第五話 転移 五 女城主


 祖父の書斎にあった写真で幾度となく見た曾祖母が、異世界の廃城に飾られた絵の中にいる……。少なくとも真綾がそう思ってしまうほど、そこに描かれた若い女性は彼女の曾祖母に似ていた。

 絵を見上げながら首をかしげた真綾に、脳内で熊野が声をかける。


『たしかに、儚げな雰囲気や、とてもお美しいお顔など、奥様に驚くほど似ていらっしゃいますが、……別人です。わたくしは奥様を実際にお乗せいたしましたので、雰囲気やお顔をよく存じ上げているのです。――奥様は儚げななかにも、こう、なんと申しますか……お転婆な雰囲気をお持ちでしたが、こちらのお方にはそれが感じられません。真綾様、よーくご覧ください、お顔も少し違いますよ』


 真綾が目を凝らして女性の絵を見ると、纏っている雰囲気や黒髪、美しく整った顔はよく似ているものの、たしかに熊野の言うとおり、彼女の曾祖母とは少し違う。それに、ここに描かれている女性の美しさは、何か……人外のもののように感じられるのだ。


「なるほど……」

『ですが、本当に似ていらっしゃいますね、奥様と姉妹だと言われても誰も疑わないでしょう。――案外、こちらのお方が外のハーブを育てていらしたのかもしれませんよ、奥様もご自分で植物を植えられて世話なさるのが、たいそうお好きだったそうですから』


 異世界に転移してしまった真綾の気持ちを少しでもやわらげるため、熊野は優しい想像を語った。真綾にはそれが熊野の気遣いであるとわかっていたが、不思議と確信もしていたのだ。――熊野が言ったとおり、ハーブを育てていたのがこの女性だということを。

 かつてこの城で暮らしていた人物に真綾が覚えていた親近感は、大好きな祖父を育んでくれた曾祖母に似た絵を見て、さらにその強さを増したのだった。


『城に入ってからここまでに飾ってあった肖像画はこれだけですし、この絵の大きさと飾られている場所からすると、こちらのお方はここの女城主だったのかもしれませんね。素敵ですね~、憧れます』

「……おんな城主なおと――」


 熊野の言葉に反応して、昔の大型時代劇の題名を口にしかけた真綾は、あることに気づいた……いや、あることを直感した。


「熊野さん」

『はい?』

「魔法で魔物を成敗したのって……」

『……はい、充分考えられます。真綾様がそうおっしゃるなら、おそらく』


 真綾の人並み外れた勘の鋭さをよく知っている熊野は、即座にその可能性を考えて、彼女の言葉を肯定する。


 押し寄せる魔物の軍勢相手に、魔法を使い孤軍奮闘している女城主の姿が、今、真綾の脳内にはありありと映っていた。

 残念ながら城の現状を見る限り、彼女が無事に魔物を撃退したあと、ここで末永く幸せに暮らした、というわけでないことは真綾にもわかる。――しかし、せめて無事に脱出していてほしい――。


「この人がどうなったのか、知りたいです」


 真綾は想いを口にした。彼女の中でここの女城主は、もはや他人とは思えない存在になってしまっていたのだ。


『……かしこまりました。――今のところ、人間のご遺体らしきものは見つかっておりませんので、大ホールでの戦闘は生き延びられた可能性が高いです。そして、ここが荒らされていないところを見ますと、少なくとも、この経路での追撃はなかったのではないでしょうか? そのあとは……探してみましょう、何か手がかりが見つかるかもしれません』

「はい」


 魔物による襲撃を受けた女城主がどうなってしまったのか、それを知る手がかりを得るため、真綾は城内の探索を進めた――。


      ◇      ◇      ◇


 城の南側に見晴らしのよいテラスを見つけた真綾は、そこにあった石造りのベンチに座り、優雅なランチタイムを楽しんでいた。どんなときでもしっかり食べる! それが彼女の流儀なのだ。……祖父が体調を崩してからは、それを忘れてしまっていたのだが……みんなのおかげで今や絶好調である!

