第四話 転移 四 古城
転移四日目――。
いよいよ異世界の探索を開始した真綾は、その第一歩として、あの古城がそびえる小島へと瞬間移動していた。西に船首を向けて錨泊している熊野丸の前方にその小島があるため、真綾が出現したのは島の東側に当たる場所だ。
『よろしいですね真綾様、いざというときは、すぐにご帰還ください』
「はい」
やや小高い位置に立つ古城を見上げる場所で、心配する熊野にいつもどおり短く答えると、真綾は足を踏み出した――。
遠目には小さく見えていた古城も、さすがに近くで見るとそれなりに大きい。高い方形主塔に館や小塔が付属しているのがわかる。城とはいっても、堅牢な城壁で囲っているわけでなく、建物の窓もさほど小さくないあたり、あまり実戦を想定したものではなさそうだ。白漆喰で塗られた瀟洒なたたずまいを考えると、貴族の城館といったところだろうか。
白漆喰がところどころ剥がれ落ちてしまった外壁に、バラ科の植物らしい蔓が絡みついている。今や、生い茂った植物たちが城の主であるかのようだ。
自分が出現した場所から城へと続く狭い石階段を上った真綾は、急階段が終わり平坦な石畳になったところで、思わず足を止めた。
「西洋ニワトコ……」
前方で城の外壁沿いに方向を変える石畳の脇に茂っている、高さ九メートルほどの植物の名前が、真綾の口から自然とこぼれ出た。
ずいぶんと大きく育ってはいるが、その植物を幼いころから見てきた真綾にはひと目でわかった。赤黒い小さな実をたわわに実らせたそれは、祖父が好きだった西洋ニワトコで間違いない。
『はい、そのようです。――それにしても立派ですね~。これでしたら、実のジャムがたくさん作れそうです。――よく見たら他の植物もハーブ類が多いようですし、湖周辺で視認できなかったものもいくつか見受けられますので、ひょっとしたら、このお城で栽培されていたものが、これだけ繁殖したのかもしれませんね』
「ここにいた人が?」
『はい。――たとえば西洋ニワトコなどは、花や実だけでなく葉や茎にも薬用がございますので、西洋では古くから何かと重宝されておりますし、他のハーブ類も、観賞用と実用を兼ねて好んで栽培されている品種ばかりですから、ここに住んでいらした方が栽培なさっていたんだと思います』
西洋ニワトコを栽培していたかもしれないと聞いて、かつての住人に親近感を覚えた真綾は、まだ人が住んでいたころの、花々に囲まれた白亜の城館に想いを馳せた。
ここに住んでいたのは祖父のように優しい人だったに違いないと、なぜだか真綾は思ったのだった。
『まあ! ローズヒップです! 外壁に絡みついている蔓をご覧ください、真綾様』
突然明るい声を上げた熊野の言葉どおりに真綾が城の外壁を見ると、そこに絡みついた蔓のあちこちに艷やかな赤い実がなっていた。
『どうやらあの蔓はイヌバラのようですね。――真綾様、たいへん申しわけございませんが、いくつか実を摘み取ってくださいませんか? 西洋ニワトコの実と違ってローズヒップは在庫がございませんので。帰ったら乾燥させて、ローズヒップティー用のドライハーブにいたしましょう。たくさん収穫できたらジャムにするのもよいですね』
「合点承知」
おいしそうな単語を聞いた真綾は即座に外壁まで接近し、ローズヒップをブチブチと摘み取っては【船内空間】に収納し始めた。なかなか終わらないところを見ると、やはりジャムを作ってもらうつもりなのだろう。
しばらくすると、機械のごとくローズヒップ狩りを続けていた真綾の頭に、熊野の声が響いた。
『はい、終了~。これだけあればジャムもたっぷり作れます。甘ずっぱくておいしいですよ、楽しみにしてくださいね』
「むふー」
真綾、満足そうである。食べたことのないローズヒップジャムの味を想像しながら、彼女はふたたび歩き始めた。
