第九話 大鴉の森 三 バウムクーヘン


『ゴブリンとレッドキャップですか、またうじゃうじゃと……。ざっと見ただけでも七十匹以上はいますね……』

「成敗……」


 ゴブリンとレッドキャップの混成部隊を目にした熊野は、ゴキブリでも見つけたかのような声を出し、真綾は真綾で、駆除すべしと闘志を燃やし始める。

 彼女たちのこの反応には理由があった。


 実は以前、花から借りた本を熊野丸で読んでいた時、作中、ゴブリンが女性にしたことで、真綾にはわからない遠回りな描写があったのだが――。


「花ちゃん、ここ、ゴブリンは何したの?」

「そ、そこは……アレだよアレ、すごく…………エッチなことだよ」

「エッチ?」

「フフフ、体は大きくても真綾ちゃんはまだまだ子供だね。……エッチといえばアレだ…………。ス、スカートめくりとか、チ、チューしたり、とか、お尻やオ、オッパイをちょっぴり触ったり、とか…………ほら、真綾ちゃんが観てる時代劇でも、たまに悪代官あたりがやってるシーンがあるよね、アレだよアレ……ね、熊野さん!」

「……こんなハレンチな…………え? あ、はい! さようでございます、アレでございます。寄ってたかってか弱い女性にこのような真似をするなんて、熊野は怒髪天を突く思いでございます! コレは乙女の敵でございますよ真綾様!」


 ――と、祖父に純粋培養で育てられた真綾の質問に花が顔を真っ赤にして答えるという流れから、ゴブリンは最終的に、昭和乙女の心を持つ熊野から乙女の敵認定されていたのだ。

 ちなみに熊野は、心こそ純真無垢な乙女ではあるが、かつて貨客船として多くの男女を乗せていたため、また、船医の知識もそのまま持っているため、性に対する知識は花たちよりもはるかに豊富であった……。いわゆる〈耳年増〉である……。

 その他に借りた本でもゴブリンやオークは同じような扱いであったし、レッドキャップも同様に、どの本でも非常に狂暴な存在として登場したため、今やすっかり、ゴブリンとオークはエッチな悪者、レッドキャップは殺人鬼として、彼女たちに蛇蝎のごとく嫌われているのだ。

 思えば少々ひどい偏見のようではあるが、彼らに対するその認識は、この世界でもあながち間違ったものではないらしく、先日、初めて真綾を襲ってきたゴブリンは、明らかに人間の新生児と思われる頭蓋骨をネックレスのようにして、自分の首に掛けていたのだ。

 それを見た真綾がデストロイモードになったのは、言うまでもない。

 そして今回の集団も、どうやら認識どおりの存在らしい――。


 レッドキャップはゴブリンよりも体がひと回り以上大きいのだが、そのレッドキャップのなかでも飛び抜けて大きい指揮官らしき個体が、手にしている斧を高く掲げ――。


「ギャギャギャ!」


 ――耳障りな声とともに振り下ろすと、それを合図に、屋根の上にいるゴブリン弓兵たちが一斉に矢を放った! 

 ゴブリンは六〇センチメートルほどしかない身長のわりに、十歳児くらいの力があるため、弱い弓くらいなら問題なく引けるのだ。弱い弓といっても、屋根の上から真綾までの短い距離ならば殺傷力は十分にあるだろう。

 四方八方から真綾に向かって雨のように矢が降り注ぐ。その、もはや点ではなく面とも呼べる攻撃にさらされては、普通の人間ならばハリネズミになるのは確実だ……。

 しかし――。


「ギャ……」


 ――真綾は普通ではなかった……。

 自分たちの目の前で行われた光景に、襲撃者たちは驚愕していた。

 ありえないことに、なぜかいったん〈鬼殺し青江〉を収納した真綾は、器用にも、避けられる矢は〈死角から〉のものも含めてすべて避け、そうでないものは……なんと、素手で掴み取ったのだ。


 そして彼らは、ふたたび驚愕することになる――。

 なんと真綾は、掴み取っていた矢を、屋根の上にいるゴブリン弓兵たちへ、次々と信じられない速度で投げ始めたのだ。しかも、手元の矢がなくなると、今度は地面に突き刺さった矢を素早く引き抜いて……。

 真綾に向けて放たれた時をはるかに凌駕する速度で飛んだ矢は、ゴブリン弓兵たちの眉間に深々と突き刺さり、あっという間に彼らを魔石に変えていった。


「二指真――」

「ギャギャギャ!」


 親友から教わった技名を真綾が口にしている間に、いち早く我を取り戻した指揮官が、ふたたび号令をかけた。すると今度は、武器を携えたゴブリンの大群が四方から一斉に、真綾を仕留めんと動き出す。

 指揮官のレッドキャップは優秀らしく、知能の低いゴブリンたちが訓練を受けた軍隊のように統率の取れた動きをしている。いくらゴブリンが人間の成人男性より非力とはいえ、武器を持った大集団が連係して動く、それがどれほど恐ろしいことか……。

 今まさに、小さいゆえ一定面積当たりの数を増やせるゴブリンたちの、無数とも呼べる凶刃が、全方位から同じタイミングで真綾に迫る。真綾危うし、危うし真綾!


