2章11 『Bitterness supplements』 ①

 ざわざわと――


 正門前の桜並木で生徒たちは騒めいている。



 ここでは一つの戦いがあった。




 水無瀬 愛苗みなせ まなの行方を追う希咲 七海きさき ななみ


 その愛苗との繋がりを隠したい弥堂 優輝びとう ゆうき



 目的は恐らく同じなはずなのに対立する二人の対決は終わった。



 ケツモミしながらのキモ告という合わせ技を戦いの最中で編み出し、それを繰り出した弥堂。


 そのガチな痴漢行為にブチギレて、空中コンボで彼を血祭りにあげた希咲。



 希咲の攻撃で弥堂はノックアウトされたが、しかし彼女も無傷ではいられず泣きながらの逃走を余儀なくされた。



 結局、二人ともに本来の目的を果たしたとは言えず、結果は痛み分けという評価が正しいだろう。



 その戦いを見物していた者たちから見れば――


 悪の風紀委員がギャルにボコられ、そのギャルももうバックレた。


 仲直りをするはずだった二人の関係修復は失敗。


 これにて騒ぎは終了――という事になる。



 この私立美景台学園の生徒たちの民度は、ご近所の住民の皆さんが少々顔を顰める程に低い。


 その為、学園内で生徒が他の生徒に暴力を奮うような場面に遭遇することは特に珍しくもない。



 なので、普段であればそういった騒動を見掛けたら一頻り見物し、決着がついたら各々で勝手に解散をする。


 それが通常の光景であり、慣れたスキームだった。



 しかし、今日のこの場に限ってはそうではない。


 喧嘩が終わった後も、多くの生徒たちはこの場に残ったまま、誰にというわけでもなく自分の感じた驚きを口にしていた。


 その彼らや彼女らの顏に浮かぶ感情の殆どは、恐怖だった――




「――う、うそだろ……っ⁉」

「あの弥堂が……パツイチ……だと?」

「こ、こんなのありえねぇ……っ!」



 2年B組に所属する鮫島くんたちも、自分たちが目撃したものに驚愕していた。


 彼らは『風紀の狂犬』と学園内で恐れられる弥堂の実力をそれなりに知っている。



 特に鮫島くは何度か彼にケンカを売ったこともあり、その度にあっさりと制圧をされた経験もあった。


 弥堂の強さを身体で憶えている。



 その弥堂がこんなにも容易く打倒されるなんて。


 彼らが浮かべる恐怖とはそういった種類の恐怖であり、そしてその恐怖の対象となるのは――



「――ひっ⁉ ひぃぃぃ……っ⁉」



 鮫島君たちの横で、D組の猿渡くんがガターンと腰を抜かした。



「あわわわっ……⁉ き、希咲って、あんなにツエエのか……⁉」

「ビ、ビトーが秒殺……⁉ ヤべえ……ヤベエよサータリくん……⁉」



 サータリくんの仲間たちも揃ってガクガクと膝を震わせ、希咲の強さに恐れ戦く。


 彼らは普段から希咲さんにナメた口をききまくって軽いセクハラまでしている。


 本気になった彼女がまさかここまで強いとは思っておらず、自分たちもシメられるのではとビビリ散らかしたのだ。



 そして、希咲さんにナメた態度をとったことがあるのは彼らだけではない――



「――う、うわぁ……、うわぁ……っ」

「ヤバ……、えっ? ヤバ……」



 先程は何となくノリで希咲に謝罪を強要してしまった女子たちもドン引きだった。


 その中でも――



「――は? え……? 人が飛んだんだけど……⁉」

「マ、マジかよ……⁉」



 普段から希咲さんに敵対的なポジションにいる寝室 香奈ねむろ かな結音 樹里ゆいね じゅりの二人はビビリまくっていた。


 彼女たちは不良ギャルなので、多少はケンカの現場に居合わせたこともあった。


 しかし身長180cm前後の男性が地面と平行に10m以上ぶっ飛んでいくような“バトル”など見たことはないので、俄かにはこの現実が受け入られなかった。



「え? ジュリさー、前に空手やってたんでしょ? ああいうのできんの?」

「……出来るわけねェだろ……、空手ってそういうモンじゃねェから……。つか、七海がなにやって弥堂ぶっ飛ばしたのかすら、アタシには見えなかったんだけど……」


