乙女は恋をし、男は処女を卒業した。


 ん、あぁ君か。おはよう、今日は七月の十一日、心音なら学校の廊下を走って教室に向かっている所だよ。

 それにしても、心音、脚速いな。こういうところは木乃香さん似だ……。

 はぁ、はぁぁ……やっと教室ついた。三階までダッシュはダメ、疲れた。

 あぁ心音、そんな乱暴にドア開けないの。音が廊下に響いちゃったよ、凄く綺麗に。

「私はっ、私はーーーーーっ!!!」

 教室にいたのは、心音と仲良くしてくれている佐野さんと佐藤さんだけ。二人とも凄く驚いて、心音に視線をやった。

「心音、落ち着きなされ、そして順を追って話したまえ」

「そうだよ中井さん、朝早く学校来たと思ったらいきなり。今度は何があったの?」

 訊くと、心音は息を切らして、それから結論から話し出した。

「兄貴が……兄貴が兄貴じゃなかったっ!」

「それは、血が繋がってなかったって意味かな?」

 佐藤さんよくわかったね。流石だ。

「じゃあ私は、小さい頃一緒にお風呂入ったのも小さい頃『好き』とか『結婚したい』とか抜かした相手は赤の他人だったって事!?」

「そ、そう言うことになるんじゃない」

「穴があったら埋めたいわよ!」

 まぁ気持ちは分かるけど……ん? あぁ、穴、埋めちゃダメだね。

「いや、そこは入ろうよ」

「え、穴があったら埋めたいじゃなかったっけ?」

 え、心音それ記憶違いしてたの?

「入りたい、ですな」

「ずっと埋めたいだと思ってた……」

 わぁ、なにこの微妙な空気。そしてなんでそんな記憶違いしているのさ、どこの誰がそれ言ったの? まぁ、大人になる前に間違いに気付いて良かった。

「まぁ、お兄さんの事は仕方ない。やってしまったもんはね」

「そうそう、お兄さんもきっと気にしてないよ」

「それはそれで嫌よ。異性認識されてないって事じゃない」

 それ、結構な答えだよ?

「妹認識は嫌なの? それってやっぱり」

「……なっ! ちがっ」

 答え、だね。

 心音ももうそんな歳かぁ。修一くんなら僕もいいと思うな。けどあの子、美少女が好きみたいだけど、どれにも恋愛感情はほぼないように見えるんだよねぇ。ちょっと、難しいんじゃないかな?

「別に今本人いないし~、素直になれよこのこの~」

「そんなこと言われても、分からないよ。私、そういうの知らないし」

 なんか、可愛いなぁ。木乃香さんにそっくり。

 僕が生きていればなー。けど、女の子の恋愛に男のアドバイスはあんま意味ないか。世代も違うし、それならクラスの子からの方が断然いいね。

「胸が跳ねたりしない? それがあったらもう完全に恋ですわ」

「佐野さん、私に跳ねるほどの胸があるように見える?」

 心音、多分それ、そう言う意味じゃない。胸は物理的に跳ねないよ。

 あれ、けど、跳ねてるの見たことあるな……。あぁそうだ、走れば跳ねるね! 僕見たことある、アニメで。

「そう言う意味じゃないですな」

「うん、そう言う意味じゃないね。中井さん、胸というより心臓だよ。なんかこう、ドキッとする事ないの?」

「ホラー映画見ている時みたいな感じ?」

 それも確かにドキッとなるけど、それじゃないかな。ちょっと違う。まぁ、なんか専門的に言えば同じ現象って聞いたことあるけど、今の場合は違うと思う。

「それはちょっと、違うタイプのドキッかな」

「心音ったら、疎いですなぁ。お兄さんと一緒にいるときだよ」

「兄貴と一緒にいる時に……確かに、少しする、かも?」

 何その表情……すっごい可愛い。木乃香さんそっくり、止めてよ心音、思い出しちゃうじゃないか。

 ま、まぁ置いといて。乙女だねぇ、心音。

「あーもうじれったい! その感じ確実に恋だから、中井さん! これ読んで勉強しなさい!」

「え、これ、少女漫画?」

 何々、『あなたとわたしの恋物語』か。あ、この作者さん、僕がち〇お買ってた時に読んでた作品の人だ! へー、まだ生きてたんだぁ。あぁ、そっか、二十代で死ぬ方が珍しいのか。