「ギャ……」


 指揮官は、開いた口が塞がらなかった……。

 ゴブリンたちが間合いに入った瞬間、たしかに、凄まじい速度で真綾が一回転したように、彼の目には見えた。するとその直後、彼女に迫っていたゴブリンたちが同時に魔石へと変わったのだ。――いや違う、飛びかかっていたゴブリンたちも空中で魔石になったということは……おそらく真綾は超高速で二回転したのだろう。

 真綾の大阪生まれの友人、ツッコミ職人火野照子がこの場にいたら、きっと呆れてこう言ったに違いない、「マンガやな」と……。

 そして、ありえない光景を前に固まってしまったゴブリンたちの隙を、デストロイモードの真綾が見逃すはずもなく、彼女はそのまま集団の中に突っ込んでいった。……気分はすっかり有名時代劇映画の主人公だ。


「ギャ!」

「ギャアアア!」

「ギャ……」


 乱戦のなか、真綾が〈鬼殺し青江〉をひと振りするたび、ゴブリン数匹の上げる断末魔の悲鳴が夜の森にこだまし、ポトリポトリと魔石が地面に落ちていく。それはもう、戦いというより、一方的な虐殺であった……。


 最後のゴブリンが魔石だけを遺して光の粒子なったあと、ついに指揮官が真綾の前に出てきた。レッドキャップのなかでもひときわ大きいその体は、ゴブリンの倍、一二〇センチメートル以上はあるだろうか、老け顔の小学生が赤い帽子を被っているようにも見えなくもない。だがしかし、その体は鋼のように引き締まり、明らかに強者の雰囲気を纏っている。


「ギャギャギャッ、ギャ(やるな人間)」


 彼は真綾を真正面から見据えると、彼らの言葉で何やらしゃべりだした。


「ギャギャ、ギャギャーギャギャ、ギャギャギャギャ、ギャギャーギャギャギャギイ(だが、ゴブリンなどただの雑兵、塵芥に過ぎぬ。それを倒したくらいでいい気になられては困る)」


 戦闘種族レドキャップの血が強者を前にして昂ぶっているのか、やけに饒舌である。


「ギャギャギャ、ギャッギャギャギャ、ギャギャギャギーギャ、ギャギャギャ! (我ら赤い九連星の恐ろしさ、とくと味わうがよいわ!)」


 その言葉が終わるやいなや、指揮官を含めて九体のレッドキャップが、真綾の周りを高速で走り出した!

 ゴブリンがそうであったように、レッドキャップもまた、見た目以上の力を持っているのだが、その力は体格のよい人間の成人男性並み、指揮官はそれよりもさらに強い。そして何より、――彼らは恐ろしく敏捷なのだ。

 真綾を取り囲む赤い輪が、ジワジワとその直径を狭めてくる。彼らはこれから何をしようというのだろうか。


「ギャギャギャ、ギャギャギャギ、ギャギャギャギギャギ――(どうだこの速さ、うぬの目では追えまい。ゴブとは違うのだよゴブと――)」


 高速走行中に絶好調でしゃべっていた指揮官の言葉が、唐突に途切れた。

 レッドキャップたちの作る赤い円に一瞬で接近した真綾が、彼らとは逆方向に超高速走行を始めたのだ。……赤い円に〈鬼殺し青江〉を突き入れた形で。

 赤い円の内側に、一瞬、黒い円が生まれる……。

 その結果、とてつもない相対速度で迫る白刃を避けるどころか認識することさえできないまま、赤い九連星は一瞬で九個の魔石に変わり、慣性の法則に従って周囲に飛び散ってゆく。赤い軌跡を描きながら空中を流れるその様は、まるで九個の赤い彗星のようであった。

 彼らが真綾に対してどのような攻撃をしようとしていたのか、それはもはや、永遠の謎である……。


『お見事です、真綾様。…………真綾様をお守りする立場にありながら、なんのお力沿いもできず、申しわけございませんでした』


 周囲から悪意が消滅したことを真綾の勘により知ると、熊野は〈鬼殺し青江〉を収納した真綾に謝った。ここが自分の船上ではないため、ハーピーと真綾が戦った時のようなサポートもできず、熊野は戦闘中ずっと、口惜しい思いをしていたのだ。もちろん、彼女の加護があったればこその勝利だし、彼女自身、力加減の演算と調整などのサポートを完璧にこなしていたのだが、忠義者の熊野としては、もっと真綾のお役に立ちたい……。

 そんな熊野に、真綾が声をかける。


「熊野さん」

『はい』

「お腹がすきました」

『あら、まあ』

「熊野さんのバウムクーヘンが食べたいです」


 真綾が所望したのは、【船内空間】に収納してある熊野特製料理のなかでも特に熊野が自信を持っている品のひとつだ。真綾が初めてこれを口にした時、その美味しさのあまり丸々一本をたいらげてしまい、同席していた花がポカンと口を開けていたことを、熊野は今でもはっきりと記憶している。

 それを真綾がこのタイミングで食べたいと言う……。その意味に思い至り、熊野はハッとした。

 何も敵を直接どうこうすることだけがすべてではなく、充分、熊野は自分の役に立っていると、口下手な真綾は彼女なりに伝えたかったのではなかろうか?

 真綾という不器用な少女の優しさに触れた思いがした熊野は、つまらぬことで意気消沈していた己を恥じ、善き主を持てたことの喜びに声を弾ませて答える――。


『はい! それではお夜食にいたしましょう。バウムクーヘンの在庫は何種類かございますが、どれがよろしいですか?』

「イチゴの……」

『かしこまりました。それでは、真綾様が前に褒めてくださった、イチゴの果肉をたっぷり使ったものがございますので、そちらにいたしましょうね』


 気を取り直した熊野は張りきって真綾の要望を聞いているが、真綾がこの時、本当に熊野のことを気遣ったのか、それとも単に、グルグル回っていたレッドキャップから連想して、イチゴのバウムクーヘンを食べたくなっただけなのかどうか、……それは永遠の謎である。

 ともかく、こうして無事に、今日も真綾たちの夜は更けていくのだった。



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