2章11 『Bitterness supplements』 ③


「――あいつ絶対憶えてないっ!」



 散々メソメソと泣いて落ち着いた後、希咲 七海きさき ななみはそう主張する。


 ビデオ通話の相手である紅月 望莱あかつき みらいは、赤みの残った希咲の目元を見てニコっと笑った。



「どうしてそう思うんです?


「だって憶えてたらあんなことするわけない!」


「あんなことっていうとぉ……」



 希咲が泣きじゃくっていて碌に出来事を聞きだせていなかったので、望莱は改めて何があったのかを聞いてみる。



「……ふむ、つまり――七海ちゃんは男子に告白され、ビックリして泣いて逃げちゃったんですね?」


「そう……だけど、それだけじゃないでしょ⁉」


「つまり――男子にお尻を触られて悲しくなって泣いて逃げちゃったんですね?」


「そう……だけど、そうじゃないでしょ!」


「そうですか?」


「だってそれじゃ、なんかあたしがダサいみたいじゃんか!」


「うふふ」



 さっきまでギャン泣きしてたくせにまだ恰好をつけようとするお姉さんに、みらいさんは清楚に微笑む。



「ていうか、なにそれ。おもしろすぎです」

「一個もおもしろくないっ!」


「わたしもその場に居たかったです」

「余計ややこしくなるでしょ!」


「しかしに恐ろしきは弥堂 優輝びとう ゆうき、ですね……」

「そうなの! ヤバいヘンタイなの!」


「こちらは殺しにくるのではと警戒をしていたというのに、まさか告ってくるとは……。天才であるこのみらいちゃんにも、それは全く予測できませんでした。おもしろすぎます」

「だからおもしろくないってば!」



 実際に女性として全く笑えない目に遭ってしまった希咲は被害の深刻さを強調した。


 望莱は少し表情を真剣にする。



「てゆーか、なんでそんなことに?」


「それが、これも愛苗のことで起こってる認識改変? みたいなのよ」



 希咲は望莱に周囲の人々の反応なども説明する。



「なるほど……、“せんぱい”と七海ちゃんが付き合ってることに……」

「何人かに確認してみたけど、みんな“そういうこと”だって思ってるのよ」


「ふむ……」

「思えば昨日からみんなの反応おかしかったのよ。何かヘンな風に気遣われてるみたいで。最初っから気付いてれば……」


「おもしろすぎです」

「はっ⁉」


「いえ、なんでもないです」



 つい本音を言ってしまったら画面上の希咲にギンっと睨まれてしまったので、みらいさんは清らかな微笑みで誤魔化した。



「しかもよ! その上、あたしが浮気されたことにまでなってんの! マジむかつくんだけど……っ!」

「まぁ、それは大変です」


「もうやだあたしガッコいけない……っ!」

「そんな大袈裟な」


「大袈裟じゃないもんっ!」



 望莱の軽い反応に不満を覚えた希咲は、ジワっとまた目に涙を浮かべて、如何に自分がヒドイことをされたのかをアピールする。



「あんなのと付き合ってるとか地獄じゃんか!」

「そんなにですか?」


「だってガッコで一番嫌われてるクズよ⁉ 実際はもっとクズだし!」

「そんな……、“せんぱい”にだって一つくらいはいいところがありますよ」


「ないもんっ! だって痴漢だし! 性犯罪者の彼女とかカースト低すぎじゃん!」

「まぁ、それはいくらなんでも“せんぱい”に失礼ですよ」


「それに、これじゃ愛苗が見つかっても、あたし愛苗に男盗ったって誤解されて嫌われちゃう……っ!」

「それは見つかってから考えましょう」



 望莱は希咲を落ち着かせようと正論を述べるが、今の彼女には通じなかった。



「あたしまだ彼氏とか出来たことなかったのに……! あんなクズが初カレとかもう女として終わりよ! もう生きてけない……っ!」


「七海ちゃん七海ちゃん。元カレ4人いる設定崩壊してますよ」


「もうむりやだぁー! うわぁーんっ!」


「ギャン泣きで草」



 結局また七海ちゃんが大泣きしてしまったので、みらいさんはしばらくその泣き声と顔を愉しむ。



「――まとめますと、弥堂せんぱいの認識が改変されているようなことがないナチュラルな状態なら、彼が七海ちゃんに告ってくるわけがない。だから彼の水無瀬先輩に関する記憶も消えてしまっている。七海ちゃんはこう考えたわけえですね?」


