第6話

 なんとか作業の目処もつき、事務所の鍵を閉めて一階へ下りた。エレベーターはないので、木張りの階段の心地よい軋みを感じながら、「今なんのドラマ観てる?」なんて、とりとめのない話をしながら。

 暦の上では夏とはいえ、さすがにとっぷり日が暮れている。ビルの裏手の駐車場でクリーム色の軽自動車に乗り込む。


「黒のベンツじゃないんだねー」

「そんな金あるわけないやろ」


 運転席は天野、助手席に雪江、後部座席に海都と樹。海都は、なぜいつも自分が上座に座らせられるんだろうと不思議だった。


 梅田方面へ車を走らせていると、後ろのセダンがやたらと車間距離を詰めてきた。淡い色の軽自動車は煽られやすいだろうなと海都は思う。

 交差点で信号に引っかかり、煽ってきたセダンの横に並んだ。天野は窓を開けて窓枠に肘をつき、無言で睨みつける。左ハンドルのようで、近い位置に運転手の顔があるはずだ。海都の席からでは相手の車の中はよく確認できないが、運転手は金髪の男性に見えた。時間が経つにつれ、金髪の頭が項垂れていく。

 信号が青に変わると、海都たちの車は左折し、セダンは右折していった。樹はスマートフォンをいじりながら、


「かわいそーじゃん。社長、顔怖いのに」

「これで運転の仕方、改めてくれたらええねんけどな」


 樹の野次に、天野はやんわり答える。樹は話題を長引かせるでもなく、


「これから行く店、グルメサイトの点数高いね。レビューもしっかり書いてあるし、サクラじゃなくて、ちゃんとした人が評価してるっぽい」


 人といるときは必要なこと以外でスマートフォンを触らない樹が今日は珍しい、と海都は思っていたが、どうやら店の評判を調べていたらしい。

 天野は前を向いたまま、親指を立てた左手を伸ばした。


「そらそうや。俺のセンスを舐めんなや」


 ビルの谷間のコインパーキングに車を止め、テナントビルの三階まで上がる。エレベーターの扉が開くと、無機質なビルの外観とは対照的な木造りで落ち着いた内装の、テニスコートくらいの広さの店だった。木製の衝立で仕切られた掘りごたつの席が並ぶ、和風の空間だ。

 天野はBCインフォメーションとは別に、飲食店を数店経営しており、ここは先月オープンした店だと言う。


「秋号に広告、載せよ思って。どんな感じがええか、考えとってな」

「結局仕事じゃないですか!」

「うーん、この店のイメージは温かみのある暖色だろうけど、夏号だからねぇ。ちょっと考えてみる」

「鐘、学生時代の同期飲み、ここ使うわ。面白い切り口、見つかるかもしらんし」


 天野も雪江も樹も、プライベートと仕事の境界がないタイプで、海都はそれが不思議だった。

 誰も気にしないとは思いつつ、海都は三人が入るのを待って、上座に天野、その隣に雪江、天野の向かいに樹を通し、最後に自分が腰を落ち着けた。目の前の雪江は、猫背でやや緩和されているとはいえ、やはり大きいなと思う。


「奥にキッズスペースもあるんだね」


 樹が衝立の隙間を覗きながら言った。


「夜は居酒屋で、昼はランチ営業しとるからな。子ども連れて買い物帰りに寄りやすいようにしよう思て」

「ふーん。いいじゃん。子どもって堀りごたつから落ちることもあるし、キッズスペースあると助かるよね」

「樹、行ってきてええで」

「は? 俺が小さいんじゃなくて、あんたらがデカいんですぅー」

「えーと、一六〇やっけ?」

「一五九! ていうか、海都だって一七〇ちょいでしょ」

「一七四です」


 ダイナミックに四捨五入するな、と海都は胸の中でツッコむ。


「海都は顔小さいからバランス取れててええねん」

「俺も取れてるわ!」


 樹と天野のやりとりを、海都と雪江は黙って眺める。確かに樹は背が低いというより全体の比率を小さくした感じなのでバランスは悪くない。しかし肩幅や体の厚みがないため、身長が低いだけの人よりも小さく見える。海都は頭に浮かんだことをつい口に出してしまう。


「ホビット……」

「やかましい!」


 頭部に軽い衝撃。雪江が、いっくんはドワーフよりホビットだよな、と頷きながらウーロン茶をあおる。樹は憤懣やるかたないといった様子で備え付けのクッションに八つ当たりしていた。でも、布を傷めないように手加減しているのがわかる。海都は、普段から樹の態度が演技なのか素なのか判断できず、そういうところも、いまひとつ打ち解けられない一因だった。

 天野はビールジョッキを傾けながら斜向かいに座る海都のほうを向いた。


「海都、営業は自信ない言うてたけど、だいぶ慣れてきたやん。あのおもちゃ飾っとるカフェの店主、口説き落とすなんて」

「そう……でしょうか。門前払いされることも多くて。話聞いてもらえても、打ち解けられなくて次に繋がらない、というか」


 打ち解けるってなんだ、と内心思う。天野や雪江はすごいと思うけれど、海都はまだ扉をわずかしか開けずにいる。

 隣に座る樹は海都のほうに少し顔を傾けた。


「その店主さん、海都のこと褒めてたよ。彼はおべんちゃら言わないからええねぇ、って」

「京都の人じゃないでしょうね」

「京都の人だよ」


 照れ隠しで言ったのにビンゴだった。樹はフリーズする海都に笑って、あの人は言葉に裏の意味を込める人じゃないよ、と続ける。雪江があとを引き取り、


「話すのが巧いだけの人より、本音いう人間のほうが信頼されるもんやで」


 と、ビール瓶に手を伸ばし海都に勧める。海都は残っていたビールを飲み干し、グラスに両手を添えて酌を受けた。返そうとすると雪江は、帰りは俺が運転手やから、と固辞した。天野と雪江も、


「海都が入ってくれてよかった思ってる」

「営業としての適性は微妙だけどねー」


 と口々に言うもんだから反応に困って、ふたたびグラスを大きく傾けた。今日は知りもしないのに適当なことを言ってしまったのに。まだ、何の結果も出せていないのに。掛けてもらった言葉を、海都は素直に受け取れない。

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