第5話

 取材を終えてカメラマンと別れ、少し歩いて地下鉄に乗った。梅田駅で多くの人が降りたので、ようやく座席に腰を落ち着ける。


 取材の様子をSNSに投稿しようと、会社の公式Twitterにログインした。スタッフ全員で動かしている、『BLUE COMPASS』のアカウントだ。海都は直近の投稿をチェックする。更新が頻繁過ぎると読んでいる人がうんざりするかもしれないし、ネタが被るのもよくない。


 最新の投稿は昨日だった。市内の爬虫類カフェへ取材に行った旨の報告が、雪江の柔らかい文章で綴られている。爬虫類は「得意じゃない」けど「くりっとした目が可愛い」らしい。「苦手」じゃなく「得意じゃない」と書いているのが雪江らしいと海都は思う。あざとさや媚びを感じさせない、素直な文章を書ける雪江が羨ましかった。

 記事の最後には「が~り~☆ゆきえ」という署名がある。見るたびに海都は、雪江さんはガーリーじゃなくてアメカジだろ、と笑ってしまうのだったが。


 地下鉄を降りて地上に出た瞬間、熱気と湿度でめまいがした。まだ梅雨は遠いのに。風はなく、午後の日差しを浴びる街路樹の緑の葉は室内の造花のように見える。

 大通りから枝分かれした細い路地を何本か曲がり事務所へ帰りつくと、真ん中のソファーに座り、体を曲げてローテーブルに肘をついた樹が、大量の紙に囲まれてぶつぶつ呟いていた。出来上がったページを出力して、マーカーで線を引きながら読み上げているのだ。樹は紙から目を離さずに、


「おかえり海都。お疲れのとこ悪いけど手伝って!」


 海都は自分のデスクのそばにビジネスバッグを置くと、樹の向かいに腰かける。


「何回も言うけど、電話番号はとくに気合い入れてチェックしてね。違うところに繋がったら迷惑だし、謝りに行かなきゃいけなくなるから。それと、紹介してる商品の値段もしっかり確認して」


 頷いて、取りかかる。自分が書いた文章より、人が書いた文章のほうが間違いを探しやすい。海都はできるだけ雪江の書いたページを選んで、スマートフォン片手にチェックを始めた。


 ひと段落のタイミングが重なったところで、樹がコーヒーを淹れてくれた。


「結構えげつない量ですよね。夏号の印刷は来週だけど間に合うかな」

「間に合わないなら土日返上してやるんでしょーが。大丈夫、給与は割増になるから」

「勘弁してください……。五日間、外回りしたあとでなんて体力も気力も保ちませんて」

「ちゃんと代休も取れるしさ。四人だけの会社なんだからオールラウンダーになんなきゃ。雪江さんも帰ったら手伝ってくれるって――あ。噂をすれば。雪江さん、おかえりなさい」


 ドアの上枠に届きそうな長身。背が高いだけでなく、体に対し手脚が長く、全身から余分な肉が削ぎ落されているように海都には見える。顔立ちは端正だけれど、眠そうな目と、やや猫背気味の姿勢が近寄りがたさを中和している。


「雪江さん。今日はスーツじゃないんですね」

「ん。今日はダイビングスクールの取材やったからな。動きやすい格好で行かな」

「でも雪江さんがアメカジ着てたらチャラ男に見えるね」

「いっくんに言われたないわ」


 雪江は穏やかに応じる。雪江賢治けんじは、名刺の肩書きは「プランナー」だが、天野とともに『BLUE COMPASS』を発行するBCインフォメーションを立ち上げた、便宜上専務だ。

 ハンドルネームである「が~り~☆ゆきえ」の由来は、「少女らしい」を意味する「ガーリー」ではなく、体脂肪率が九パーセントのガリマッチョだからだと聞いて、海都はなんだそりゃ、と思ったものだ。入社前に見たSNSの文章から、女性だと思い込んでいたので。


「校正してくれてんねや。いっくん、海都、遅なってごめんやで」

「とんでもないです。夕方近くまでお疲れさまでした!」


 雪江は海都の横に腰掛け、ローテーブルから紙束を一つ取り上げる。海都がしているように、自分が書いた記事を避けて。そして、じっと見た後


「これ、どしたん」


 と印刷面を海都に向けた。


「あ、お客さんの作ってくれたキャッチがすごくいいと思ってそのまま使いました。不自然でしたか?」

「ううん、ええ感じ。海都やったらせぇへん言い回しやなって思っただけ」


 海都は雪江を見返した。自分が打った文字なんて、見分けがつかないと思っていた。胸からこみ上げてくるものをせき止めるように、海都は頭を下げる。


 三人で黙々とチェックを続けていると、入り口のドアが大きな音を立てて開いた。入っていたのは体格のいい男性。雪江ほどの長身ではないが、優に一八〇センチは超えるだろう。肩幅が広めなので、身長を差し引いてもがっしりしている。だから上着なしのカッターシャツ姿も様になっているのだけれど、襟元が開いた赤い花柄のシャツで何かが台無しになっているように海都には思えた。何より目を引くのは、額から左眉を横切り、瞼の上まで走る大きな傷跡。少し離れた場所でもはっきりと見える。


「社長」

あつむ


 樹と雪江が同時に口にする。入ってきたのは、場所代の集金や借金を取り立てに来たその筋の人ではなく、社長である天野鐘だ。


「おぅ、修羅場か。俺も手伝うたるし、終わったら飲みに行こうや」


 そう言って樹の隣に陣取った。海都は斜向かいを見遣る。天野は、大きな体に似合わない細やかな手つきで紙を捲っている。見た目と口調からはとても想像がつかないが、天野は他のメンバーが見逃したミスも、きっちりと掬い上げる。入社して半年で海都は冬号と春号をそれぞれ一回ずつ経験したが、それは四人の力で作り上げたものだ。

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