2章10 『ドロドロのミスゲート!』 ⑩
「そ、そんな……」
希咲は言葉を失う。
今までそんなことはまるで知らなかった。
まさか、ちょっと旅行に出かけて登校していなかった間に、自分と弥堂が付き合うことになっていただなんて――
「――いや! いみわかんないしっ!」
若い学生同士でもあるし、ちょっと目を離したらクラスメイト同士でカップルが成立していた。
そんなことはよくあることだ。
だが、ちょっと目を離した隙に、自分が誰かと知らない間に付き合っている――
――そんなことはあるはずがない。
なので――
「つ、つきあってない……っ!」
とりあえず、事実でないことは否定しなければならない。
これはとんでもない誤解だ。
しかも、相手はよりにもよってこの学園で最も頭がおかしいとされる男子だ。
女子にとってこんなに不名誉なことはない。
「またまたぁー」
「もう隠さなくってもいいよー」
「なんでぇっ⁉」
しかし、早乙女も日下部さんも、希咲の言葉をまったく信じてくれなかった。
希咲は慌てて周囲を見回す。
ギャラリーたちの誰も、今の会話に対して疑問も驚きもない。
まるで公然の事実かのように、ニコニコとしながらこちらを見守っている。
「野崎さん……!」
一縷の望みをかけて、希咲は自身の知る限り一番の常識人へと水を向ける。
縋るような彼女の眼差しに、野崎さんは困ったように笑った。
ちなみにその隣の舞鶴はニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべている。こっちはダメそうだ。
「えっと……? 別にウチの学園は男女の交際禁止じゃないし。節度を守っていれば私の方からは特に……」
「だから付き合ってないんだってばぁ!」
野崎さんもダメそうだった。
「ねぇーっ!」
第三者からの支援は期待できない。
なので、希咲は自分と同じ立場の者へ呼びかける。
弥堂だ。
「なんだ」
「なんだじゃないわよ! あんたも否定しなさいよ!」
「なにをだ」
「『なにを』じゃないでしょっ! いくらなんでも聞いてないわけないでしょ⁉」
「聞いてたが」
「だったら一緒に否定してよ! あたしたち付き合ってるって誤解されてんだけど⁉」
「あぁ、そういう意味か」
「やっとかよ……、あんたからも違うって言ってよね」
苦労してようやく相手に意図が伝わり、希咲は一旦ホッとする。
しかし、その人は人類でトップクラスに話の通じない人だということを彼女は失念していた。
「その必要はない」
「はぁっ⁉」
キリっとした顏でキッパリと言ってくる弥堂に七海ちゃんはビックリだ。
「なんでよっ!」
「必要ないからだが?」
「あるが⁉ ヘンな誤解されてたら、違うって言わなきゃダメでしょ!」
「誤解ではないが?」
「誤解だが⁉」
ごく簡単な話なはずだ。
だって付き合ってないし。
なのに、弥堂には一向に話が通じない。
そのことに苛立ちが募る。
だがこの時、希咲の胸の中の別な部分には、先程とはまた別の嫌な予感が生まれだしていた。
「誤解じゃないわけないでしょ! だってあたしたち付き合ってるって思われてんのよ⁉ あんた、みんなの話聞いてたわけ⁉ そうやって人の話ちゃんと聞かないから話について来れなくなっちゃうんでしょっ!」
「聞いていたし、ちゃんと理解もしている」
「だったらちゃんと言ってよ! 違うって! あたしたち付き合ってないでしょ!」
「付き合ってるが?」
「はぁぁっっ⁉」
何を馬鹿なと断言する弥堂の言葉にビックリ仰天した七海ちゃんから、今日一番の「はぁ?」が飛び出した。
ぴゃーっと跳ね上がるサイドテールを弥堂はジッと視てから、また彼女の顔へ眼を戻す。
酷く混乱した様子だ。
当たり前だが。
「あんたなに言ってんの⁉ 付き合ってないでしょ⁉」
「付き合ってるが?」
「付き合ってないが⁉」
「そんなわけはない」
「そんなわけあるがっ⁉ だって付き合ってないし!」
「付き合ってるが?」
「うるさぁーーいっ! 誰があんたなんかと付き合うかぼけぇーっ!」
希咲は弥堂に抱きしめられたままジタジタと足踏みをして怒りを強調する。
それによってさらに誤解は拡がっていく。
「わぁ、ああやって甘えるんだぁー」
「ちょっと意外ー。かわいーけど」
「甘えてるわけあるかー! 目ぇ腐ってんの⁉ あたしセクハラされてんだけど⁉」
