第二話 転移 二 なんか違う


 遠目には、取るに足らない鳥のように見えたソレは、【見張り】の倍率を上げてよく観察すると、明らかに異形の生物であった。

 猛禽類を思わせる体は犬鷲などよりもさらに大きく、そして何より驚くべきことに、その頭部と胸部だけが……人間女性のものだったのだ!


『あの姿……ギリシャ神話のハルピュイアでしょうか……』

「ハルピュイア?」

『はい、日本ではハーピーとして有名ですね……ほら、以前、花様にお借りした小説に登場した、アレでございます』

「あれが……」


 熊野の言葉で真綾は思い出した、花から以前借りたライトノベルの表紙に描かれていたハーピーの姿を。

 彼女の頭の中では今、両手が翼、両足が鳥足になっているだけの美少女が、可愛らしくポーズをつけてウィンクしている……。


「…………なんか違う」


 鳥と人との合成比率が変わっただけで人に与える印象は大きく異なる、ということの実例を目の当たりにして、真綾は少しヘコんだ。


『どんどん距離を詰めてきますね~』

「はい」


 発見した時は米粒ほどだったハーピーの姿は、今や、肉眼でもその異形が確認できるくらいにまで接近していた。


『真綾様、いかがいたしましょう?』

「……話してみます」


 実は先ほどからずっと、真綾の鋭い勘が、アレは殺らなければいけない存在であると警鐘を鳴らしていた。

 いつもの真綾なら素直に自分の勘に従っていただろう、しかし、この時の彼女は、せっかく出会ったハーピーと仲良くなれないものかという気持ちを、己の勘よりも優先することに決めたのだった。

 花から借りた本の主人公は、異世界で最初に出会ったハーピーと無二の親友になっていた。そのことが、彼女にそう考えさせたのかもしれない。


『……アレがどんな能力を持っているかわかりません。真綾様、くれぐれも、お気をつけください』

「はい」


 花から借りた本の中には、相手の防御力や結界を無効化するような能力がたびたび出てきた。そのことを心配した熊野が注意を促すと、真綾はコクリと頷いて【船内空間】からリンゴをひとつ取り出した。


「ルールールールー」


 おもむろにリンゴを高く掲げ、何やら言い始める真綾……。どうやら餌付けする作戦のようだ。


「ケェェェッ!」


 真綾の声が聞こえたのか、ハーピーは甲高い鳴き声をひとつ上げると、猛スピードで降下し始めた。


「ルールールー」

「クェェッ!」


 斜めから差す朝の光を浴びながらリンゴを掲げた真綾の声に、空中からハーピーが反応する。それはあたかも、美女と伝説の妖鳥が会話しているようにも見えた。絵画の題材になってもおかしくない幻想的な光景だ。


 すでにハーピーは、表情がハッキリわかる距離まで接近していた。

 その顔立ちは鳥にしておくには惜しいほどに整っている……が、血走った目からは知性のカケラも感じられず、黄ばんだ歯を剥き出しにした口からは、ダラダラとヨダレが流れ出しているではないか……。

 キラキラとヨダレの尾を引きながら、ハーピーはどんどん近づいてくる。もはや真綾との距離は、五メートル、四メートル、三メートル――。


「ルールールー…………無理」


 最後にひとこと言うや否や、真綾は一瞬で体を捌いた! 迫りくるハーピーのコレジャナイ感に、さすがの彼女も耐えきれなかったようだ。

 その直後、刃物のように鋭い鉤爪が何も無い空間を斬り裂いた! それは、一瞬前まで真綾の頭が存在していた空間だった。


『まあ! なんて乱暴な!』


 礼儀知らずなハーピーの容赦ない攻撃に、真綾の脳内で思わず批難の声を上げる熊野だったが、当のハーピーはそのまま風のように上昇していく。恐らく、二次攻撃をするつもりなのだろう。


『また襲ってくるようですね……。迎撃、なさいますか?』

「いえ、いったん中に入ります」

『かしこまりました。ここは様子見ですね』

「はい」


 真綾は船内へ戻ることにした、しばらく様子を見るためだ。このまま何ごともなく立ち去ってくれれば問題無い、さもなくば……。


      ◇      ◇      ◇


 船内にいても熊野が全方位を常時監視してくれるため、真綾は一等喫茶室で優雅にお茶しながら状況の変化を待っていた。


『――今、飛び去っていきました。やっと諦めたようですね』

「良かった」


 脅威の去ったことを熊野が教えてくれると、無益な殺生をせずに済んだ真綾はホッと息を吐いた。実はあれから半時間ほど、ハーピーは執念深く熊野丸の上を飛んでいたのだ。


『あのような生物が存在するくらいなので、ひょっとして、ここは地球上ではないのでしょうか……。さて、これからどうすれば……あら、真綾様、いかがなさいました?』


 熊野がこれからの行動について悩み出していると、真綾はおもむろに、花とお揃いの青い勾玉ネックレスを【船内空間】から取り出した。――なぜだか、そうしたほうがいいと感じたのだ。