「えっとぉ……、ケンカ強い人ってこんなこと出来るんだぁ……、タツジンってやつ? うわぁ、きも……」

「んなわけねェだろッ! こんなの見たことねェよッ!」


「……そういえばジュリって、七海とケンカするとか言ってたよね……?」

「……カンベンしろし」



 希咲も彼女たちの動向は少し警戒していたのだが、自らの与り知らぬところで揉める前に彼女らの心を折ってしまった。


 単純に弥堂に勝ったという点だけでも脅威だが――



「――つかさぁ……」

「あぁ。百歩譲って人間がぶっ飛んだのはまだいいよ。いい感じにタイミング合えばそういうこともあるかもってまだスルーできる……」


「あれはないよねぇ……」

「それな」



 そう言って二人が揃って視線を向けたのは、折れた桜の木だ。



「いくらなんでもさ、あんな太い木が“ああ”はなんなくない?」

「……軽のクルマとかが衝突してもあんな風に折れるとは思えねェんだけど」


「……ビトー死んだ?」

「……死んだんじゃね?」



 寝室と結音の視線の先では、折れた木に背を預けて地面に座り込む弥堂の姿がある。


 燃え尽きたボクサーのように身動ぎすらしない。



 彼女ら二人以外にも、この頃には弥堂の容態に意識を向ける人がいくらか現れていた。


 倒木のすぐ近くでへたり込む女生徒もその一人だ。



 彼女は下校途中にたまたまこの場を通りがかり、何やら騒ぎが起きているようだったので興味本位で野次馬に加わっただけの生徒だ。


 他の子たちが何で集まっているのかも知らなかったし、騒ぎの中心にいる二人が何でモメているのかもわからなかった。



 ただ、その中心人物の二人に少し憶えがあったので、見物をしてみることにしたのだ。



 何故ならその男女の生徒は、ついこないだもああやって放課後の正門近くでイチャイチャとケンカをしていたので、


「この人たちいつもこうなのかな?」


 と、気になって立ち止まってしまった。



 前回は何やら、男子の方が他の子のパンツに関心を持ったことで女子の方が怒ってしまったようだった。


 今日はどんなことでケンカしているんだろうと、そんな野次馬根性を出したのがよくなかった。


 まさかこんな危険なことになるなんて。



「ハッ……、ハッ……」と、乱れる息を胸に手を当てて落ち着かせる。



 彼女の居る位置はちょうど折れた木が倒れてきた場所だった。


 幸い倒木に巻き込まれることはなく、木は彼女のすぐ横に倒れた。


 彼女以外にも巻き込まれた人や怪我をした人は居なかったようだ。



 まずはそのことに胸を撫でおろす。


 そうすると次に、ぶっ飛ばされて木に激突した男子のことが気掛かりになる。



 なにせ、こんな大きな木が折れる程の衝撃だ。


 本人は「俺の勝ちだ」などと遺言のように呟いていたが、彼女にはとてもそうは見えなかったし、とても無事だとも思えなかった。



 彼のクラスメイトと思われる女子たちが慌てて駆け寄ってくる様子が見えたが、まだ少し距離が離れている。


 自分が一番近くに居るので、まずは無事かどうかだけでも確認するべきだと気付く。


 場合によってはすぐに救急車を呼ばなければならない。


 女生徒は慌てて立ち上がって弥堂の方へ駆け寄った。



「あ、あの……っ、大丈夫ですか……⁉」



 女生徒は弥堂に手を伸ばす。


 その手が弥堂の肩に触れる寸前――



――ガシッと、弥堂の手が女生徒の手首を掴んだ。



「――えっ?」



 続いてダランっと垂れていた首がグリンと動く。


 前髪の隙間から向けられる蒼銀の光が女生徒を射抜いた。



「ひっ――⁉」



 意識がないように見えていた男がいきなり動き出したことで女生徒は驚く。


 そうしている隙に、掴まれている手首を引かれ、身体をグイっと引き寄せられた。



 碌な抵抗も出来ないまま身体の位置を入れ換えられる。


 自然と彼女は弥堂を見上げる形になった。



「あっ……、あ……っ」



 自分を見下す男の瞳の輝きが不気味で、委縮した身体は悲鳴をあげることすらしてくれない。


