今も尚、貴方だけを――

 この部屋は、あまり人が入るのを見ない部屋です。仏壇がある和室はとても静かで、他の部屋とは違う空気を感じます。

 あぁ、そうでしたね。あまりにも普通にいるので失念しておりましたが、彼はもうこの世にはいない人でした。写真の中の彼は、今あそこにいる彼と同じ容姿をしております。

『美智子ぉ、今年もありがとな!』

『毎年わざわざ僕も分も用意してくれて、嬉しいなぁ。修造さん、食べましょ』

『そうしましょ。今年のもうまそ~、いっただきまーす』

 お二人がお盆に置かれた皿を手に取ると、まるで幽体離脱のように本体から半透明のそれが出て、修造さんたちはそれを食べました。

 美智子さんは仏壇の方から少しそれた所を見詰めながら、口を開きます。

「修造。修一はもう十六歳になったわ。早いものね、あの子が産まれたのも、貴方が死んだのも、つい最近な気がするわ」

『ん、そうだなぁ。あんなにちまっこかったってのに、大きくなったもんだぜ』

「えぇ。丁度、あの時の貴方と同じ年ね。何もかもがそっくりで、もう笑っちゃいそうよ。見た目も性癖も同じって、ホント、親子よねぇ」

「懐かしいわね。あの時の貴方、意外とモテてたのよ? ほんと、顔だけはいいんだから」

『おいおい、それだと性格は悪いみたいだろー? 俺は性格もいい方だったはずだ、たぶんな』

「ふふっ。だって貴方、浮気性だったじゃない」

 ……? 何か、違和感がありますね。

『人聞き悪いなぁ、美少女が好きなだけだぞ。まぁ、完全に否定はできないけど……』

「知ってるかしら? 女からしたら一瞬の目移りも立派な浮気なのよ。私は故意がないならセーフにしてるけど。私以外の女だったら、貴方とっくに捨てられてるのよ」

『マジかー……ほんと、お前で良かったよ』

「まぁ、貴方のそう言うところ、結構私は好きよ。一筋縄でいかない方が面白いってものなのよ。本当に、貴方は私という女に出会えたことに感謝すべきだわ」

『ははっ、そりゃまぁ、すっげぇ感謝してるよ。神にでも仏にでも礼を言ってやるさ』

 美智子さんが見ている先には、しっかりと修造さんがいます。しかし、彼女にはそれが見えてないはずです。それなのに、彼女が語り掛ける先は仏壇ではない。

「さて、そそそろ戻らないとね。優音さんと仲良くするのよ?」

『はいよー』

 修造さんは聞こえてない事を前提に、彼女に返事を返します。

 美智子さんが笑いました。それは優しい微笑みではなく、妖しく瞳を歪ませる形で。さながら、千の時を生きた艶麗な九尾の狐のように。

「……修造、私はまだ貴方を諦めてないわ。死んだくらいで、逃げられると思わない事ね」

 あぁ……そう言う事でしたか。どうやら前提が間違っていたようです。

『なんか、久しぶりに美智子と話せたみたいで、嬉しいなぁ』

『よかったですね、修造さん』

 幸せそうですね。

 本人がいいと言うのであれば、私はどうこう言うつもりはありません。彼はなにも分かっていないでしょうが、今はそれでいいでしょう。

 では、戻りましょうか。いくらなんでもこれ以上の介入は野暮ってもんですよ。

 っと、皆さんでケーキを食べているようですね。あと、プレゼントのフルーツも。

「んー、美味しいっ。心音はそんな少なくていいのー? 勿体ないなぁ」

 林檎の言う通り、心音さんのは淫魔共が食べている大きさと比べれば細身です。彼女自身がそうして欲しいと言っているのですね、年頃の女の子ですので。

「アンタと違って人間は食べたら太るのよ」

「私達だって食べ過ぎたら太る」

「いつもあんだけ食べてるのに?」

 そう思うのも無理はありません。そりゃ成長期男子かと思うほどのお思いご飯とおこ割の数を見せられているというのにそんなこと言われたら、誰だってそうなりますよ。

「淫魔は比較的太りにくい体質になります。勿論個体差はありますし、ぽっちゃり体質が好きな方もいますが、ある程度細身である方が多くの男性の好意を引けるので」

「ふーん。じゃあ、そのバカみたいにデカい乳も同じ理由?」

 おや、そんな妬ましそうな目。そこも気にしているのですね、可愛らしい。

「はい。一般的に『巨乳で細身の美少女』が好きな方向けの設計です。しかし、小さいのも可愛らしくていいと思いますよ。そういったのが好きな方も多いですし、淫魔してもやっていけると思います!」