「まぁ、付き合ってるし多少は、な?」
「こっちが目の置き場に困るよな」
「だから付き合ってねーっつーのっ! あたし怒ってるでしょ⁉ 付き合ってたらこんなに怒るわけないじゃん!」
「だって……、ねぇ?」
「これぞツンデレって感じだよねっ」
「ここでその設定もジャマしてくんの⁉」
付き合っていないのに付き合っていると決めつけられる。
そしてそれを否定すると『ツンデレだから』と流されて誰も聞いてくれない。
これ自体はこれまでに何度も経験がある。
しかしその相手は、現在もまだ自分を勝手に抱きしめているこの男ではなかったはずだ。
これまではずっと――
「――って、そうだ……!」
希咲はハッと気付く。
「見ろよ。弥堂のあのツラ。まんざらでもなさそうだぜ。無表情だけど」
「おぉ。あんなにギャーギャー言われてもキレねえってことはそうだよな。無だけど」
「ちょっとあんたたち……っ!」
好き勝手なことを言い続けるギャラリーに確かめる。
「あんたたちこないだまでは、あたしが
「どうなったって……、なぁ?」
「自分のことだろ? としか」
「うるさぁーい! さっさと答えなさいよ!」
ロクでもないことは勝手に喋るくせに、こっちが聞いたことにはまともに答えてくれない。
そんな人々にガァーっとキレて威嚇する。
すると――
「――七海ちゃん七海ちゃん」
「あによっ!」
早乙女が楽しそうに「はーい!」と挙手をして発言してくる。
「ののかにはわかってるんだよ! 流石に常識的に考えてハーレムはねぇなって思って、紅月くんとは別れたんだよね?」
「うんうん。やっぱ普通に考えるとそうなるよね。コンプラ的にハーレムはないよね」
「それは……っ、確かにっ、そうだけど……っ!」
それだけは正論だが、勝手に付き合わされた挙句に勝手に別れさせられたことに希咲は納得がいかなかった。
だが、納得はいかなくとも、世間ではもうそういうことになってしまっているようだ。
周囲の人々も「うんうん」と頷いて、しきりに同意している。
まるで周知の事実かのように。
紅月 聖人と付き合っていないけど、付き合っている。
だから別れようもない。
なのに、全ての過程をスキップして別れたことになっている。
全く意味がわからないことだし、大変理不尽なことだが、しかしここまでならまだいい。
希咲としてもギリギリ許容できるし、腹は立つが今後を考えれば間違いなくそっちの方がいい。
なので、多少の不満は呑み込める。
だが、だとしも――
「――だからって、なんでこいつと付き合ってることになんのぉっ⁉」
そこだけは絶対に受け入れられなかった。
“コレ”はないだろうと、強く世間に不遇を主張したい。
なのに、その当人たる“コレ”といえば。
今も自分を抱きしめたままではあるものの、まるで他人事のように“ぬぼー”っと何もない宙空を見ている。
七海ちゃんはカチンときた。
「ちょっと!」
「なんだ」
「『なんだ』じゃねーわよ! あんた、あたしが居ない間になにしたわけ⁉」
「特に何もしていないが」
「何もなくてこんなことになるかっ! 何が目的なわけ⁉」
「目的と言われてもな。強いて言うなら、お前との将来が目的ということになるのか?」
「あたしに聞かれても、キモイしかないんだけど⁉ つーか、マジでなんなのこれ⁉」
「だから俺とお前は付き合っているんだ。いい加減に観念しろ。この寝取られ女が」
「誰が寝取られ女かぁーっ!」
あまりの言い様に七海ちゃんはぷっちんしそうになる。
だが弥堂の発言により周囲が一斉にヒソヒソ話を始めたことでハッとなった。
どうやら二人の馴れ初めについて、勝手な憶測が大分爛れた感じで拡がっているようだ。
「ほら、昼休みに教室で……」
「あー! キスしてたって……」
「えぇー⁉ マジぃー⁉」
「してないしっ!」
大声で否定するが誰も聞いてくれない。
生徒さんたちによる、「キスしてたって」「キスしてたって」「キスしてたって」という輪唱が始まる。
「おいこら! 否定しろ! これはさすがに否定しろっ!」
希咲は弥堂の胸倉を掴んで強く要求をした。
「おい、お前たち――」
弥堂は面倒そうな顔ではあるものの、群衆に向かって呼びかける。
「――キスはしていない。しようとしただけだ」
「こらぁーーっ!」
精悍な顔つきで弥堂が宣言すると今度は、「キスしようと」「キスしようと」「キスしようと」という歌詞に変わる。
