第2話 何か変
フジさんの仕事は順調、でも彼女は異常だ。目の前で言えば殴られるが、フジさんはもう若いとは言えない。トレーニングにも限界がある。ましてや、声の仕事、そこまで体をいじめ抜くことは必要ないのだ。でも、やっていることは月並みなアスリートを超えるレベル。それに普通のアスリートは、崖を飛び越えたり、大岩を粉砕したり、プロの登山家が登らないルートで山を駆け登り、飛び降りることはしない。もちろん、僕が彼女と出会ったのが大きな要因だが、でもそれはそもそもの理由ではない。僕と会う前から、彼女は何かと闘う準備をしていた形跡がある。その理由は、彼女が珍しく実家に帰省することで明らかになった。
彼女の本名は御門月夜(ミカドツキヤ)で、藤野和布刈という声優名は、出身地に由来する。彼女の出身地である福岡県には由緒ある和布刈神社があり、ここからもらった名前だが、単に彼女は名前をもらっただけでなく、その神社とのつながりがある藤御門神社の神主の三人娘の次女にあたる。ちなみに、フジさんではなく、ツキさんと呼ぼうとすると機嫌はすこぶる悪くなる。どうやら月は嫌いらしい。やはり、チャンスがあれば月を破壊しようとする酒乱の癖だけは治して欲しい。
今現在、三女雪風(フブキ)の入婿が神社を継承し、商売と経営の才能ある三女が大いにこの神社を繁盛させている。県内のアニメスクールとコラボし、その神社や門司港が舞台のオリジナルアニメを制作、ネット配信し、その聖地としてこの神社を大きく取り上げる。街の商店街や歴史あるアーケードも聖地巡礼で賑わうため、喜んで神社の商売戦略に協力してくれる。商売は当然繁盛する。さらには、神社の次女があのレジェンド声優藤野和布刈である。長女純花(スミハナ)さんは、病気か何かで亡くなっているらしく、自宅にある大きな仏壇には大きな位牌、リビングの壁には三姉妹で撮った写真が飾られている。
その中のフジさんは、若く、今と違って何も警戒していない笑顔をカメラに向けている。その写真をみつめるフジさんは、いつも僕に見せる豪放磊落なものではなく、神妙である。今回の帰省の旅、僕はフジさんの胸の谷間に挟まっている無機物ではなく、アシスタントの女の子として来ている。同じ顔の人物がバッタリ街中で鉢合わせなんてベタで変なトラブルは嫌なので、東京駅の新幹線待合室で、北の方へ旅行に行く適齢の女の子を見つけて擬態している。もちろん、この帰省は、単なる里帰りではない。情報収集とフジさんの好きな鍛錬である。
翌日から情報収集。重要な人物たちと会うことになる。早朝から、小倉にある朱鷺御門神社の神主 御門剣也(ケンヤ)と会う。フジさんの従兄弟にあたるらしいが、彼にまとわり付く異質な妖気が気にかかった。さらに、厄介なモノが存在した。かなり遠くから僕たちが少しでも神主に変な真似をしたら襲いかかってきそうな女子学生だ。彼のことをガードしているようだが、人間ではない。僕とは違う種の擬態だが、可変種の擬態ではなく、特別な偽装であろう。僕は、この四千年の中で神や悪魔には会ったことない。神や悪魔を名乗るイカれた人間は多く出会ったが、まず、少し修行して身につけたスキルや何らかの技術で周囲を騙し、驚かせるだけのニセモノだった。僕は神も悪魔も人間が説明不可能な現象を説明したり、都合の悪い事の責任を負わせるために神や悪魔を創り上げたと思っている。科学技術の進展と共に、神も悪魔もだんだん不要になりつつあるのが現代だ。
ところが、妖の生物は、太古より存在して来た。別に不思議はない。人間は空を飛べないが鳥類は飛べる。鳥類も人間から見れば妖しい生き物となる。生物の一部は、物理的力ではなく、超自然的な力を進化させて生き残ってきた。肉体を失ってもこの世に存在できるとか、自然の元素をその能力に取り込んだ生き物とか、そんな異能の生物は妖の生き物とか妖怪とか魔物とか呼ばれてきた。そんな存在を太古の人々は知っていたし、ちゃんと恐れていたし、ちゃんと記録に残し、その眼で実際に見ることができた。従って、それに対抗する術を心得ていたが、現代人は、祖先がせっかく残してくれた記録遺産を全てインチキな作り話と信じることがなくなった。やがて、純粋で素直な心を持っている子供時代が過ぎると、そんな超自然的存在が見えなくなった。そのために、今では簡単に妖の生き物の餌食になる。
唐突に、ケンヤさんは、僕たちのところへ来るように、その妖の娘を手招きした。近くで見ると、ものすごく軽い感じで、制服姿の女子高生が近づいて来た。誰でも普通に話す会話のように、
「ツッキーちゃん、この娘さんは白雪さん、今の仕事を手伝ってもらっている。見てすぐわかると思うけど、妖魔ね。ものすごく強い子だよ。」
そう褒められて、その女の子は顔を赤らめた。この会話さえなければ、普通の可愛い女子高生にしか見えない。それよりも、僕は、ツキはダメで、ツッキーがいい理由が今ひとつ分からずに困惑していると、ツッキー、いやフジさんは、
「ケンちゃん、祓い屋、まだやっているの?」
と不思議なワードを使う。祓い屋って何?
