第6話 さよならはまた会う約束

 俺たちは勢いよく走り出した。

 周りに居た市民も味方してくれているのか、肉の壁となって憲兵の追っ手を防いでくれている。


 通りを蛇行だこうし、街角を曲がり、路地裏をひた進む。

 市場を抜けてしばらくすると、周囲の喧噪けんそうはなりを潜め、俺とリリーシェは閑散かんさんとした水路沿いに出た。


 絶え間なく聞こえていた花火の音も遠ざかり、聞こえてくるのは浮遊島から降り注ぐ滝の音だけ。

 どうやら湖水庫こすいこのある町外れまで来たらしい。


 顔を上げれば、滝の水しぶきによって空には虹が架かっており、のどかな湖畔こはんは一息つくには絶好の場所だった。


「ハァ、ハァ、ハァ……。こ、ここまで来れば安全だろ」


「こ、こんなに走ったの、わたし生まれて初めて……」


 肩で息をするリリーシェ。ちょっと無理をさせすぎてしまったかもしれない。


「でもさ、ほら。上見てみ、虹が出てる」


「え? うっわ、本当~! すごい……素敵……」


 しばらく息を整えながら、ポーッと虹を眺める。


 どれだけそうしていただろう。

 隣の彼女にちらりと目を見やると、不意に目が合った。 

 しばしの沈黙。

 何を言うまでもなくお互いに黙っていると、次第に笑みが漏れてくる。


「くっ、くくく……」


「フフッ……うふふっ」


 やがて緊張の糸が切れたように、俺たちは爆笑しあった。


「はははっ! おい見たか? あいつらの顔! すっげぇ悔しそうにしてたなっ!」


「アッハハハ。いい気味よっ。あ~ゆ~分からず屋はね、一度痛い目見ないと分からないんだから! それにしてもユーシアって強いのね。とってもカッコ良かった!」


「そういうリリーシェこそ、威勢良く啖呵たんか切ってたじゃないか。見惚れたよ」


 笑いながら互いの健闘をたたえ合う内に、なんだか温かい気持ちになってくる。

 そして今更ながら、俺たちはずっと手を繋いだままだったことに気がついた。


「あっ。わ、悪いっ」


 慌てて手を離す。


「う、ううん! いいの、こんなに誰かに触られたことなんてなかったから……」


 離された手を胸の前で握りながら、うれしそうに……けれど次第に寂しそうな表情をのぞかせて語るリリーシェ。


 触られたことがないという一言に、いやが上にも彼女の境遇を察せられてしまった。

 多くの人間は、きっと彼女に近づくことを嫌がるだろう。


 俺はリリーシェの首に巻かれた鎖と、自分の刀を見比べた。


 〈忌金属ききんぞく

 そう呼ばれるものが、この世界にはある。

 主に鉄や銅、鉛といった物がそれだ。

 忌まわしいと呼ばれる理由は、金属が〈エゴ〉の働きを阻害する性質による。

 〈エゴ〉が体外で魔術となった途端、金属はそれを中和してしまうというのだ。

 どうしてそういう原理が働くのかは分からない。

 だが、考えてみれば銅や鉛には抗菌作用や放射線を防ぐ効能がある。

 ならば同様に目に見えない微細な力、〈エゴ〉を消し去ることに違和感はない。

 地球に〈エゴ〉がないから知らなかっただけで、金属にはそんな性質があったのだろう。


 そのため魔術に頼って生活している人々からすれば、鉄がそこにあるだけで魔術を封じられ、インフラが断たれるのだから忌避するのは当然だろう。


 ――魔術師は鉄の剣を装備できない。


 理由は、使だ。

 筋力STRが足りないとか、技術DEXが劣っているからとかではない。

 鉄を身にまとうと、魔術の発動にふたがされてしまう。

 そんな致命的な欠陥からだった。


 ゆえに、武器に限らずこの世界の日用品には金属の家具はほとんど存在しない。

 彼ら魔術師は布のローブを身にまとい、木の杖を握って生活をしているのである。


 もちろん鉄が持つ反魔術作用は、〈エゴ〉が空っぽの俺には関係がない。

 では、その鉄を……あえて身につけている目の前の少女は何者なのか?


