぜんとした目つきでこちらを睨んだ。


「二度目だ、口をつつしめゴミめ。不敬罪でいますぐ処刑して欲しいか?」


「いいえ、三度を超えましたわ……叔父様」


 姉さんは冷たい口調でつぶやいた。


「四度目は、許しませんよアケロニア公。弟への侮辱、撤回していただきたい」


 何を生意気な……と、公爵は憮然ぶぜんと姉さんを振り返る。

 が、その表情は一瞬で青ざめたものへと変わった。

 その視線が素早く泳ぎ、姉さんのてっぺんから爪先、両肩にまでくまなく向けられると、公爵は脂汗あぶらあせを流しながら後ずさりを見せる。


(どこを見てるんだ……?)


 俺には〈エゴ〉が感じ取れない。

 だが、カロン公爵はダイレクトに〈エゴ〉の変化を直視できるのか、姉さんのまとっている凄絶せいぜつな何かにおののいている様子だった。


「うううゥッ!? く……っ、さては読めたぞ。貴様! 審判役として継承権を放棄しておきながら、その出来損ないを王座にける腹づもりであろうが!? み、認めん。認めんぞ小娘! 新たな王になるのはこの儂だ!!」


 カロン公爵はきびすを返すと、逃げるように大股歩きでその場を去って行った。

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