第三話 転移 三 歌


 ハーピーたちが帰っていったあと――。


 船体から数メートル以内と船内の物質を自在に動かせる熊野は、船上の至るところで悪臭を放っている大量のソレを、ポルターガイストのようにフワフワと浮かせて片付けていた。……半泣きになりながら。

 その時、熊野の心に、雷のような衝撃が走った!


『はっ! 最初からこうしておけばよかったのでは!』


 ……そう、ハーピーの生み出したソレが船体に付着する前に、この能力を使って片っ端から船外に放り出していれば、これほど嫌~な思いをせずに済んだのだ。


『……わたくしも、まだまだですね』


 密かに反省する熊野だった。


『あら? でも、この力を使えば……』


 何やら思いついた様子の熊野であった。


 ちなみにこの日、おやつと食事のリクエストを熊野に聞かれた真綾が、「かりんとうとカレーは、無理……」と、言ったとか言わなかったとか……。


      ◇      ◇      ◇


 転移二日目――。


 この日もハーピーは襲ってきた。しかも今度は、前日よりもずっとアグレッシブに。それを真綾が修羅のごとく、片っ端から〈鬼殺し青江〉で斬り倒し、無事に撃退したあとで熊野が言った――。


『真綾様、もし、明日もまた襲撃がございましたら、戦闘の最中に靴が脱げたり足が滑ったりするといけませんので、お履きものは底のしっかりしたブーツにいたしましょう。それと……その時は、弓を使われてはいかがでしょうか? 昨日とは違って、迎撃することが最初から決まっておりますので、敵の接近を黙って見ている手はございません。敵が飛んでいる間に数を減らしましょう』

「おー」


 真綾はしばらくパチパチと手を叩いてから、その場で両足をバッと大きく開き、打ち起こした両拳を引き分けて、弓道の基本動作、〈射法八節〉でいう〈会〉の状態に持っていった。

 するとその両手には、十分に引き絞られた和弓とその弦につがえられた状態の矢が、胸には胸当てが出現した。当然これらも【船内空間】から取り出したものだ。ゆがけという革手袋状の道具を取り出さないのは、【強化】によって、もはや指を保護する必要がなくなったためだろう。


 そのぶ厚い弓は、強いものでも弓力二〇キログラム少々しかない現代の弓とは違い、重ねた鎧を貫き通すこと前提に作り出された、弓力一〇〇キログラム近くある五人張りの剛弓だ。昭和初期、消えゆく日本伝統技術の継承保存に尽力し、武具の熱心な収集家でもあった羅城門財閥総帥が、親交のあった弓師に作らせたといわれている。

 なぜ彼が、当時の日本には引ける者が存在しない剛弓を作らせたのか……おそらく、この日を予期していたのだろう。

 これも、一等ギャラリーに展示されていたのを目ざとく見つけた花の――。


「うひゃー、これもカッコイイ! カッコイカツイ! ――伝説の鵺をも射落とす伝説の弓! なんちゃって。伝説って二回言っちゃったよ、へへ……。ねえ真綾ちゃん、これもジャンジャン収納しとこうよ」


 ――と、お小遣いを貰った直後に駄菓子屋で散財するときのノリで、軽~く言ってきた言葉どおりに、真綾が【船内空間】に山ほど収納している。特に矢のほうなどは、貧乏性な花の提案によって、ちょっとした合戦ができそうなほどの数がストックされていた……。


『やはり、花様のおっしゃったとおりに修練しておいてよかったですね。この方法なら十分な連射速度が得られますから、もしも次の襲撃があれば、必ずやその威力を発揮するでしょう。――さすがは花様です、サスハナです』

「はい、花ちゃん偉い」


 本人不在でも、熊野と真綾の中で花の評価はうなぎ登りである。

 なぜなら、これまた花が――。


「う~ん、弓を十分に引き絞った状態で、矢も弦につがえた状態で【船内空間】から取り出せたら、それを繰り返すだけで速射砲みたいにバンバン連射できるんだけどな~、バンバン。真綾ちゃん、ちょっとやってみてよ」