 俺はリリーシェの喉元の鎖を再び見つめた。

 拘束具のように見えるそれは、労働力という意味においてため、ある意味奴隷以下の存在に身をやつすも同然の代物だ。


 それでもなお、この世界の人間が身につける理由とはすなわち……


 ――呪い持ち。


 何らかの魔術的病魔に蝕まれ、症状を緩和するためにやむを得ず身につけているというところだろう。

 命を維持するために、生活力の基盤を捨てる苦肉の策だ。


 その薄幸はっこうの運命を感じ取ってしまった俺は、なんとなく彼女を見捨てることがためらわれたのである。同じ、“鉄に頼る者”としては。


 ちなみに貴族の連中はこの手の処世術を好まない。

 魔術が使えなくなる人非人にんぴにんになるくらいなら、潔く死を選ぶ。

 ……という妙な不文律ふぶんりつを抱えているらしい。

 

(人に触れられたことがない……か)


 呪い持ちという恐怖もあるし、鉄の装身具を身にまとう彼女の近くに居続けると、〈エゴ〉が乱れる。

 腫れ物のように扱われているであろうリリーシェの立場は、多くの孤独と悲しみを抱えているようだった。


「その、さ。リリーシェはどっか悪いのか?」


「え……?」


「いや! ごめん、そんなの見りゃ分かるんだけどさ。王都を探せば、もしかしたら良い医者も探せるかなって」


 ってバカか俺は。

 医者がさじを投げたからこんな鎖巻いてるんだろうに。

 我ながら浅慮せんりょを恥じるが、リリーシェはふるふると首を振るった。


「ううん、気にしないで。それにこれは命をおびやかす病気とかじゃないから」


「そうなのか? でもそれって、どういう……?」


 尋ねようとすると、リリーシェの首元に異変が起こった。

 鉄の鎖が紫色の光を出して溶け始めたのだ。


「んっ……。ちょっと声を出して笑いすぎちゃったかも。楽しいこと、いっぱいだったから……。ごめん、もういくね?」


「お、おいっ、リリーシェ?」


 鉄の鎖が溶ける?

 どういうことだ?

 リリーシェが抱えている呪いは、魔術を阻害そがいする鉄でさえ、御しきれないほどのすさまじいものなのか!?

 いや、それもある。

 それもあるだろうが、たぶん……鉄の質が悪いんだ。

 まず誰も製鉄なんてしたがらないし、粗悪品が溢れかえっているに決まっている。


「ユーシア、今日は本当にありがとう。さようなら!」


 口元を押さえながら、振り返ることなく走り去ってしまうリリーシェ。

 その会話の打ち切り方から、もう俺と口を利くことすらはばかられる様子だった。


(笑いすぎたって……なんだよ)


 まるで声を上げることが、制限されているのかのようない。 

 その不幸な境遇でなお、表情を輝かせていた女の子。

 俺はこの世界であんな風に笑ったことは少ない。

 自分の逆境をはねのけるのに精一杯で、誰かに微笑みかける余裕なんてなかったからだ。


 だから同じように鉄にすがりながら、笑顔でいられる彼女がまぶしかった。

 けれどその笑顔ですら、リリーシェにとっては抑えるべきものだったのだろうか?


(本来なら、声を出すことが許されない呪いってことなのか?)


 命を脅かすことはない。

 そう言っていたが、彼女の呪いとは何だったのだろう?


(もしもエルフの工房がここにあったなら、まともな物を作ってやれるのに)


 それこそ〈鋼の妖精〉が作り出した最強の金属……。

 この〈覇鉄はがね〉ならば。

 この剣と同じ材質の鎖ならば……彼女を救えるかもしれないのに。


 もっとも、そんな高純度の鉄が作れる製鉄所がイシュガリスにあるはずもない。

 俺は帰路に就く中、路地裏から見える空を仰いだ。

 その狭い空からでも確認できるのは、この国の象徴だ。

 〈結界〉を張る天空の紋章、宙を漂う浮遊島、魔術で打ち上がる無数の花火。


 ここは魔法国家。魔術師の街。

 魔術を使えない人間が暮らせる国ではないのだから……。

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