外壁沿いに石畳の通路上を歩いていた真綾が、小塔になっている角を曲がり、城の北側に出ると、そこは広範囲に石畳を敷いた広場になっていた。
『広場ですね。……あら? あちらのほうは見晴らしがよさそうですよ』
熊野の言うとおり、広場を挟んで城とはちょうど反対側に、木々も無く視界が開けている場所がある。真綾は何げなくそちらへ歩いて行った。
広場の端に着くと、そこには、真綾が上ってきたものよりはるかに幅広の石階段が、朝陽に煌めく湖水へと真っすぐ続いていた。階段には装飾が彫り込まれた石造りの手すりまである。
『あちらからは死角になっておりましたが、この様子を見ますと、どうやらこちらが正式な登城路だったようですね。……ということは、やはりあれが――』
熊野の言葉に合わせて真綾が城を振り返ると、草むした石畳の向こうに、城の玄関が見えていた。
背後に大きな主塔を、左右に小塔を配した建物の、向かって左寄りにある玄関に真綾が歩いて行くと、かつては城を守っていたであろう巨大な扉は内側に倒れ込み、彼女の前には、薄暗い空間がポッカリと口を大きく開けていた。
『扉が内側に倒れておりますね。破損の具合から見ても、強引に外から打ち破られたのでしょう。――真綾様、お気をつけください』
「はい」
熊野の緊張した声に頷くと、真綾は薄暗い場所へと足を踏み入れた――。
◇ ◇ ◇
そこは、真綾が入ってきた入り口から右へと延びる長方形の大ホールだった。 入り口を入ってすぐ大ホールになっているのは、西洋ではかなり古い時代の城館に見られる間取りなのだが、こちらの世界ではどうなのだろう。
天井までの高さは八メートルほどだろうか、高い位置に並んだ窓から差し込む光の列が、薄暗い室内を照らしている。
壁や床のあちらこちらに破壊の跡があり、家具調度品もその多くが破損しているなど、室内はかなり荒れていた。
時が止まったような静寂のなか、カツカツと靴音を響かせて歩き始めた真綾の脳内で、熊野が訝しげな声を上げる。
『変ですね……』
「どうしました?」
『はい、仮にここが戦争などで荒廃しているとして、無傷な家具調度品まで手つかずなのはどうも……。普通ならば敵か、後々侵入してきた盗人に略奪されていてもいいはずなのに……あ、真綾様、床をよくご覧ください』
熊野に促されて目を凝らした真綾は、広い床のあちらこちらに転がっているものに気づいた。どうやら、長い年月のうちに積もった埃によって隠されていたようだ。
そのひとつを真綾が拾い上げ、表面の埃を親指で拭うと、ハーピーの遺していったものと同様の宝石が妖しい光を発していた。
「魔物?」
真綾の口から、花によって刷り込まれた単語が流れ出た。ここに本人がいたならシメシメとほくそ笑んだに違いない。
『はい、そうとしか…………。なら、この城が魔物の襲撃を受けて放棄され、そのままこの一帯が人間の近寄れない危険地帯になった、と考えるのが妥当でしょう。魔物は家具を盗んで売り払ったりしませんからね。……それに、そのような武器を扱える人間は、恐らく真綾様以外にいらっしゃらないですから』
「あ……」
真綾は、宝石を持っているのとは違うほうの手を見た。そこには、長さ二メートルほどはありそうな巨大な棍棒が、ガッシリと握られていた……。
それは、先ほど宝石を拾った際、近くに落ちているのを発見した真綾が、ただなんとな~く、空いている手でヒョイと拾い上げたものだった。あまりに太すぎて握り込めないため、真綾は【強化】による握力で強引に棍棒を保持している状態だ。
「むん」
宝石を【船内空間】にしまったかと思えば、なぜか、花がいるときの調子でフルスイングを始める真綾だった。もしも花がこの場にいたら、ブンブンと豪快な風切り音がするたびに、さぞかし盛大な悲鳴を上げたことだろう……しかし残念ながら、ここには熊野しかいない――。
『まあ! さすがは真綾様です、ナイッスイング!』
「…………」