「そうよ」



 望莱が確認をとると、希咲はグスっと鼻を鳴らしながら肯定した。



「メッセとかでやりとりしてる内に好きになっちゃったとかないですかね?」


「あるわけないけど、百歩譲ってそうだったとしても、既に付き合ってるって思い込んだりしないでしょ?」


「まぁ、それはそうなんですが、なんせあのひと普通じゃないですし」


「あたしともう付き合ってるのに浮気して、そのくせ人前でキモ告してくるとか頭おかしすぎじゃんか」


「キモ告ってなんですか?」


「キモい告白よ! もうしないでってゆったのに!」


「まぁ、七海ちゃんったらヒドイです。せんぱいが勇気を出して告白をしたのにそれをキモいだなんて……」


「だって、人前で抱きついてきてスカートの中に手入れてお尻触りながら告ってきたのよ⁉ おまけにあたしと付き合ってると思い込んでるし!」


「キモすぎで草」


「全然笑えないから!」



 趣味の悪そうな笑みを浮かべる望莱に希咲は注意を喚起する。



「あんただって他人事じゃないのよ⁉」

「わたしが、ですか?」


「だって、あんたが浮気相手だって認識にみんななっちゃってるのよ!」

「せんぱいも?」


「そうよ!」

「ふむ……」



 その情報に、望莱は嫌がるでも面白がるでもなく、どこか興味深そうに考え込む仕草を見せた。


 希咲はその反応に拍子抜けする。



「ちょっと、みらい……?」


「どうしてそんなことになったんでしょう?」


「だから認識の改変? とか、辻褄合わせ? ってやつじゃないの?」


「なんのために?」


「え?」


「そこにわたしって必要なんですかね……?」



 思いの外真剣な望莱の表情に引き込まれ、希咲も冷静さを取り戻した。



「わたしの名前が出てきたところの前後の話とかありますか?」



 そう問われ、希咲は該当する出来事について彼女に聞かせる。



「……へぇ。法廷院先輩、ですか……」



 すると、望莱が興味を持ったのは浮気相手の件よりも法廷院――正確には彼の背後にいるであろう人物についてだった。



 もしかしたら未来を知るかもしれない人物。



 そんな存在にはとても心当たりがあったからだ。



(やっぱり、わりと近くにいる人物のようですね……)



 望莱が黙り込んでしまったので希咲が彼女の表情を窺う。



「みらい?」


「はい。なんでしょう?」


「あんた、イヤじゃないの?」


「……? なにがですか?」



 希咲が何について心配しているのかわからず、望莱は首を傾げる。



「や。だってさ。自分の知らないとこで勝手に誰かと付き合ってるとか、浮気してるとかってことにされてるの、イヤじゃない?」


「あぁ。そういえば、わたしって“せんぱい”と浮気えっちしてることになってるんでしたっけ」


「そこまでは言ってないでしょ!」


「でも、浮気ってそれしかなくないです?」


「それは……、そうかもしんないけど……」



 ちょっとほっぺを赤くする幼馴染のお姉さんにみらいさんは萌えた。



「なんにせよ、勝手にそういうことにされるのって“むかー”じゃん」


「“むかむか”ですか?」


「“むかむかのむか”よ」


「それは大変です」



 意味のない会話を重ねて、その合間に望莱はぼそっと呟く。



「……これはむしろ都合がいいかもしれないですね」


「え?」


「いいえ。なんでもないです」



 ニコッと笑って、望莱は話を戻す。



「……それよりも。『弱者の剣ナイーヴ・ナーシング』でしたっけ? 初めて聞きましたがちょっと洗ってみますかね」


「そ? でもフツーの子たちだったわよ? 確かに背後にいるヤツは怪しそうだけど……」


「そうなんですけど、ちょっと“出来過ぎ”に感じました」


「できすぎ?」


「はい。普通の人だというのなら余計に怪しく思えます」



 望莱の目がスッと細まる。



「起きたことだけを挙げるなら、その人たちと揉めたことが七海ちゃんと“せんぱい”の関係が始まるきっかけですよね?」


「え、でも……」


「それまではあくまでお互いに『水無瀬先輩の友達』って見方でしたよね? それが彼らとのトラブルによって、『七海ちゃんと弥堂せんぱい』の間に、水無瀬先輩を介さない直接的な関係が出来上がった」


「まぁ、うん……。そうとも謂えるかも……」


「そして今回。彼らの背後にいる人物から出てくる答え。それが七海ちゃんと“せんぱい”の勝負の決着に影響するものだった」


「それは……、そうね……」



 望莱の喋り口から希咲にもその重さが伝わってきた。



「痴漢で有耶無耶になっちゃいましたけど、今回の件の本質ってそのメールと“せんぱい”の答えが一致するかどうかで、“せんぱい”が水無瀬先輩を憶えている側なのかどうかを判断するってことでしたよね」


「うん」


「その謎の人物も“憶えている側”で、さらに未来を見通すなんてことが出来るのなら、今回その人が提示する答えでわたしたちの運命を操作することが出来た」


「運命の操作……?」


「実際にどうだったのかはわかりません。ですが、『そうであった』という可能性、そして今回その立ち位置に彼らが居たこと。その事実をわたしは決して軽視しません」


「…………」



 希咲は少し考えてから口を開く。



「……そういえばそうよね。愛苗が行方不明なのと、今回は弥堂との決着を優先してスルーしちゃってたけど……」


「二人のきっかけと決着の両方に立ち会った。偶然にしては“出来過ぎ”ですよね」


「……あいつら、そもそも最初もあたしを待ち伏せしてて愛苗のこと匂わせてきたし、それに今回も。あたしたちに何が起こってるのかわかってるみたいに、橋であたしのこと待ってって『助けに来た』とかって」


「まぁ、水無瀬先輩のことに実際に関わっているかはわかりません。最優先には出来ませんが、彼らのことも追々掴んでいく必要があるでしょう」


「ん」



 希咲が納得したのを確認し、望莱は改めて結論を伝える。



「ということで、わたしは七海ちゃんの話を聞いてそれらに違和感を持ちました」


「違和感?」


「はい。まず『弥堂せんぱいが忘れてる側だということ』、そして『ナイーブな変態さんたちのフィクサーがわたしの名前を出したこと』、この二つにわたしは違和感を持ちました」


「ってことは、あんたは弥堂が愛苗を憶えてるって思ったのね」


「はい」



 先程の公然わいせつ事件について二人の見解は割れたことになる。


 だが、望莱は強く反論をするわけでなくニッコリと笑った。



「ただわたしが違和感を持っているとだけ覚えてくれればそれでオッケーです。その上で七海ちゃんがどう思ったのかを聞かせてください」


「あたしが思ったこと?」


「はい。では、まずは何故“せんぱい”が忘れてる側だと思ったのかということから――」

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