 ――と、軽~い気持ちで振ってきてくれたおかげで、この反則のような連射法が生まれたからだ。


 しかし、最初のころはどうしても、〈会〉の状態に合わせた【船内空間】からの取り出しができなかった、が――。


「う~ん、難しいみたいだね……だがしかし! イメージだよ真綾ちゃん、イメージするんだよ! たいがいイメージの力で、なんとかなるなる!」


 ――と、ちっちゃい体で力説する花に従い特訓しているうちに、本当になんとかなったのだ。

 なんでも思いついたことを口にする花と、親友の言葉にわずかな疑問も抱かず、なんとなく実現してしまう真綾。……ある意味、ふたりは最強のコンビだった。


 余談ではあるが、この【船内空間】からの取り出し方を応用して、今や、真綾は衣類や靴も一瞬で着替えることが可能になっていた。緊急時でもないとそうしないのは、自分の着替えくらい自分でしないと気が済まない真綾のこだわりだ。

 もちろん、この早着替えも花の発案だ。初めて成功した時、魔法少女みたいだと花に言われ、真綾が内心ちょっと喜んだことは、花にはナイショである。


「――でも、熊野さんも偉いです」

『お褒めいただきありがとうございます。……実は昨日ちょっと思いつきまして。本日の実戦で使えてよかったです』


 感心したように褒めてくれる真綾に、熊野は恥ずかしそうに答えた。

 真綾がハーピーと戦っている最中、熊野は物質を動かせる能力を使って、こっそりハーピーの邪魔をしたのだ。ちょっとだけ目にゴミを入れたり、羽根を引っ張ったり……。地味だが、生き死にの場でこれをやられると結構致命的だったりする。

 しかし、熊野は今日、まだこの能力をハーピーたちにバレない程度にしか使わなかった。本気で使うのは、あのひときわ大きいハーピーを相手にする時と決めていたのだ。

 あのリーダーらしき個体を倒せば襲撃は終わるだろう、そう熊野は予想している。


「どうやって思いついたんですか?」

『…………禁則事項です』


 純真な真綾の素朴な疑問に、まさか汚物の処理中に思いついたなどとは言えない熊野だった……。彼女は、デキる女なのだ。


      ◇      ◇      ◇


 そして、転移三日目――。


 この日、朝早く襲撃してきたハーピーの群れを、真綾はついに全滅させた。その際、花の発案した剛弓連射法が役立ったことは、言うまでもない。

 また、ハーピーのリーダーと思われる個体を倒すことにも無事成功した。

 さすがにリーダーだけあって狡猾で、仲間を囮にして絶妙なタイミングで死角から襲ってきたのだが、【見張り】と勘で真綾からは丸わかりだったし、張りきった熊野が完全に敵の動きを止めてくれたため、非常にあっさりと倒せた。……ハーピーたちにとって熊野丸を襲撃したことが、最大の間違いだったのだ。


 その日の夜、真綾が自宅でも寝室として使っている特等和室内の八畳間で、真綾と熊野はブリーフィングを行なっていた――。


『本日、リーダーらしき個体を倒せましたので、おそらく、もうハーピーによる襲撃はないでしょう。――それでは真綾様、いよいよ明日から探索を始められてもよろしいかと』

「やったるで」


 きれいな姿勢で布団の上に正座していた真綾は、いよいよ外出解禁と聞いて、フンスと鼻息も荒く拳を握った。

 布団の周りに並べられたぬいぐるみたちも、まるで彼女を応援しているようだ。

 ちなみに、このぬいぐるみたちは、悲しい夢を今朝見てしまい少しだけ寂しくなった真綾が、なんとなく結界を張るようなつもりで並べたものである。


『では、やはり、あのお城から探索なさいますか?』

「はい」

『かしこまりました。――ところで真綾様、この場所がどこなのか、ある程度判明しましたが、ここで報告いたしてもよろしいですか?』

「どうぞ」


 猫の着ぐるみパジャマに身を包んだ真綾からの許可を得て、熊野は説明を始めた。


『方位、重力、星々の位置、太陽の運行状況、空気中や水中の成分、その他諸情報を総合的に判断しますと、ここは地球であると考えられます……が』

「が?」

『星……観測した星々が、地球の北半球でこの季節に見られるものとほぼ一致しておりますので、ここが他の天体でないことはまず確実なのです。……ですが、あるはずのない星がわずかに観測できるのと、あるはずの星がわずかに見当たらないことなどから、地球は地球でも……やはり、異世界の地球かと思われます』