 何も無い空間から真綾の手のひらにコロンと現れたそれは、ほどなくして紺碧の光を放ち始める。


『いったいこれは……はっ! もしや、宮島で勾玉に込められたプチガミ様の冥護が働いているのでは?』

「そうみたい……」


 光を発する勾玉をジッと見つめながら、真綾は答えた。


 そのあとも、まるで真綾と会話するように強弱をつけて輝いていた光は、やがて静かに消えていった。


「熊野さん」

『はい』

「この子が、あっちに向かえって……」


 光を失った勾玉をそっと握ると、真綾は喫茶室の窓の外を見つめた。生来鋭かった彼女の勘が勾玉とリンクしたのか、これから自分がどこに向かえばいいか、なんとなくわかるようになったのだ。


『……なるほど。それでは真綾様、これからの行動計画を立てましょう。――まず、あちらの方角、北へ向かうことを当面の方針にしてよろしいですね?』

「はい」

『かしこまりました。では、ハーピーの件もございますので、数日間はこのまま様子見にいたしましょう。その間わたくしが天測を行えば、ここが地球上か否か、より確実な判断を下せると思います』


 熊野が説明していると、喫茶室の扉が静かに開き、巻かれた紙と万年筆がフヨフヨと浮遊して来た。

 やがて真綾のテーブルに到着した紙が広がると、そこに万年筆は蚕繭のような楕円を描き、続いてその中に小さく船を描き足した。


『これがこの湖で、ここが現在錨泊している場所になります。尺度と形が完璧ではございませんので、ご容赦ください』


 熊野の説明に合わせてペン先が場所を指し示す。この短時間で熊野はすでに、見える範囲の測量を終えていたのだ。……普段はそのおおらかさが目立つが、熊野はデキる女だった。


『数日後、ある程度の安全が確認されましたら、今度は真綾様ご自身で周辺の探索をされてはいかがでしょう? もちろん、この熊野も全力を挙げてお手伝いいたします』

「はい、あのお城も行っていいですか?」

『もちろんでございます。――それで、湖周辺と申しましてもたいへん広うございますので、探索するのはこのあたりがよろしいかと――』


 熊野の言葉とともに万年筆がバツ印を描き入れたのは、真綾から見て湖の上に当たる地点だった。


「なんでですか?」

『はい、最終的に徒歩で北上することを考えますと、この地点は湖の最北になりますし、確認した限り、ここから北に向かった先はちょうど谷になっているようですので、比較的歩きやすいかと思われます。それに、現在錨泊している場所からこの地点までは直線距離で四三〇メートルほど。これなら瞬間移動による上陸と探索中の緊急帰還も可能です。――上陸地点としては申しぶんないかと』

「なるほど……」


 熊野の理論整然とした説明を聞き、さも理解したように真綾は頷いた……。

 この時、真綾はまったく気づかなかったが、すでに熊野はこの世界の方位をほぼ把握していた。

 船内に二基設置している主転輪羅針儀は、さすがにその原理と構造上、静定までにあと数時間を要するものの、多数搭載してある方位磁針のほうは、すべて同じ方向……ほぼ北を指し示していたのだ。

 さらに熊野は、こうして真綾と話している間も、時間ごとの太陽の位置と方位を照らし合わせている……。

 もう一度言おう、普段はそのおおらかさが目立つが、熊野はデキる女だった。


『ですが真綾様、上陸してから北上を始めれば、海か大きな湖が見つかるまでは、わたくしの本体を召喚できなくなってしまいます。……いえ、召喚自体は可能なのですが、陸上だと横転の可能性がございますし、何より、取水口からの水の供給が途絶えますとボイラーを停止する他ないため、ほとんどお役に立てなくなるのです。そのため、何かとご不便をおかけすることに……』

「【船内空間】があるから大丈夫です」


 不便を心配してくれる熊野にそう答えると、真綾は【船内空間】から取り出した人形焼きを、ポイッと口に放り込んだ。

 実は、いずれ真綾に訪れるであろうナニカを異常に心配した花の提案で、熊野丸を召喚するたびに収納した物資が、【船内空間】には結構パンパンに詰まっているのだ。


『……そうですね。花様のおかげで【船内空間】には充分すぎる物資が収納されておりますし……わかりました。それでは出発までの間に、わたくしは他に必要になりそうなものを考えて準備いたしましょう』


 真綾は口をモグモグしながら、コクリと頷いた。

 その時、またも真綾の勘が警鐘を鳴らした! それと同時に熊野の声が響く――。


『真綾様! ハーピーが帰ってきました』


      ◇      ◇      ◇


『…………シクシク……』


 熊野は泣いていた……。


「…………」


 熊野と視覚をリンクした真綾は、普段無表情な彼女にしては珍しく、少々げんなりした顔で、頭の中に映る船外の光景を眺めていた――。


 今からおよそ一時間前、たしかにハーピーは帰ってきた。……十三羽ほど仲間を連れて。

 そしてハーピー達は、熊野丸まで飛んで来るなりマストや船上の高所に陣取った。

 どうやらハーピーたちはここが気に入ったようで、自分たちの新たな巣にしようとでも考えているらしい。


 真綾が熊野の視覚とリンクして船内から観察していると、やがて、ハーピーたちはソレを始めた。…………そう、排泄だ。

 鳥とは思えない巨体から生み出されたモノは、鳥のモノとは思えない形状と大きさをしていた。ハーピーたちはソレを所構わず、しかも信じられないほど大量に……そう、信じられないほど、大量に、生み出していった!