……ツッコミ不在の寂しさを噛みしめた真綾は、棍棒をそっと【船内空間】にしまい込んだのだった。
『…………とりあえず、放置しておくのも勿体ないですし、全部回収されますか?』
「はい、勿体ないので」
熊野の提案どおり、真綾は光る宝石の回収を始めた。昭和初期に建造された熊野と、祖父の影響をガッツリ受けて育った真綾、彼女たちは、勿体ないの精神を持つ昭和乙女なのだ。
この時、宝石を回収したことで、いくつかの発見があった。
ひとつは、真綾の拾った棍棒と同サイズのものがもう一本と、それよりは小さいが人間が使うには大きすぎる武器が多数、床に転がっていたこと。
もうひとつは、ハーピーのリーダーが遺したものより明らかに大きい宝石が多数と、それらよりもさらに大きい宝石がふたつ、転がっていたこと――。
『花様にお借りした小説では、こういった宝石……〈魔石〉の大きさは、魔物の格を表しているというのが定番でございましたね。――この世界でもそれと同様だと仮定した場合なのですが、武器や魔石の大きさと数から考えますと……。ハーピーのリーダー以上の力と、武器を扱えるだけの知能を持った魔物が多数、そして、それらよりもさらに大きい魔物が二体、最低でもそれだけの襲撃者が――』
「倒された?」
状況分析する熊野の言葉を真綾が引き継いだ。魔石があるということは、魔物がここで死んだことを意味しているのだ。
『はい。……でも、おかしいですね。守備側のご遺体がどこにも無いというのは、どうしたことでしょう? それに矢の残骸も見当たりませんし……』
熊野には不思議でならない。――そう、もうひとつの発見は、魔物の遺骸とも呼べる魔石と使用していた武器が、これだけ多く散乱しているのに、人間の遺骨や武器、矢の残骸などがまったく見当たらない、ということだったのだ。
襲撃を受けたまま打ち捨てられたとしか思えない城の様子を見る限り、あとで生存者がゆっくり遺体を埋葬し、わざわざ矢を回収したとは考えにくい。
『……まさかお城の方は、これだけたくさんの強力な魔物を飛び道具も使わず、ひとりの死者も出さずにお倒しに……。でも、そのようなことが人間に可能なのでしょうか?』
熊野が困惑するのも当然であろう、ハーピーのリーダーですら、熊野の加護を得た真綾でなければ抗し得ない強さだったのだ、ましてや、より強大と思われる魔物の武装集団を、ただの人間ごときが死者も出さずに倒せるものではない。しかも、矢の残骸が見つからないということは、飛び道具も使っていなかったということになる。
「……魔法?」
ふたたび真綾の口から、花によって刷り込まれた異世界知識が流れ出た。
そして、異世界知識を刷り込まれていた者が、ここに、もうひとり――。
『魔法……そうです! 魔法でございますよ真綾様、そうとしか考えられません! きっとお城の方が、花様の小説に出てきたような魔法でズビビビッと、押し寄せる魔物たちを成敗なさったに違いありません。ああ、なんてメルヘンティックな……』
「成敗……」
花から借りた異世界ラノベを真綾以上に愛読していた熊野は、かつてここで使われた魔法を想像して、その乙女心をときめかせ始めた。それと同時に、自分の好きな単語を聞いた真綾も、別の方向で心ときめかせるのだった……。
◇ ◇ ◇
大ホールの次に真綾が足を踏み入れたのは、階段ホールらしき場所だった。魔物による襲撃を受けなかったのか無傷なままの空間に、踊り場で左右に分かれた階段が上階へと続いている。
階段を上っていた真綾は、踊り場の上に飾られた大きな肖像画の前で足を止め、その艷やかな唇を開いた。
「……ひいおばあちゃん?」
写実的な技法でそこに描かれていたのは、黒いドレスを身に纏い、長い黒髪を結い上げた、美しい女性の姿だったのだ――。
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