 あ、僕死んだとき一応三十か。んー、二十代って事にしとこ。大の男の一歳はそんな変わらないからね、問題ないよね。僕は二十代だよ。

 それはそうとして、この感じ、兄妹モノかな。

「兄妹モノだよ。今の中井さんはね、こういうの読むべき」

 やっぱ兄妹モノだ。僕も気になるなこれ。心音が寝たら読んでみよ。

 それにしてもさっきとは違って、佐藤さん随分押しが強いね。恋愛奉行かな。

「いい? 一緒に住んでいると分からないかもだけど、中井さんのお兄さん結構優良物件なんだよ。分からないだどうこう言っている内に契約決まっちゃうよ!」

「えー、あの変態兄貴がぁ? 部活、美少女研究会だよ?」

「結局ね、顔がよければ全部よしになるの。それにお兄さん頭いいんでしょ? 優良じゃん」

「そうなの?」

「そうなの! だから、『分からない』とかそういう言い訳してないで、早くしないと!」

「そっか。まぁ、今日帰ったら読んでみるよ」

 押し切られたね。

 確かに、修一くん男子校だから良いけど、共学だったら意外と直ぐに彼女さんできそうだね。あの子、人モテするから。

 けど、学校に漫画って大丈夫なのかな。

「けど、佐藤さん。後ろ、先生いるよ?」

「え?」

「佐藤さーん? 校則違反だよー?」

 あぁこれ大丈夫じゃない奴だ。これは、言い訳出来ないねぇ。

「あ、いや、これはその……」

「まぁ、一回目だから見逃してあげる。けど、二回目からは没収だからね?」

「不要物の持ち込みは禁止、分かった?」

「はーい」

 見逃してくれたみたい。優しい時代でよかったね~。

 そろそろ他の生徒達も登校してくる時間かな。あと確か、修一くんが学校につくくらいの時間だね。

 あ、そっち行くの? まぁ僕ももう話すことないし、君達はそっち行ってな。またね。



 うおっ、ビックリした。いきなり出てくんなよ。

 えーっとな、今はな、修一と林檎が登校していたんだけどな。今校門前で絶賛捕まり中だ。ほら。

「果樹園林檎と言ったか」

 このいかつい男性教師は、この学校の生徒指導の古金先生だ。この学校比較的校則は緩いけど、あまりにもの人は指導されるんだが。

 まあ見ての通り古金先生は俺より年上の五十代くらいの先生だから、少し考えが古い物でな。ここまで言えば大体察せるだろ?

「訊くが、男が女の格好をするとは、それは一体どういう見解だ」

 まぁ、実際俺も男が女の格好するのはあんま良くは思わないけどさ。時代が時代だからなぁ、非難したらこっちが非難されんだ。ジェンダーなんちゃらってな。まぁそこらは互いに妥協するのが吉ってモンだな。

 古金先生の厳つい顔にで問われたら、大体の生徒は恐縮するけど、林檎は動じない。なぜなら淫魔だから。

「それはですねぇ、男子校の女に飢えた男共からの欲情の目がたまらなく気持ちいからです~」

 え、おい林檎、この回答はどうかと思うぞ。案の定、先生は顔をしかめたし、丁度気配を消して横を通ろうとしていた男子生徒も固まり、逃げるように校舎に入って行った。

 そもそも林檎はジェンダーなんちゃらとかじゃなくて、淫魔だからな。あ、けど、【自己規制】も【自己規制】も胸もあるんだから、実質ジェンダーなんちゃらだな!

「果樹園、少し話をしようか。中井は教室行ってろ」

「あ、はい」

「じゃあまた後でね、修一」

「お、おう。また」

 林檎は表情一つ曇らせずに、古金先生の後について行く。むしろなんだが、楽しそうだ。

 修一は「あいつ、大丈夫か?」と呟いて、気にせず教室に向かった。

 本来なら俺は修一についてくべきなんだが、ちょっと林檎の方が気になるから、そっちを見に行くとしよう。

 やっぱ生徒指導室だよな、こういう時は。

 白い長机の先生の向かい側のパイプ椅子に座って、林檎は能天気に「話って何ですかー?」と。分かっているだろうに。

 先生はいかつい顔を顰めて話した。

「まずは果樹園。最近は男でもスカートを履いてもいいとかそういうのが言われているが、俺はいまいち納得がいっていないんだ」

「しかし、お前がどうしてもそういう格好をしたいとか、可愛い女の子になりたいとかそういう、なんだ? ジェンダーなんちゃら? があるのなら俺も少しは妥協しようと思った」

 あー、最近話題のあれね。なんだっけ、アルファベット三文字の奴。あれ、これは違う? まぁそんな感じのやつね。

「なんで男子校を選んだんだとかそう言うツッコミはしたくなるけど、時代が時代だ。俺だって炎上はしたくないし、理解できないなりに時代に適応していくつもりだ」

 切実だな。最近直ぐ炎上するもん。

「しかしなんだその理由はっ! 思春期男子の性欲を弄ぶんじゃない!!」

 おう、正論。だけどこいつ、淫魔なんだよなぁ。性欲弄ぶ生物なんだよな、そもそもが。

 先生に叱られても林檎は余裕そうで、それどころか何か企んでいるように見える。

「じゃあ先生、僕のおっぱい触ってみる?」

 ん? それは、何の脈拍だ?