『……伝説のハーピーも不潔なことで有名でしたからね。……ああ、わたくしの欧風庭園が……屋外プールが…………あ! お願いします、そこだけは、日本庭園だけはやめてくださ……あ、…………シクシク』

「…………」


 汚されていく自分の船体をなすすべもなく見ていた熊野は、とうとう声を殺して泣き出してしまった……。船とはいえ、彼女の心は昭和初期の清純な乙女なのだ、その悲しみは海よりも深い……。


 ――こうして、今に至っていた。


『…………シクシク……』


 熊野のすすり泣く声を、目を閉じ静かに腕を組み、眉間に皺を寄せて聞いていた真綾が、ついに口を開く。


「…………しょせん、修羅の道か」


 自分が甘いことを言ったばかりに、大切な熊野につらい思いをさせてしまった……。そのことを反省した彼女は、己の勘に従うことを決めたのだった。


「熊野さん、ごめんなさい」


 その言葉を残して喫茶室から忽然と消えた真綾の姿は、船体最上層のデッキ後方に出現した。

 彼女の右手には、【船内空間】から取り出したひと振りの大太刀が、抜き身の状態でしっかりと握られている。


 その大太刀、名を〈鬼殺し青江〉という。――南北朝時代末、剛力無双を誇った羅城門家当主が、備中青江(現在の岡山県倉敷市に位置する)の刀工に打たせた、幅広く、重ね厚く反り浅く、切先伸びて大切先となる、刃長六尺四寸(約一九四センチ)の豪刀であった。末青江らしい逆がかった丁子乱れの刃紋がイカツイ……。

 熊野丸の一等ギャラリーに展示されていた姿を見た花が――。


「うわー、これ、なんかのキャラが持ってそうでムッチャカコイイね! おお、名前も〈鬼殺し青江〉だって、カッコイカツイ! あ、今のはカッコイイとイカツイを合体させたんだよね、へへ……。とにかく、私これ絶対に真綾ちゃんに似合うと思うんだー、これも召喚するたびに収納しとこうよ」


 ――と、目をキラッキラ輝かせて言ってきたものだから、素直な真綾は、山ほど増殖させて【船内空間】に収納していたのだ。

 ちなみに現在、東京羅城門博物館に収蔵されているオリジナルは、国の重要文化財指定である……。


「ケェェェェ!」


 真綾の近くにそびえるマストの上に止まっていた、ひときわ体の大きいハーピーが、彼女の出現にいち早く気づくと甲高い声で鳴いた。すると、他のハーピーたちは一斉に飛び立ち、空中から血走った目で真綾を見下ろす。そして――その中の一羽が、真綾目がけて風のような速さで滑空して来た!


 真綾は静かに上段に構える。――中学生剣道の絶対女王を二度も打ち破った見事な〈火の位〉だ。上段は通常なら重く長い大太刀向きの構えではないが、【強化】の加護を受けている今の真綾には、長大な〈鬼殺し青江〉すら、ラップの芯より軽く感じられているのだ。


 ハーピーが真綾の間合いに入った、その瞬間! ――まるでコマ落とし映像のように、彼女は〈鬼殺し青江〉を振り下ろしていた。


 マンガやアニメでは、日本刀で人間を縦に両断するようなシーンを見かけることが多々ある。しかし、いくら日本刀がよく斬れるといっても、実際はそれを振るうのが人間である限り、また、それが短い打刀である限り、人間ほど大きなものを縦に両断することは不可能である。――ただ、もしも長大な名刀〈鬼殺し青江〉を、【強化】の加護を受けた真綾が振り下ろせば、どうなるか――。


 ハーピーの体は、きれいに両断されていた。

 正中線に沿ってふたつになったハーピーの体は、そのまま数十センチ進んだあと、不思議なことに、キラキラと輝く光の粒子になって消えてゆく……。


「クェェェェ!」


 リーダーらしき大柄なハーピーの鳴き声が、静かな湖上に響き渡った。すると、それが合図であったのか、仲間の消滅を見ていたハーピーたちが次々に飛び去っていく。

 仲間の撤退を見届けて飛び立ったリーダーらしきハーピーは、最後に一度、突き刺すような視線を真綾に送ってから、自分の群れを追いかけていった。


 大太刀を肩に担ぎ、無言で襲撃者たちを見送る真綾の足元には、光の粒子になって消滅したハーピーが遺した、妖しい光を放つ宝石のようなものが、コロンとひとつだけ転がっていた――。





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