第4話 イナゴの俺とワケあり少女

   ◆


 王都イシュガリスの町並みは、城から見下ろした時とはまた違った様相を見せていた。

 建物の外壁は赤や黄色といったパステルカラーの染料で塗り固められ、陽気なたたずまいを見せている。

 ともすれば下品になりがちな景観だが、彩度の高い家は点在するように建てられ、その合間には煉瓦れんが作りの建物がおごそかにのきつらねていた。

 その塗装はあくまでアクセントとして強調され、風景を形作る一要素にとどまっている。

 もちろん他の家々が地味かと言うとそんなことはなく、ゼラニウムに似た赤い花々がバルコニーや窓辺まどべに設けられ、優雅に景観の美しさを盛り立てていた。

 絵心のある旅人がこの町並みを見たならば、たまらず風景画を描きだしたに違いない。


 そんな城下町の市場は、家屋の明るさに負けないぐらい活気に満ちていた。

 大勢の人が通りを行き交い、朝から蜂蜜酒のビンを握っては飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。

 大道芸人や吟遊詩人がそこら中で曲芸を披露し、踊る者や歌う者、その街の表情は国を挙げての葬式中だとは思えないほどだった。


 視線を巡らせば石畳いしだたみの地面には樽からこぼれ落ちたと思われる果実が散乱し、食い散らかしたと思われる売店の骨付き肉の破片が転がったりしている。

 貴族の館が建ち並ぶ上層街に比べて汚れが目立つが、それでもこの汚さは生きている汚さだった。

 この王都から離れれば、疫病や飢饉ききんで滅んだ街や村はいくつもある。

 それら廃墟の町並みからすれば、この街の汚れなど明るさと幸福の象徴といえるだろう。


 とはいえにぎやかな人々が多ければそれだけ問題も起きるのか。

 城下町を巡回する兵士の視線は、妙に厳しいものがある。

 彼らは彼らで何か問題のただ中にあるのか、忙しなく行き交っているようだ。


「いたか?」


「いいや、こっちには来ていないようだ」


「くそっ……いったいどこに行かれたというのだ」


 下層に降りてきた貴族が迷子にでもなったのだろうか?


 兵士の相談事をよそに市場を巡ると、クリスタルでできた尖塔せんとうを見かけた。


 よく見ると台座から浮いているそのクリスタルは、〈エゴ〉の力を倍加させる性質があるらしい。

 これが街のいたる所にあるおかげで、貴族ほど〈エゴ〉が強くない一般市民でも簡単に魔術が使用できるというわけだ。

 ……もっとも、ゼロに数字をどれだけ掛けてもゼロなので、俺には無用の長物なのだが。


(それにしても、エゴ……か)


 ふと、その単語に思いをはせる。

 この世界じゃ魔力の総称のように言われているが、地球じゃ“自我”とか“心”を指す言葉だったはずだ。

 利己的なものとして悪く捉えられることもあるが、本来が強いのは悪いことじゃない。

 しっかりとした自分を持っているということだからだ。

 それに比べて……生前の俺はどうだっただろう?


 明確に好きと言えるものはなく、ただその時々の流行ばかりを追いかけていた気がする。


 いわゆる“イナゴ勢”ってやつだ。


 ゲームやアニメ、SNS、サッカーのワールドカップなんかも、皆が盛り上がっているからというだけで群がり、ブームが去るとすぐに別のに飛びついていった。

 ネットで拡散される噂に耳をそばだて、騒ぐだけだった主体性のない自分。

 妄想上の体験談や目撃談をネット上にイキって呟き、それがバズってイイネをたくさんもらえれば自分が認められていると錯覚したりもした。


 家業を継ぐのを嫌い、自分らしさを探そうとした結果……

 空っぽで、浅ましい承認欲求の塊。

 それこそが地球にいた頃の俺だ。


 他には価値も用途も分からないのに、こづかいはたいてブランド品を買いあさった時期もあったっけ。


(ったく……俺って奴は)


 なんてことはない。俺は、自分という名のブランドに自信がなかったのだろう。

 刀鍛冶としての名があればこそ、俺個人という存在が余計に薄く思えたのだ。


 そういった観点で考えれば、なるほど。確かに自分と呼べるものが俺にはない。

 たまたま俺が転生しただけで、自己を確立できていない現代人なら誰もがこの世界に招かれていたのかもしれないな……。


 逆にこの世界で、誇り高く傲慢ごうまんな貴族ほど〈エゴ〉が強く、優秀な魔術師というのは妙にエスプリが効いていると思えてきてしまった。


「わぁっ綺麗~! ねえねえ、これは何?」


 と、いきなり横から声を掛けられる。

 隣を見ると、揚げパンをかじった女の子がクリスタルを眺めていた。


(誰だ? この子)


 年齢は俺と同じくらい……十六、七だろうか?