「え、えと、今の流れでなぜそうなった?」

 そりゃそうなるわな。

「ほーら、いいよ? 僕はセクハラとかそういう事言わないからさ」

 おいおい、詰め寄るんじゃないよ。先生困惑してるだろ。

「いや、だから……」

「誰にも言わないし、拡散もしない。それに、誰も見てない。だから炎上なんてしないよ。だからほら、つべこべ言わずに揉めよ。好きだろ? おっぱい」

「まて果樹園、そういうのは、よ、よろしくないぞ」

「先生から来ないなら、僕からいくまでだよ」

 あー! 脱ぐんじゃない!

「なっ……」

「あれぇ、先生もしかして童貞さん? 女の胸見るだけで顔赤くするなんて、意外だなぁ」

 おいこら! 童貞とか言ってやるな、先生可哀想だろ!

「おっ、お前、女だったのか、なんで男子校に」

「ざんねぇーん、少し違います。見せてあげるよ、淫魔のモノ」

 ちょまて、林檎。流石に下はダメだって!

 待ってて! 落ち着けって! 見せられないからそれ! と、とりあえずお前等は筋肉猫ちゃんの胸筋見てろ。

「ひっ……」

「どう、おっきいでしょ僕の」

「ふふ、怯えっちゃって。とーっても、美味しそう。僕、丁度お腹空いてたんだぁ~」

 随分艶めかしいな……い、行くぞ、お前には多分まだ早い。

 しっかし、あれが淫魔の本領か。俺でも分かったぞ、あれ淫魔特有の力か何かだ。修一がモモに襲われかけた時のあれみたいな感じの。

 とりあえず、まぁ、ご愁傷様です。

 いやマジで、男が処女を使う時って精神的なダメージ大きいんだぞ。俺は美智子相手だったからまだマシなもんだったけど……。

 ……んー、中からお前には到底聞かせられないモノが聞こえるな。あまり生徒が通らない廊下だからよかったけど、これ聞かれたら色々と終わるよな。

 と思ったら、近寄ってくる足音がする。

 あ、けど、この足音は修一だな。あと、大智くんもいる。

「気になって来てみたけど、林檎、大丈夫か?」

「まー、相手が古金先生だからなぁ」

 うん、まぁ余裕勝ちしているんだけど。あと、今近寄らない方が良いぞ、割とマジで。

「ふぅ」

 あ、林檎出てきた。しかも、すっげぇ満足した顔して。

「あ、林檎」

「お、修一に田中くんじゃん」

 林檎はごく普通に修一と大智くんに手を振って微笑む。たまたま廊下で遭遇したくらいのノリだ。

「先生は?」

「ん、先生? とっても美味しかったよ」

 ウインクを決めて、林檎は鼻歌を歌いながら教室に向かう。それはもう、上機嫌もいいところだな。

「まさか……」

「多分」

 頷くと、二人は指導室の扉を恐る恐る開けた。そこには気怠そうに机に伏している古金先生がいた。

「せ、先生! 大丈夫ですか?」

「あぁ、中井と田中か……」

「時代の流れって、怖いな」

 あー、遠くを見てる。こりゃダメだ、割と深めに来てる、色々と。

 けどそれ、時代の流れのせいじゃないと思う。と言うか、確実に、

 修一もこれは一人にした方が良いんじゃないかと察したらしい。

「教室戻るか」

「だな」

 まあ、多分大丈夫だろう。多分。

 あ、林檎だ。わざわざそんな廊下の途中で修一待ってたのか。

「よっ、修一」

「林檎、お前さ」

 修一が文句の一つでも言ってやろうとしたが、先回って林檎が口を開いた。

「いやー、修一と会ってから淫気喰ってなかったから、お腹空いててさ」

「朝普通に食べてたじゃん」

「それとこれとは別だよ。淫魔だからね」

 へー、食事のそう言うのは違うのな。淫魔も大変だな。

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