 三段重ねの重箱にギッシリ詰められていた料理をすべてたいらげ、静かに真綾は手を合わせた。

 天の神々よご照覧あれ! ああ、その姿のなんと美しいことか……。食事量さえ考えなければ……。


「ごちそうさまでした」


 静かにそう言うと、カラッポになった重箱を【船内空間】に収納した真綾は、すぐに城内探索を再開……せず、しばらく湖を眺めながらまったりお茶したあとで、ようやく立ち上がった。……これが彼女の流儀なのだ。


      ◇      ◇      ◇


「魔石がない……」


 城内を歩きながら真綾はひとりごちた。その言葉どおり、大ホールで大量に発見して以来、魔石はひとカケラさえ見つかっていない。


『真綾様、大ホール以外は荒らせれた形跡が無く魔石も無い、ということは、大ホールだけにしか魔物が入っていないのですよ。――武器を扱っていることから魔物の形状が人間に近いとして、回収した武器の寸法から推測いたしますと、その身長は、最低でも人間の二倍以上はあったと思われますので、おそらく侵入可能な開口部は正面玄関だけだったのでしょう。それで、玄関扉を破って大ホールに侵入してきたところを――』

「成敗」

『はい、魔法で一網打尽にされたのでしょうね。ご安心ください真綾様、ご城主はよほどお強いお方でいらしたようですから、きっと、ご無事に脱出なさってますよ。――何かそれを裏付ける手がかりが見つかるといいのですが……』


 午前中ずっと城内探索をした真綾だったが、実はこれまでのところ、何も見つけ出せていなかった……いや、ほとんどの部屋が荒らされずにいたため、家具調度品もそのまま残っていたのだが、肝心の、女城主がどうなったかを知る手がかりだけが見つからなかったのだ。


『ここで最後ですね』

「はい」


 真綾は城内三階にある扉の前に到着した。ここだけ鍵がかかっていたため、探索を後回しにしていたのだ。

 ドアノブを静かに見つめていた真綾は、熊野に問いかける。


「瞬間移動は無理ですか?」


 真綾は熊野丸から五〇〇メートル以内なら、見えていない場所でも瞬間移動による上下船が可能なため、いったん熊野丸に戻ってから扉の向こうに瞬間移動できないものかと思ったようだ。

 ちなみに、熊野丸を中継したこの瞬間移動方法も、花の発案によるものである。


『残念ながら、中がどうなっているかわかりませんので……』


 熊野が申しわけなさそうに答えた。やはり、視認不能なうえに一度も行ったことのない場所へは、瞬間移動できないようである。

 解錠できれば問題ないのだが、さすがの熊野にもそのようなスキルはない。無駄とは知りつつも真綾は扉を何度かノックしてみたが、そのたびに返ってきたのは沈黙だけ……。心苦しいが、こうなれば手荒い方法を採るしかなさそうだ。


「ごめんなさい」


 悲しそうに謝ると、真綾は丁寧に扉をブチ破った。


「失礼します」


 扉を破壊した張本人が律儀にお辞儀してから中に入ると、部屋の中は優しい色調で統一され、天蓋付きの豪華なベッドが置かれていた。暖炉がふたつ配されているのは部屋をよく暖めるためだろうか? どうやらここは主寝室のようだ。


『失礼いたします……まあ! とても素敵なお部屋ですね~。もしかして、ご城主の寝室でしょうか……あら? あの絵――』


 部屋の様子を見て乙女心をときめかせていた熊野は、奥の壁に飾られた一枚の絵に視線を吸い寄せられた。そこに描かれていたのは、ひとりの男性と女城主、そして幼い子供がふたり。みんな幸せそうな表情をしている。


「いい絵です」


 階段ホールに飾ってあった肖像画ではどこか寂しそうだった女性が、この絵では優しい微笑みを浮かべているのを見て、真綾は春の陽だまりような温かい気持ちになった。


『はい、本当に……。ご家族でしょうか? 個人個人の肖像画ではなく、皆様がお揃いになったところを一枚の絵に描かせているあたり、ご城主からのご家族に対する深いご愛情を感じますね。……なんて優しい絵……』


 幸福感漂う絵に近づき見入っているうちに、真綾たちはますます気になってきた。大ホールでの戦闘を切り抜けた女城主は、その後どうなったのだろう……。


「……気になります」

『……はい、こうなったら無事に脱出していていただかないと、わたくしも寝覚めが悪うございます』

「はい」


 寝覚めも何も熊野が寝ることはないのだが、ささいなことにツッコミを入れない真綾は、その絵にそっと手を触れると【船内空間】へ収納した。

 大ホールにいた時は、勿体ないと言って魔物の武器や魔石を回収した真綾だが、城の家具調度品にはいっさい手をつけていない。それは女城主に対する真綾なりの礼儀であったのだが、その真綾が今回起こした意外な行動に、熊野は少しばかり驚いた。