「このあたりに払う必要のある悪妖はもういない、
依頼があればやるけど、日本にはもう少ないな。
異世界とか異次元との結界さえ壊れなければ、
僕たちの存在は不要だから。」
今気がついたのだが、白雪さんが、僕を疑い始めていた。
僕の擬態は完璧なはずだ。見抜けるはずないのだが、
フジさんが
「ケンちゃん、この子、私のアシスタントに見えるけど、
スペースコブラに出てくる古代兵器と同じだから、
地球を壊せるよ?退治する?」
と笑いながら言うと、ケンヤさんは、
「本当に破壊不能の困った子なら、白雪に喰わせるから大丈夫だ!」
とジョークで返す。ただ、白雪さんの舌なめずりを見ると、本気なのか
ジョークなのか、僕には理解不能である。それに古代兵器が何なのか
よく分からん。この会話中、白雪さんは、僕に対してだけは決して気を
抜くことはなかった。えっ、それにマジ、古代兵器って何だよ⁉︎
ゆるい世間話が終わって、話がやっと本題に移った。
「純姉のこと、何か掴めた?必ず、痕跡があるはずなんだ!」
「その件だけど、少し重要なことが分かったよ。あの呪いは、日本の古
来のものものではない。俺たちが詳しく研究し、精通している他の東洋の
ものでもない。文化普遍性のため、どんな儀式も呪術も似たものは
どの文化圏にも存在する。でも、あの呪いは、古代の中国やチベットや
インドのものとも違う系統だと思う。おそらく、今のヨーロッパが
ヨーロッパと呼ばれる以前の祟りか呪い、でも正直、ここで行き止まり。これ以上は、分からない。太古の消えた呪い、もはや調べる文献もないし、専門家もいない。ファンタジー小説の世界には、それを思いつい
た奴が多々いるけど、完全な妄想と創作なのでリアルじゃない。
ギリシャ神話、ローマ神話、北欧神話を断片的に繋げると、
類似のものはあるけど、確信は持てない。
でもスミちゃんの件はリアル事象だから。」
「でも、平成の日本で発動した奴がいるのだから、痕跡は必ず見つかる
し、調べる術は、どこかはある。だから、私は諦めないよ!」
ケンヤさんは、哀しげな目で、
「君もアイツと同じ事を言うんだね。もう過去のことであり、
当面の問題は解決済み、もうこれ以上できることはないから
手をひけと言っても諦めようとしないんだよ。」
アイツとは、ケンヤさんの古くからの親友で、亡くなった純花さんの
夫、フジさんの義兄にあたる人のことだ。その言葉を聞いて、哀愁漂う声で、フジさんが
「義兄さんの居所はまだ不明なんだね、、」
首を横に振り、ケンヤさんは、
「居場所は分からんが、生きていることは生きているよ。
昔のアイツとは違うけどね。もはや、現代の闇の世界の
住人だから、しばらく、アイツとは距離を置いた方がいい。
何か進展が有れば、必ず、アイツから近づいてくる。」
フジさんが、珍しく無言でいると、
「ツッキーは、何もしない方がいいけど、
一応、護身用ね、儀式済みだから、それなりに使える。
それに、その可愛い最終兵器は滅びの兵器だから使わない方
がいい。あの海賊コブラにも手に負えなかったんだから。」
と言いながら、まるでおしぼりでも手渡すかのように黒塗りの木刀
を差し出した。海賊コブラって誰、最終兵器は何.?と
思考の沼に落ちていると、
フジさんは、ケンヤさんから、その黒色の異様な雰囲気の木刀を
受けとった。それから一礼して、一旦、実家に戻り、巫女の姿に着替え、神社裏でその木刀を振り続けた。一振りするたびに、空気が切り裂かれる。どんなに振っても目の前の木の葉は揺れない。でも、文字通り、空気だけが鋭く切られていく。
その夜、寝床で神妙な面持ちで、僕に話しかけた。
「トリック、もし、もしでいいんだ。もし、古代から生きている君が
知っていることを教えて欲しい。ケンちゃんが言っていた、古代の
呪いについて何か知らないか?」
僕は、真面目に答える必要があった。
「フジさん、さっきのワードだけでは絞り込めないよ。
古代の失われた魔法や呪法は多いから。
でも、大半は中世の魔法や呪いに姿を変えて残ったし、
一部は文献もある。それにヨーロッパのどこかでも
話は変わってくる。
まずは、どんな呪症と呪象があったか。詳しく話して欲しい。
そして、最期にどんな結幕を迎えたか詳しく教えてほしい。」
と僕は理路整然と説明した。
そして、釘を刺した。
「それとね、事情はわかるけど、感情を込めて話されても困るんだ。
冷静に筋道を立てて、事実と感情が混ざらないように、包み隠さず
話せるようになったら教えてよ!」
フジさんには時間が必要だったようだ。一週間、黒色の木刀を
縦横無尽に振り続け、破魔の矢に気をこめて放つ稽古を黙々と
こなし、東京に帰る前の晩、フジさんは、巫女姿で僕の前に姿を現し、
五年ほど遡る昔話を始めた。
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