 ふと、男の首と頬に、何か黒いタトゥーのようなものが浮かんで、瞳と同じように蒼銀の光で輝いていることに気付いた。



 これは“気付け”の刻印魔術だ。



 意識のない時や眠っている時に他人が近づくこと。


 それと他にいくつかの条件を満たした時に自動で発動する“反射魔術アンダースペル”である。



 ちなみに“気付け”といっても、何か魔法的なチカラで意識を回復させるわけではなく、刻印を打った場所に激痛が奔るだけである。


 なので、起きない時は普通に起きない。


 その程度のゴミ魔術だ。



 だが、そんなカス同然の魔術でも、そもそも魔術というものの存在すら知らないような者から見れば酷く不気味で、十分に畏怖の対象となる。


 この少女も恐ろし思い、弥堂を見上げたまま硬直してしまった。



 少女の手を掴んでいるのとは逆の腕が上がる。


 その手が拳を作った。


 あれが自分の顏に振り落とされるのだろうと、女生徒は何秒か先に自身に降り懸かる悲運を想像する。



 だが、抵抗はしない。出来ない。


 彼女にはそんな気概はなかった。


 頑強な男の拳を凝視し、やがて堪らなくなって目を閉じようとしてしまった。



 しかし、その寸前――



 弥堂の身体がグラリと揺れる。



「――え……?」



 そして瞳から蒼銀の光が消え、そのまま女生徒の方へ倒れ込んできた。



「きゃぁ――っ⁉」



 為す術もなく女生徒は弥堂の下敷きになる。


 野外にて、まだ空に残る陽の下で押し倒される格好となってしまった。



「あ、あの……っ」



 自分の両足の間に男の人が居る。


 女生徒はその事実に強い羞恥を覚え、そしてそのことを誤魔化す為にか――


 首を回して自身の顏のすぐ横の、男の顏を覗いて容態を確かめる。


 すると――



「――いっ、いやあぁぁぁーーっ⁉」



 そこにはデロンっと白目を剥いた顔だ。



「いやあぁぁーっ、いやあぁぁぁぁぁーっ!」



 女生徒はもう色々と限界を迎え、完全にパニックを起こしてしまった。


 再び気絶した弥堂の身体の下から逃れようと暴れる。


 だが、体重差から上手く抜け出すことが出来ない。



 意識を失い脱力した弥堂の身体は少女の股にピッタリとくっついて押さえ込んでいる。


 そんな状態で足を開いて藻掻くものだから、スカートの中心は抑えられたままで端だけがどんどんと捲れ上がり、左右の脚の付け根が露出してしまっていた。



 その様子を目撃しているはずの男子生徒たちは動かない。


 若干前屈みの姿勢のままでただ目ん玉をかっ開いていた。


 無法な男に女子が乱暴されてはいけないので、しっかりと様子をガン見して監視していた。



「う、うわぁ……っ」



 この頃にはもう間近まで来ていた早乙女 ののかが、その光景を見てドン引きする。


 男子たちもキモいが、それよりも問題なのは――



「じ、自分の彼女に痴漢して逃げられたら、すぐに手近な女をレイプするなんて……」



 早乙女は戦慄し、ゴクリと喉を鳴らす。



「バカののか! そういうんじゃないでしょ! 助けてあげなきゃ……!」


「いやぁ、もうそういう絵面にしか見えなくてつい」



 日下部 真帆が叱りつけながら追い抜いていくと、早乙女は「てへぺろりん」と舌を出す。



 日下部さんは急いで変態の下敷きにされた女の子を救出しようとする。


 刻印魔術が起動し、弥堂の身体にバキっと激痛を奔らせた。しかし起きない。



「ののか! バカ言ってないでアンタも手伝って!」


「ほぉーい!」



 早乙女も日下部さんと一緒に弥堂の脇の下に腕を入れる。


 刻印魔術が起動し、弥堂の身体にバキビキっと激痛を奔らせた。しかし起きない。



 二人で協力して「んー! んーっ!」と力を入れて、女生徒の上に乗っかる弥堂の身体をなんとか引っ繰り返す。


 弥堂の後頭部が地面にゴチンっと落ちた。



「――大丈夫?」



 どうにか脱出に成功した女生徒がしばし呆然としていると目の前にスッと手が差し出される。


 2年B組学級委員の野崎 楓だ。



「あ、ありがとうございます……」