「それ、褒め言葉になってないからね」

 言い方はあれですが、女としての魅力があると言いたいようですね。中学生に女の魅力はまだ早いですからね、褒め言葉として受け取られないのも当然でしょう。

「心音が淫魔かぁ……」

 どうやら修一くんはエロ同人などで出てくる方の、一般的にイメージされる淫魔で妄想したみたいですね。

 そして修一くんは、ありだとでも言いたげに頷きました。

「一応訊くけど、兄貴、今何考えた?」

 そんな彼に、心音さんは少し引いたような眼で見て、訊きます。

「いや、そりゃ。お察しの通りで」

「きも」

「んっ……まぁ、今のは自分でもそうだと思ったよ」

 当たり前の反応に、修一くんは少しダメージを受けたようです。

「兄貴はさ、私でもそういう妄想できるわけ?」

 それとない探りを入れましたね。

 修一くんは少し考えてから答えます。

「怒らない?」

「そのつもりでいる」

「俺、妹属性も超好きなの」

 つまり、そう言う事です。

「あっそ」

 心音さんの淡泊な返事に、修一くんは驚いています、怒られると思っていたのですね。

「別に、少しくらいなら妄想したって、怒らないわよ」

 これはこれは。修一くんから顔を逸らして、あらまぁ。

 恋する乙女と言ったところでしょうかね。可愛らしい事。

「ふーん、意外だなぁ。『この変態!』とか言うと思ったけーど」

「もしかして、修一の事好きなのぉ?」

 あぁ、この淫魔は。すぐ煽りたがる。修学旅行で寝る前にやけに恋バナしたがる女子のようです。

「……違うわよ」

「えー。俺は心音の事好きだけどな」

 修一くん、そっちじゃありませんね。

「そっちじゃなくてねぇ」

 林檎も思わず苦笑いを浮かべました。

 修一くんが理解を示す前に、ローテーブルの方に置いていた彼のスマホが鳴り始めます。

「っと、大智からだ」

 急いでスマホを取って、廊下の方に出ます。扉のところで美智子さんとすれ違い、リビングの中で軽いふくれっ面の心音さんを見ました。

「あらぁ、心音ったら、そんな顔して。どうしたのかしら?」

「兄貴が悪い」

 これは、拗ねてますね。ぷいっとした心音さんに、美智子さんは小さく笑います。

「そうねぇ、心音、耳貸しなさい」

「ん?」

 耳打ちで何かを伝えたようです。それが何かは、顔を赤くした心音さんの反応を見れば分かるでしょう。

「これしかないわよ、あぁ言うタイプの男には」

「胸がなくても色仕掛けは出来るのよ」

 それを普通に言ってしまっては耳打ちの意味がありませんね。今ので察せなかった人もわかってしまいましたよ。

 ウインクまでして、美智子さん、かなり楽しんでますね。

「いや耳打ちした意味っ!」

 心音さんの爽快なツッコミですが、美智子さんにはあまり意味をなさないようです。

 美智子さんは真面目な顔をして、心音さんに言います。

「いい? 心音。女は女を使ってこその女なのよ。ねぇ、淫魔ちゃん」

 そして、淫魔四人にボールを渡しました。どう考えても、淫魔は色の方に話を持っていく相手です。

「敵に助言はしたくないが、そうだな。使えるものは使え。女子である事は一種の特権だ」

「えぇ、心音さんも十分お可愛いですし、大丈夫ですよ。お互い頑張りましょうね」

 おやおや、心音さん囲まれてしまいましたね。目をぐるぐるさせている心音さんに、美智子さんが一つの紙袋を押し付ける形であげました。

「という訳でこれ」

「なに、これ?」

 中の物を出して見ると、これは服ですね。それも大人向けの、少し際どいやつです。そうですね、「年齢制限はかからないけど、これを着ている女の人の画像を見ていたら親から止められる」くらいのラインです。

