第14話
シャワーの音を背中で聞きながら、海都はじっと天井の木目を見つめていた。ガラス戸を一枚隔てた風呂場では樹がシャワーを浴びている。取材は一旦休憩にして、海都と樹は、最初に着替えたのと同じゲストハウスで海水を洗い流すことにしたのだ。古民家を改装したという建物は、海都に故郷の景色を思い出させた。海都の祖父母の家や、海のそばに並ぶ古い町並み。故郷は嫌いだったはずなのに、不思議と心地よく、つい座り込んでうとうとしてしまう。
…………
「いてっ!」
頭と背中を引っかかれたような衝撃に目を覚ます。頭を押えて振り向くと、引き戸を半分開けた樹が海都を見下ろしていた。
「そんなとこでなにやってんの。痴漢?」
「んなわけないでしょう! もし倒れたら、すぐ助けられるように待機してたんです!」
「寝てたじゃん」
「……寝てましたけど」
「俺は身を挺して海都を助けたってのにひどいなぁ」
「……すみません」
海都がそうだなと思って謝ると、樹は頬を緩めた。
「冗談だよ。ありがと。海都だって疲れただろ。薬も飲んだし、俺は大丈夫だから入ってきなよ」
腰にタオルを巻いた樹を脱衣所に通して、海都はTシャツを脱いだ。
「おお。腹筋割れてる」
「インドアといっても健康管理はちゃんとしてるんで」
樹はカゴから替えのTシャツを出し、袖を通していた。曼荼羅が描かれたロングTシャツは、碧い海と似た色だ。長い裾から覗く細い足に目を遣る。わずかに赤みが残っているが腫れはほとんどない。さっき戸を開けたときに見た胸も、ところどころ赤いものの、激しい症状ではなさそうだ。
「口の中とか大丈夫ですか。喉が腫れると息ができなくなるんですよね?」
「俺はアナフィラキシーショック起こすほど重度じゃないけど、ありがとう。気をつける」
「見せてください。俺を助けて死なれたんじゃ寝覚め悪いですし」
素人の海都に診断できるとは思わないが、何かせずにはいられなかった。
「いーって、子どもじゃないんだから」
「ダメです、見して」
海都が指を唇に差し入れると樹はきゅっと唇を引き結んだ。
「なんです、ソレ」
「見られるのはやだ」
「歯医者とか行かないんですか」
「海都、歯医者じゃないじゃん」
「でも」
もし異常があっても自分にはわからないかもしれない、でも樹が無理してるんだったら止めないと、と海都も頑なになる。
「しょーがないなぁ……」
唇に柔らかい感触。目の前には樹の顔。大きな目が今は閉じられている。この人睫毛長いんだ、と場違いにも海都は思い、少し考えて樹の意図を理解した。
舌を差し入れ、頬の上顎や下顎、頬の内側を探る。とくに腫れは感じないし、痛がってはいないようだ。塞ぎ合った口許が温かい。
丹念にまさぐり得心して体を離すと、唾液の糸が二人を繋いですぐに切れる。
「これだけ探って平気なら大丈夫そうですね」
「でしょ」
「って、なんなんですかコレ」
同性と唇を合わせたのは初めてだが、いやとは思わない自分自身が信じられなかった。
「見られるよりはマシかなって」
樹はけろりと言う。あっけらかんとした物言いに、海都もただの確認作業だからと自らを納得させ、シャワーを浴びる準備を再開しようとして――はたと手を止める。水着なのでこの下には何も着ていない。このまま脱ぐのは躊躇われた。
ちらりと横を見ると、樹は平然とデニムパンツを穿くところだった。そして「ごゆっくり」と脱衣所を後にする。海都は自分だけが意識しているようで気恥ずかしくなり、生まれた熱を冷やしてしまおうと冷たいシャワーを浴びた。
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