 仰向けに倒れる弥堂の身体の横にへたりこんでいる女生徒は、野崎さんの掌の上に自身の手を重ねる。


 刻印魔術が起動し、弥堂の身体にバキビキブキっと激痛を奔らせた。やはり起きない。



 野崎さんは苦笑いを浮かべる。



「えっと、あなたC組の金子さんだよね? こちらこそだよ。弥堂君は私たちが保健室に運ぶから……。心配してくれてありがとうね?」


「えっ……? あ、あの……、なんで私のなま――」


「――ちょっと楓?」



 C組の金子さんが戸惑いながら何かを質問しようとしたが、横合いから別の声が挿し込まれる。



 弥堂の頭のすぐ上に立つ、舞鶴 小夜子だ。


 刻印魔術が起動し、弥堂の身体にバキビキブキベキっと激痛を奔らせた。全然起きない。



「お? 小夜子ちゃん。弥堂くんが起きてたらサイコーのアングルになってるんだよ」


「……そう言われると恥ずかしくなってくるわね」



 早乙女に指摘されると舞鶴はスカートを押さえながら、「今日は手抜きだから……」と、よくわからない言い訳をしながら弥堂の身体の側面にスススっと移動した。



「どうしたの? 小夜子」


「あ――」



 野崎さんに何の用件か問われると、舞鶴は気を取り直して答える。



「私たちで運ぶと言っても少々難しくないかしら? 彼、それなりに体重ありそうだし……」

「保健室まで結構距離あるし、4人がかりで担いでいくわけにもいかないよね」

「ののかチビだから戦力外なんだよ」



 舞鶴の指摘に日下部さんと早乙女も「うんうん」と頷いた。



「うーん……」



 さて、どうするかと野崎さんが困った顔をすると――



「――失礼。ちょっといいか?」



 ガラガラという音ともに男の硬い声が会話に参加してくる。



「よかったらこの車椅子を使ってくれ」



 法廷院の指示で車椅子を運んできた高杉 源正たかすぎ もとまさだ。


 野崎さんはその申し出にパンっと手を合わせて喜んだ。



「わぁ、ありがとうございます。助かります」


「気にするな。よかったら俺が保健室までその男を運ぶが? 女の細腕では少々辛かろう」


「あ、いえ。大丈夫です。ちょっと弥堂君にお話もありますし」


「そうか?」


「はい。お仲間の人たちに追いつくのも大変になってしまいそうですし。お気持ちだけで十分です」


「わかった」



 それ以上は何も言わず、高杉は弥堂の身体を持ち上げると車椅子に座らせる。


 刻印魔術が起動し、弥堂の身体にバキビキブキベキボキっと激痛を奔らせた。結局起きることはなかった。



「な、なんか弥堂くん痙攣してない……⁉」


「む。どうやら急いだ方がよさそうだな」


「はいはーい! ののか右側押したーい! 小夜子ちゃん左な?」



 弥堂の膝の上にガンっとスクールバッグをのせて早乙女が車椅子の後ろに回る。



「仕方ないわね……」



 口調とは裏腹に割とまんざらでもなさそうな顔で、舞鶴もスクールバッグをダンっと上に重ね置いて車椅子の背後に移動した。


 この間も弥堂の刻印魔術は絶えず激痛を発し続けている。



 二人に無視された日下部さんは、弥堂の胴体にロープをグルグル巻きにして車椅子に固定しようとしている野崎さんに声をかけた。



「ね、ねぇ……?」


「えっ? なぁに? 真帆ちゃん」



 作業中の野崎さんがキョトンと首を傾げる。


 彼女が手にしているのは、弥堂が提言して風紀委員会に導入された『対不良生徒用の捕縛縄』だ。



「弥堂くん大丈夫なの? ピクピクしてるけど……」


「あ、たいへん……! 急がなきゃ!」



 野崎さんはギュッとロープを縛り、早乙女と舞鶴に発進を指示する。


 そうして4人がかりで車椅子を押して校舎の方へ戻って行った。




 “反射魔術アンダースペル”の連続発動に弥堂の魔力は根こそぎ吸い取られ、保健室に着く頃にはグッタリと虚弱状態に陥ってしまっていた。


 気付けの魔術のせいで弥堂の気絶時間は逆に延びることとなった。




 しばらくして、弥堂は保健室のベッドにて目を醒ます。



 最初に視界に映ったのは知らない天井――ではなく、「あやまろ?」と声を揃えながら自分を見下ろしているクラスメイトの女子たちの顔だった。