 これが、この三日間、入手可能な情報を片っ端から集めて、熊野が最後に導き出した答えだった。


「異世界……」


 しょっちゅう花から聞かされていた言葉が、真綾の口をついて出た。

 しかし、彼女は少しも驚いていなかった。それもそうだろう、何しろこの三日間、彼女はハーピーなどという幻想生物を相手に戦ってきたのだから、むしろこれで地球だと言われたほうが驚くというものだ。巨大な人面鳥も、死亡後に光る宝石だけを遺して消える生物も、地球上には存在しないのだから。

 真綾にとっては、異世界に転移してしまった自分の行く末より、むしろ――。


「花ちゃん、ごめん……」


 ――花との「また明日」という約束が果たせなかったことと、異世界に憧れる花を残し、自分だけが異世界転移してしまったことへの、申しわけないという思いのほうが、ずっと重く感じられるのだ。

 自分の不幸を嘆くより、誰かのことを思いやる。それが羅城門真綾という少女だった。


『……真綾様、ここはプチガミ様から頂いた冥護の力を信じて、まずは計画どおり北へ向かいませんか? そうすれば、元の世界へ帰還するための手立てが見つかるかもしれません。……おかしな話かもしれませんが……あの花様に二度とお会いできなくなるなど、わたくしには、これっぽっちも信じられないのです』

「はい、私も」


 熊野の優しい予想に、真綾は少し微笑んだ。――そう、彼女にも思えてならないのだ、あの花のことだから、たとえここが異世界だろうとどこだろうと、どうにかして自分を追いかけてきそうだと。

 真綾の脳裏には、大切な親友の、見ていると安心感を与えてくれる小動物じみた顔が、はっきりと浮かんでいた。


『さあ、そうと決まれば、今日はグッスリとお休みください。明日になれば、花様とまたお会いできる日に、それだけ近づけるのですから』

「はい、おやすみなさい」


 やわらかな声をかけてくれた熊野におやすみを言い、真綾が布団に潜り込むと、枕元にチョコンと座っているぬいぐるみと目が合った。それは昨年の秋、宮島旅行をした際に、水族館で祖父が買ってくれたコツメカワウソのぬいぐるみだ。そのつぶらな瞳を見ているうちに、なんだか、ちっさい親友のように思えてきた真綾は、コツメカワウソの頭をヨシヨシと撫で――。


「おやすみ花ちゃん」


 ――小さく声をかけてから、目を閉じた。


「……名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実ひとつ――」


 やがて真綾の耳に、熊野の澄んだ歌声が聞こえてきた。熊野丸が竣工したころ、多くの人々に愛されていた歌だ。

 母親が子守り歌を歌うように、優しくゆっくりと……。頭の中に直接響かせるのではなく、わざわざ空気を振動させて自然な声にしているのは、そのほうがよく眠れるかもしれないと思ったからだろう。


(きれいな歌声だな……契約したのが熊野さんで、本当によかった…………)


 そう思いながら、真綾は夢の国へと旅立っていった。


「――思いやる 八重の汐々 いずれの日にか 国に帰らん…………。あらあら、相変わらず寝つきのよろしいこと。……わたくしも同じ思いでございますよ、真綾様。本当にあなたでよかった。――良い夢を」


 明かりが消えた部屋の中に、熊野の優しいささやき声が流れた。

 この夜、彼女が歌を歌おうと思ったのには理由がある。今朝、祖父である義継の夢を見て真綾が泣いていたことを、熊野は忘れていなかったのだ。……その歌は、真綾が少しでも幸福な夢を見られるようにとの、熊野らしい気遣いだった。


 熊野は今日も眠らない。こうしている間も周囲を見張り、機関を動かし、船内のすべてを把握し、これから必要になるであろう諸々を準備し続けている。

 危険な魔物が跋扈するこの異世界で真綾を守り抜き、真綾と義継が愛したあの町へと帰還させるために――。





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