 黒いケープジャケットに、青のパンツ。ここいらではあまり見ない洒脱しゃだつな服装だ。

 結われた長い銀髪と同じくらい、瞳をキラキラさせて物珍しそうにしている。


「何って、〈エゴ〉の増幅装置だろ」


「増幅装置? どうしてそんなものが?」


「どうしてって、こういう設備でも利用しないとすぐに魔術疲れしちまうからだろうが」


「まあ、そうだったの。初めて知ったわ」


 クリスタルを使ったことがない? じゃあ、貴族か? この子。

 それにしては揚げパンなんか囓ってて、えらく庶民っぽい風体だな。


「あ、もし良かったら食べる? もう一つあるけど」


「……いや、いらない」


 売店で買ったものをタダでくれようとする……貴族様の施しってやつだろうか。

 そんな風に思っていると、いきなりエプロン姿の男が現れた。


「ちょっとちょっとお嬢さん! ようやく見つけたよっ! お代お代!」


 肩で息を切らせているエプロン姿の男性。

 血相を抱えて走ってきたらしい。

 それに対して、女の子の方はきょとんとした表情を浮かべている。


「お代? それってもしかしてお金のことですか?」


「当たり前でしょう! それ、売り物なんだから!」


「これはパン屋の店先に捨ててあったのを、もったいないなと思って」


「店頭販売なんだよ! とにかく、食べちまった分は……払っていただかないと」


 どうやら売り物とは知らずに、パン屋からかっぱらってきたらしい。

 というか、捨ててあったと思ったものを人に勧めようとするなよ……。


「ごめんなさい。いまは持ち合わせが……」


「何だって!?」


 女の子を食い逃げ犯として兵士に突き出そうとするか悩んでいるパン屋の主人。

 正当さはパン屋にあるのだが、俺はうなだれた女の子の横顔を見た途端、あるものを見てしまった。


(この女の子、まさか……)


 気がついてしまった以上は、このまま見過ごすのもよろしくない。

 俺は懐から小銭を取り出すと、パン屋の主人に金を握らせる。


「なあ、これで足りるかな?」


「あんたは? この子のツレか?」


「いや、ただの通りすがりだけど。とにかく料金は俺が払うからさ。この子も悪気があったようには見えないし、祭りの熱に浮かれちまったと思って免じてやってくれないか」


 パン屋の主人は釈然としない顔つきになりながらも、お代がもらえるならばと頷く。


「しょうがねえ。確かに悪い子には見えないし、ここは兄ちゃんに免じてやるよ」


 パン屋の主人は妙に得心した様子で帰って行った。

 その後ろ姿を見届けてから、女の子はぺこりと頭を下げてくる。


「ありがとうございます。おかげで助かったわ」


「あんた、随分世間ずれしてんな。最初は貴族かと思ったけど」


 俺はちらりとのぞく彼女の喉元に注目した。

 女の子は首に鎖を巻いていた。

 鉄でできた大きめの鎖を、首輪のように。

 それはネックレスなんて呼べるものではなく、囚人にかせのようで……。


 この国では普通の人間ならば、鉄の鎖を身につけることはあり得ない。

 それをわざわざ身に付けているということは、恐らく――


 俺は女の子を不安にさせないよう、できるだけ明るい声で言った。


「気にすんな。困ったときはお互いさまだろ」


「本当にありがとう! あなたって、とってもいい人なのね!」


「はは……。そうかな? 俺はユーシア。君の名前は?」


「わたし、リリーシェっていうの」


「リリーシェはこういう祭りは初めてなのか?」


「うん! 市場なんて来たの生まれて初めて! だからお金がいるって知らなかったわ……次からは気をつけなくっちゃ」


 目を輝かせながら周囲を眺めるリリーシェ。

 おおよその状況から、俺はこの娘が王都の住人ではないと感じ始めていた。


「よそから来たのか? 一緒の人は?」


「わたし小さい頃からずっと修道院にいたの。この街にも教会の人と一緒に来たんだけど……全然自由行動なんか許されなくって」


 後ろ手に両手を組んで、てくてくと歩きながら事情を話すリリーシェ。

 そしてくるりとこちらを振り返ると、屈託くったくのない笑顔ではにかんでみせた。


「だから、こっそり抜けてきちゃった」


 俗世とかけ離れた生活をしていたからなのか、あるいは本人の人柄によるものなのか。

 自由がないという不幸を微笑んで話すリリーシェは、この市場の様子を心から楽しんでいるようだった。


 なんというか、まぶしい。

 ビスクドールのように端正な顔をしているのに、冷たい印象が全くない。

 それどころか、こうも惜しみなく笑顔を振りまいている姿を見ると、ついこちらもほっこりと明るくなってしまいそうだ。


 不思議な娘だった。

 プラチナブロンドの銀髪は神秘的で、ツリ目がちな赤い瞳は炎のような意志の強さを感じるのに、全体としての雰囲気は妙に丸っこい。

 とにかく抑圧から解放されて伸び伸びとしている印象だ。

 修道院暮らしという言葉を裏打ちするような世間知らずっぷり。

 なのに、どことなく品位を感じさせるしぐさと、こんなに人懐っこい表情を見せられるなんて。


 ――と、市場の奥から喧噪が聞こえ、俺とリリーシェは顔を見合わせる。


「なんだろうな?」


「もしかして喧嘩かしら? 行ってみましょ!」


「あっ、おい! リリーシェ!」


 止める間もなく元気よく駆け出す彼女を見て、俺は慌てて追いかけていった。

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