二章 魔王伝説

第7話 教会からの使者

   ◆


 午後になり、王宮へと帰ってきた俺は姉さんがいる王の執務室に訪れていた。

 これまで父……先王アイデス・レス・レクシオンが仕事をしていた部屋。

 その空間に漂う残滓ざんし……壁に掛けられた絵画などを見ると、父が何を考えてこの作品を飾り、眺めていたのだろうかと思いをはせる。


 魔法王国の王子が魔術を使えない。

 その事実を知った父の胸中は、幾ばくのものだっただろうか?

 もしも俺が王だったとしても、やはり追放処分を下したのではないかと考える。

 当然だろう。

 この国の世継ぎにしては、あまりにも聞こえが悪いからだ。


 だが……思い出の中の父は、決して冷たい雰囲気ではなかった。

 俺に〈エゴ〉がないと発覚したとき、周囲の人間は俺をゴミ扱いしたが、本人はむしろ感動したように涙を流していたのだ。

 そしてまるで旅行にでも行ってこいと言わんばかりの笑顔で、俺を僻地へと追いやった。

 専属の護衛も付いていた。

 路銀も大量に持たされた。

 だからなおさら理解できなかった。

 なぜ忌まわしき息子を、虫けらにも劣る王子を、厚遇し憎まぬまま……

 送り出せたのかと。


 かと思えば姉さんからの便りはすべて握りつぶしていた。

 俺という情報が外に漏れることは防いでおきたかったのだろう。

 その矛盾した言動ゆえに、俺は僻地へ追いやられながら、ついぞ父を憎むことはできなかった。


 残されたのは、ただただ強い疑問符のみ。


(あんたは一体何がしたかったんだ? 俺のもう一人の……親父よ)


 物思いにふけりながら改めて執務室を見回す。

 現在この部屋では国王代理に就いた姉さんが書類仕事をたんたんとこなしている。


 扉の近くには、警護の兵士が二人。

 屈強な体つきの男性と、精悍せいかんな顔つきをした女性の二人組だ。

 木剣に黒曜石の刃を付けたマクアフティルと呼ばれる武器を帯び、羽付き帽子を深々と被っている。

 青色の法衣を羽織った出で立ちは、フランスの銃士といった印象が強い。

 王室近衛このえというところを見ると、二人は相当の手練れなのだろうか?


「おつとめご苦労様。姉さんの警護よろしくな」


「…………」


 気安く声を掛ける。

 が、近衛の兵士は反応することなく石像のように直立している。

 その視線が俺の方を向くことすらしないのは、徹底したプロ意識というよりも……朝食の際に整列していた使用人達のように、〈エゴ〉を持たざる者への差別意識を匂わせた。


「姫様、法王庁ほうおうちょうよりお客様がお見えです」


 と、扉がノックされ侍女が顔をのぞかせる。


「そう。分かったわ、お通して」


「法王庁?」


「この国の宗教、〈始原しげんの炎教会〉の総本山よ」


(ああ、教会。レス王国の国教ね)


 俺はむしろ異教徒……

 別の宗教を信仰している連中と生活していたから、この国の民衆ほど国教に信仰はない。

 周囲に目を配らせれば、どの部屋にも明かりである“銀の燭台”が置いてある。

 この燭台こそが〈始原の炎教会〉における祈りの対象で、教会のシンボルも十字架などではなく、燭台に見立ててギリシャ文字のΨサイの形となっているのだ。

 教会の信者は、炎こそが破壊と創造を司る全能なる存在と考えているらしい。


(とはいえ、うさんくさいんだよなぁ教会ってやつは)


 この世界も地球の中世ヨーロッパと同じように、教会が王家と密接な関係になっているということなのだろうか?

 新しい王の後見人だとか、色々面倒くさそうな話が始まりそうである。


 そんな風に考えていると、俺の予想に反して侍女はひどくけわしい表情をして見せた。

 その顔はまるでおびえたようにも見える。


「どうしたの? お客様をお通しして」


「そ、それがですね姫様。法王庁から出向しゅっこうされてきたのは、その、異端審問官いたんしんもんかんの方でして」


「……なんですって?」


 俺と姉さんは顔を見合わせる。


 ――異端審問官。

 それは言うなれば、教会の殺し屋だ。

 正義の名の下に異教徒や異端者を狩り殺す残虐集団。

 彼らにかかれば、ほくろが一つあるだけで異端の証とでっち上げられ、拷問にかけられることもあるという。


 かつてと称して魔術の才能がない人間を大量虐殺した過去があり、今日こんにちに至る不良よからずへの弾圧を招いたろくでもない連中だ。

 この魔術社会において生粋のエリートしかなれない役職らしいが、その有能さの証明が自分たちより劣った魔術師を迫害することだってんだから、イカれてやがる。


 残虐さにおいて王侯貴族すら忌避きひする法王庁の番犬が、なぜここに?

 と、そこまで考えてから、ターゲットに思い当たり冷や汗が流れた。


(……俺じゃん)


 王族のくせに〈エゴ〉がない俺は、言わば異端中の異端。

 その罪状は追放によって免除されていたが、王室に戻っている現状……

 俺への審問にでも来たのだろうか?


 姉さんが眉根まゆねを潜めると、不意に執務室の扉がバン! と威勢良く開け放たれた。

 明らかに蹴破けやぶって入ってきたような所作しょさ

 仮にも王がいる執務室に訪れる作法ではない。


「邪魔をするぞ」


 入ってきたのは二人組の騎士だった。

 その姿を見た瞬間、思わず目を見開く。

 二人が着込んでいたのは、金属製の全身鎧だったからである。


(銀か!)