 弥堂はゴネながら保健医に体調を確認され、特に問題はないと診断された。



 それから野崎さんたち4人から、先程弥堂がしたことは完全に痴漢であることと、痴漢をするのはいけないことだと注意を受ける。


 女性の立場から、どれだけ痴漢は犯罪的で恥ずべき迷惑な行いであるかということを、小学生にでも語るような口調で教えられた。


 その後、やってもいない浮気についての話題に移行すると、女性の保健医までも参加してきて全員からガチめに詰められる。



 そうして、弥堂はクラスメイトの女子たちからガチめの痴漢についてガチめの説教をされ、次の機会に浮気と痴漢に関してきちんと希咲にガチめの謝罪をすることを約束させられてからようやく解放された。



 心配だから帰り道を付き添おうかと気遣う彼女らの申し出を固辞し、弥堂は一人廊下を違う方向へ進む。


 歩き出したら身体中におかしな痛みを感じる。


 特に背骨には割と甚大なダメージを感じた。



 弥堂はトイレに向かう。



 万が一、このまま“魂の設計図アニマグラム”が固定化されて、クスリで掛けた暗示が残ったままになったらシャレにならない。


 弥堂は念のためトイレの個室で自殺をしてから校舎を出た。









 一方その頃――




「――まじむりっ!」


「まぁ、それは大変です」



 クラスの男子に痴漢と告白をされて泣きながら逃げていった七海ちゃんは、お家に着くなりお部屋のベッドに潜って電話を掛け、年下の女の子に泣きついてた。



「どれくらい無理なんですか?」


「まじむりなのっ!」


「それは困りました。ちなみにどうして無理なんですか?」


「まじきもいのっ!」


「なんてことでしょう。それはいけませんね」



 嗚咽混じりに弥堂の悪行のようなものを言いつけてくる希咲の言葉をみらいさんは適度に聞き流しつつ、必要な情報を集めて何があったのかを推察していく。


 表面上は心配そうな顔をしつつも、内心ではガチ泣きをする幼馴染のお姉さんに萌えていた。



「ふむ……」



 しばし話を聞いていると、希咲の愚痴と泣き言がひと段落する。


 スマホから聴こえてくる「スンスンっ」という声を背景にみらいさんは考える。



 言うべきか、言わざるべきか――



 みらいさんの基本的な考えとしては、それがどれだけ正論で必要な指摘だとしても、推しの配信中にマジレスをするべきではないと考えている。


 自我と知能を消し飛ばして全く意味のない動物の鳴き声のようなコメントだけを無心で繰り返し、推しに気持ちよく配信をしてもらうべきだというのが基本的な理念だ。



 だが一方で、それでも時にはマジレスをするべき例外な時もあるとも考えている。


 歌枠の初っ端ではいくら周りが「はい! はい!」と童心に却って盛り上がっていても、その後1時間のライブ体験とアーカイブ勢のことを考え、きちんと「ちょっとオケ小さいかな」と指摘をするべき時もある。


 今後の自分の保身の為に、指摘用の捨て垢をライブ配信の前日までに用意してCH登録をしておくのが、プロとしての心構えだ。



 生憎この場ではその捨て垢は使えないが、今はその“言うべき時”だと判断した。



「七海ちゃん……」


「すんすんっ……、なに……?」



 みらいさんはゆっくりはっきりと発音した。




「七海ちゃんは一体何しに行ったんですか?」


「うわぁーーんっ!」



 しかしその発言は推しをギャン泣きさせてしまった。



「困りました……」



 みらいさんは「ほぅ……」と悩まし気に溜息を漏らす。


 これでは彼女からしっかりと話を聞けるようになるまでさらに時間がかかってしまいそうだ。



「あ、ちなみに今言ったのは捨て垢の人ですから。わたしじゃありませんので」


「いみわかんないもうやだぁーーっ!」


「ギャン泣きで草」



 それからみらいさんは暫く推しの泣き声を楽しんだ。


 配信中の画面キャプチャはプロとして当然の心構えだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る