『なぜ、今の絵は収納なさったのですか?』


 熊野の問いかけに真綾は首をかしげる、自分でもよくわからないと言うように。


「なんとなく?」

『……なるほど、そういうことでしたか。――おそらく、真綾様生来の勘かプチガミ様の冥護が、そうするよう、お告げになったのでしょうね』


 真綾の言葉に熊野は納得した。不思議な力が何らかの理由であの絵を回収させた可能性は高い。真綾がそうするからには、その行動にはきっと意味があるのだ。


 そのあとも頭の中に話しかけてくる熊野と会話しながら、真綾が部屋のあちこちを物色していると――。


『おや? おかしいですね……』


 ――熊野が何かに気づいたようだ。


『ここは主塔の三階にあたるのですが、この部屋の上にはまだ数階ぶんの空間が存在するはずなのです。……この上っていったい、どうなっているんでしょう? それに、この主塔の平面は正方形なのに、この部屋はどう見ても長方形ですよね、……奥の壁、怪しくはございませんか?』


 熊野が言うとおり、この部屋は入り口から見て横に長い長方形だ。正方形でなければおかしいとすれば……。

 真綾は入り口とは反対側の、さっき収納した絵がかかっていた壁に近づくと、コンコンと叩き始めた。前に観た映画のワンシーンを思い浮かべながら。

 そんな真綾に熊野が話しかける。


『探偵ものや冒険ものの小説みたいですね、ワクワクします』

「はい」


 脳内会話だから誰にも聞かれる心配はないのに、なぜだかヒソヒソと話す熊野と、それに釣られてヒソヒソ声になる真綾、どちらもこの状況を楽しんでいるようだ。


「熊野さん」

『はい?』


 しばらく壁のあちこちを叩いていた真綾が、ヒソヒソと熊野の名を呼んだ。何かを発見したのだろうか?


「これ、怪しい……」


 真綾が指差したのは、大きな暖炉の上に置いてある、あからさまに怪しい鴉の像……。よく見れば、その首元にはグルっと細い切れ込みがある。


『…………あからさまに怪しいですね。回せそうですか?』

「はい。――成敗」


 熊野の問いかけに頷いた真綾は何やら口にすると、鴉像の首をムンズと掴んでゆっくり捻った、クロのことを思い出しながら……。

 鴉像の首が真横を向いた時、ガチャリと音がした。すると数秒後、暖炉の奥にあるレンガ壁が、ズズズと音を立てて横にスライドし始め、人ひとり入れそうな空間が現れたではないか。


『当たりでしたね。古城の隠し扉だなんて本当に小説のようで、わたくし、なんだか興奮しております』

「入ってみます」

『お気をつけて』


 壁が動く様子をしゃがんで眺めていた真綾は、なんのためらいもなく、暖炉の奥でポッカリと口を開ける空間に入っていった。彼女に普通の女子中学生のような恐怖心はないらしい……。


 暖炉の奥は短辺が二メートルほどの細長い部屋になっていた。足元の壁に空いた排水孔らしき穴と、いくつか縦に並んだ窓から光が入っているため、想像していたよりは明るい。問題は――。


『どうやって、あそこまで登るのでしょう……』

「階段が……」


 石造りの空間に真綾の声が反響した。その部屋から上は、数層ぶんの吹き抜けになっていたのだ。

 見上げれば、梁の上には板が張られていて、そこに入り口と思われる四角い穴も見えることから、その上は部屋になっている可能性がある。しかし、床から入り口までの高さは八メートルほどあるのに、階段やハシゴの類がまったく見当たらない。それどころか、縄バシゴやロープの残骸すらないのだ。まるで、そんなものは必要ないと言っているように。


『……まさか、ご城主は空を飛べたとでも……は!』

「熊野さん、もしかして」

『はい、もしかします!』


 何かに思い至ったのか、ふたりは興奮気味な声を上げた。


『真綾様、行ってみましょう!』

「真綾、行きます」


 そう言って真綾は入り口らしき穴を見上げると――一気に跳び上がった! カタパルト発射される人型兵器のごとく!

 一気に入り口を通り抜けると空中で華麗に体を回転させ、しなやかな猫科の動物を思わせる身のこなしで、真綾は音も無く上階の床に降り立った。


 そこは真綾が今までいた場所同様、壁に挟まれた廊下のような空間になっていた。

 そしてその壁の片方には、ひとつだけ扉がある。


『素晴らしい着地でございました、さすがは真綾様』

「真綾大地に立つ」


 着地を褒めてくれる熊野にわけのわからない言葉を返すと、真綾は目の前にある扉を無造作に開いた――。




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