 金属は〈エゴ〉を無効化してしまうが、金と銀だけはその性質を伴わないという。

 ゆえにそれらの材質は貨幣……金貨や燭台として流通しており、もてはやされていた。


 それにしても目を引くのは、両者の鎧のデザインだ。


 方や白銀。

 鏡のように磨き抜かれた光沢に、白と青のマントを羽織った清廉せいれんな出で立ち。

 鷹のクチバシを思わせる鋭角なフォルムの兜には、三本の斜線が左右に刻まれ六つ目状ののぞき穴となっている。

 両耳に立派な翼飾りが付けられた意匠は高潔な白騎士といった雰囲気を醸し出し、後頭部の飾り毛が品良ひんよく揺れていた。

 そしてもう片方は……

 不吉なまでに暗い漆黒しっこくの鎧に、赤いマントを羽織った黒騎士だった。

 その兜は髑髏どくろをあしらったデザインになっており、げた鼻の意匠に加え、眼窩がんかは複眼じみたのぞき穴に覆われている。

 歯型こそ、口元に付属する金属板で覆われ隠されているが、それがかえって黒い骸骨がマスクをしているようで不気味な様相を際立たせていた。

 教会の聖騎士にしては醜悪すぎる風貌だが、後頭部からのぞく長い銀髪だけがかろうじて人間っぽさを残しているようだ。


(銀髪? 珍しいな、一日に二回もこんな髪の人間を見るなんて)


 二人とも頭部を完全に兜で覆っており、その素顔はうかがえない。

 扉を蹴破ってきたのはこの黒騎士か?

 礼儀を重んじるナイトとは思えぬ所作に、ついつい反感を覚えてしまう。


「無礼であろうが! 姫の御前ごぜんであるぞ!」


「教会の僧兵風情が、何様のつもりだ。身の程を知れぃ!」


 二人組の近衛兵士が腰にたずさえた黒曜石の剣を抜刀し、黒騎士の首元に突きつける。


 すると黒騎士は顔を上げ、兜の奥から底冷えのする声を漏らした。


「――退け」


 直後、まるで時間が止まったかのような間があった。


 が、事が起きたのはその後――


「何だときさ……まっ、ぁ、ぁぁあ、あッあッあ……ひァァアアっ」


「ひッ……ヒィィィィイイイっ!?」


 途端、先ほどの威勢はどこへやら。

 近衛達は蜘蛛の子を散らしたように執務室から逃げ出す。

 それだけではない、近くにいた侍女もその場にへたり込んでしまった。


(おいおい、ちょっと待て。いくらなんでも大げさすぎないか?)


 威圧感のある人物なのは分かるが、そこまでビビるほどのことか?

 それとも俺が気がつかないだけで何か魔術でも使ったのだろうか……? 


「お、おい? しっかりしろって! どうしたってんだ」


 座り込んだ侍女に駆け寄って肩を揺らす。

 不意に片膝が濡れ、気がついた。……失禁している。

 真っ青な顔でガチガチと噛み合わず震える歯。

 瞳孔どうこうが開いて揺れる瞳。

 尋常な様子ではない。


 姉さんは大丈夫だろうか?

 ハッとなって机の方に目線を向けるが、姉さんは毅然きぜんとした態度のまま俺の方を見据えていた。

 どうやら向こうも、こちらの心配してくれていたらしい。


「お会いできて光栄です。レーテシア姫殿下」


 と、不意にもう片方の白騎士は慇懃いんぎんに一礼すると、兜を脱いで見せた。

 亜麻色の髪に、灰色の瞳。

 白皙はくせきの美貌というべき、線の細い美男子である。

 年齢は二十代中盤だろうか?

 おそらく街で通り過ぎたなら、多くの女性達がいっせいに振り返っただろう。

 それほどまでに甘いマスクをたたえた青年だ。


「法王庁異端審問局より参りました、奇跡認定官ヴァシュラート・ヴァル・ヴディフと申します」


「同じく、アアルシャッハ」


 黒騎士はアアルシャッハと自己紹介をする。が、兜を脱がない。


「あんたら、いま兵士達に何した?」


 また「退け」と返してこないだろうな?

 そんな風に思って尋ねると、黒騎士は答えず、逆に白騎士が俺に聞き返してきた。


「失礼。貴殿は?」


「ユーシア・レス・レクシオン。一応、この国の第一王子だよ」


「ユーシア? まさか、エゴ量ゼロとして追放されたという、あの不良王子ふりょうおうじ?」


「ああはいはい、その不良王子だけど」


 こいつら、俺の滞在を知らなかったってことは審問に来たわけじゃないのか?


「……ヴァシュラート殿、言葉遣いには気をつけてもらえますか?」


 騎士達の態度よりも俺への蔑称べっしょうを真っ先にいさめようとする姉さん。


「失敬。まさかご存命されてるとは思いませんでした。お許しください王子殿下」


「別に、本当のことだからいいけどな」


「……王子……」


 黒騎士は呆然と俺を見つめてきた。

 その眼差しは兜越しにも驚きが感じ取れ、いまままでよく生きて来れたなといった感想が如実にょじつにかいま見れる。


 それよりもさっきのアレだ。

 近衛の連中にいきなり職務放棄させる怪しい奴と、これ以上姉さんを引き合わせるわけにはいかない。


「先の問いかけですが、別に大したことは。少々席を外すようお願いしただけですよ」


 白騎士ヴァシュラートは笑顔でにべもなく答える。

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