「貧乳も、ステータスよ」

 美智子さんはニコリと笑ってそう言うと、自分の席に座ってケーキに切ったキウイを乗せました。

 そう、何事もなかったかのように。

 しばらくフリーズしていた心音さんでしたが、服を紙袋にしまうと、部屋の方にかけて行きました。

 そんな姿を林檎は瞳を歪ませて眺めています。

「見ものだねぇ、人の女の色仕掛けがどこまで通じるか」

「あら、産んでいないとはいえ、私が育てた子よ? やれるに決まってるじゃない」

「あなた達も頑張りなさい。修一の処女は一つしかないのだから、先着一名様限定よ」

 購買欲を高めるかのような言葉選びを、美智子さんはしました。

 淫魔共は一見余裕そうですが、少し焦っているようにも見えます。予定よりも敵が多いのでしょう。男をたぶらかすのに長けている淫魔が、人間に負けるわけがない。しかしよくよく考えてみれば自分たちが一番不利なのです。

「やっぱりぃ、モモは無理矢理でもやったほうがいいと思いまぁす」

「僕も同意」

「そうだな、私もそう思う」

 モモと林檎と葡萄はそれで意見がまとまっているようです。ですが、メロンは納得いってない模様。

「しかし、それでは試合に勝って勝負に負けるですよ。戦ってるのが私達だけならいいですが、他の方は肉体ではなく心を賭けてやっているのです。よく考えれば、肉体を賭ける私達とは、そもそもステージが違います」

 それ、結構今更の話ですね。

 ですが、この三人の反応からするに、気付いてなかったのでしょう。

「……確かに」

 合点のいく新事実を突きつけられたように、葡萄は声を漏らしました。

「では戦う必要はなくないか? 私たちは処女をいただければそれでいいのだ」

「そうだね、僕とした事がそんな事も忘れていたとは。僕達淫魔じゃん! 心なんてどうでもいい、男の処女を喰えればいいんだよ!」

「やっぱりモモはまちがってなかったぁ。メロン、教えてくれてありがとさん」

 心は他の誰かにくれてやる。そういう事でしょう。淫魔と言う生物にとって、相手にどう思われるかはさほど重要ではありません。例えるのであればマッチングアプリにいるヤリ目の男のように、体さえ預けてもらえればそれでいいのです。

 三人はそうと決まれば準備だと、平らにした皿を机に置いて水を飲み、それぞれ散って、どこかへ行きました。

 淫魔としての本能に火が付いてしまった事に気付くと、メロンは頭を抱えます。

「どうしましょう、余計な事言ってしまいました」

「淫魔としては林檎ちゃん達の方が正統派でしょうねぇ」

 美智子さんは他人事のように、第三者の感想を述べます。

 メロンは少し弱気になって、考え始める。そして、たどり着いた答えを出し、机に両手で叩きつけながら立ち上がりました。

「しかし……いいえ、私は私のやり方を曲げません! 淫魔精神に乗っ取って、時間をかけてでも心を得てから処女を頂くのです!」

「ご安心ください美智子さん、息子さんに愛のない【自己規制】はさせません! このメロンが誓って! そういう訳ですので、ごちそうさまです!」

 なんとも忙しく、メロンも外に駆けて行ったのです。

「若いわねぇ……」

 美智子さんはそんな様子を保護者のように見送り、ケーキを食べました。

 一人になった部屋で、修造さんだけが戻ってきて、その様子に首を傾げます。そして直ぐに、修一くんが電話から戻ってきました。

「母さん、明日の朝、大智が学校行くついでに寄ってプレゼント渡してくれるっ」

「あれ、淫魔達どこ行った?」

 修造さんと同じ反応を見せてから、自分が見ていない間の事を知っているであろう美智子さんに尋ねます。

「んー、修行かしらね」

「はいぃ?」

 修一くんは、ごもっともな反応を見せました。

 そうですね、はい。修一くん、頑張ってください。

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