第8話

 今にも泣きだしそうな空模様、なんて言ったところで天気はただの現象で、当然空に感情などあるはずがなく、そこに映し出されるのは見る者の心境に他ならない。


 海都は天野に借りた軽自動車に刷り上がった夏号を乗せて、設置場所へと向かった。契約しているカフェやカラオケ店・書店・大学などに置いてあるラック、ライブハウスのちらし置き場などに行って前号を回収し、最新号に差し替えるのだ。慣れない運転をしながら、専門業者に頼むかアルバイトでも雇えばいいのに、と心の中で毒づく。


 あのあと樹は三分ほどで普段のテンションに戻って、グミやらマシュマロやらを勧めてきて、海都もそれを受け取ったのだけれど、一方的に気まずさを引きずったまま週をまたいでしまった。


 ビジネス街のカフェに入り、店員に挨拶してからラックのメンテナンスに取りかかる。契約している四段目と五段目から春号を回収し、持参したウェットティッシュで埃を拭き取って――


「村上くん?」


 振り向いたのは、名前を呼ばれたからじゃない。地元ほどではないが、大阪でも珍しくない苗字だ。海都は、その声が聞き覚えのあることを確認せずにいられなかった。


「富永さん……」

「村上くん、久しぶり。よかった、元気そうで」


 こざっぱりとしたスーツの中年男が、眉尻を下げて立っていた。その視線が、海都が回収し、背の低い間仕切壁の上に置いていた春号に移る。


「今はフリーマガジンの会社にいてるんやね? 村上くん、そういう情報に強そうやから向いてる思うよ」

「あ、そう、ですか――ありがとうございます」


 どう反応すればいいのかわからず、曖昧に頭を下げた。海都は富永個人に悪い感情はない。ないけれど、前職での出来事は何もかも忘れたかった。それを察してか、富永は少しためらうような表情をしてから、


「あんときはごめん。村上くんがチーフに辛く当たられとったのに何もできひんかって。僕はチーフに気に入られとって、その立場を失いたくなかってん。村上くんが会社去るときも、何も言えんかったのがつっかえとった。ほんまにごめん」

 頭を下げる富永に、海都は「いいえ、そんな……」と返すしかない。

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