「お前わざとやってんだろこのやろーっ!」
終わらない輪唱を背景に希咲はガクガクと弥堂の胸倉を揺する。
すると――
「――わぁ……っ、見てほら」
「う、うわぁ……、まさかこんなとこで……⁉」
「えっ……?」
輪唱が俄かに止んで人々の視線が集まる。
その反応に戸惑い、希咲は自分たちの状態を確認した。
「ゔっ⁉」
弥堂に抱きしめられた状態で胸倉をガクガクとしているものだから、身体を密着させたまま二人の顏はかなり近づいてしまっている。
それを客観的に見るとどうなるか――
「――キスしてる」「キスしてる」「キスしてる」「キスしてる「キスしてる――」
――こうなった。
「してないからっ!」
希咲が全力で否定するものの、輪唱最終形態はものすごい速度で拡散されていった。
スマホを何やらペタペタと操作している者や、背面のカメラレンズを向けてくる者もいる。
この場に居ない生徒にまで情報が回っていることは想像に難くない。
盛り上がってしまった人々は止められないのだ。
ただ誤解を訂正したかっただけなのに、何故かより酷い誤解にミラクル進化をして、結果的に取り返しのつかないことになってしまった。
フッと気が遠のいて、希咲は頭をフラつかせる。
なにゆえ自分がこんな目に遭わなければならないと、自分の人生に絶望しそうになったのだ。
弥堂の胸倉を掴む手におでこを押し付けて、気を強く持とうとする。
その姿を見てさらにギャラリーは喜ぶが、希咲はもうそれどころじゃない。
しかし、こうして彼氏(誤)の胸に顔を埋めていても、それで現実が変わるわけでもないのだ。
どうにか現状打破の方向へ思考を向け直す。
幼き頃から聖人と付き合ってる扱いされてきたことで、彼女にはこういったことに多少の耐性が出来ていた。
(100億歩ゆずって……!)
聖人と付き合っていると誤解されたことも。
それが別れたと誤解されたことも。
そしてその後に弥堂と付き合っていると誤解されたことも。
そこまではまだわかる。
ホントはわからないけれど、わかったことにする。
元々そうやってずっと勝手な誤解を受け続けていたし、他人とはそういう勝手な生き物なのだということは随分前からわかっていた。
(でも、こいつはベツでしょ……っ!)
キッと弥堂を睨みつける。
何故ならこのバカ男は当人なのだ。
関係のない第三者がよくわからない噂を鵜呑みにしてそれが事実だと思い込むのとは訳が違う。
周囲がそう言っているからといって、『あ、ボクって希咲さんと付き合ってるんだ。みんなが言うならきっとそうなんだよね。ラッキー!』などと考える馬鹿はいない。
同じ当人の立場にいる希咲にはよくわかっている。
自分はこんなクズとは付き合っていない。
誰がなんと言おうと絶対に付き合わない。
だって、男の子と付き合うにはまず、『付き合ってくれる?』って言われて、自分がそれに『いーよー?』と言わない限り交際関係は成立しないのだ。
このバカにそんなこと言われたことはないし、言われたとしても絶対にこっ酷くフる。人類史上一番ヒドイ感じで。
というか、そうなったら大好きな親友の愛苗ちゃんに対する裏切りになってしまう。
なので、もしもこのクズが告ってきたら、その場合はこの男を始末せねばならない。
ちなみに、自分からこんなクズに『ねーねー付き合ってー』と言う可能性は100
だから、いくら頭がおかしくたって、この男までそんな勘違いをするわけがないのだ。
していたとしたら、それはもう完全に病気だ。
ということは――
「――あんたぁぁ……っ! どうせまたあたしに嫌がらせしようとして周りにノってんでしょ⁉」
――必然的にそういうことになるし、この男はそれをやる人物だ。
希咲は確信して弥堂を問い詰める。
だが――
「――ひどいな。嫌がらせだなんて。俺はお前と付き合っているんだから嫌がらせなどしない。基本的には。あと殺さない」
「は……?」
――自分を見返す弥堂の眼を見て、希咲はゾッとした。
プツっと、肌が粟立つ。
彼の瞳の中の自身の顏に恐怖が映ったことを視認した。
弥堂は本気でそう言っている。
ふざけているのでも、嫌がらせでもなく。
いつもと大して変わらない彼の無表情。
だけど、その顏と言葉に、希咲は“ホンキ”を感じた。
「あ、あんた、もしかしてホンキで――っ⁉」
思わず口から出た言葉が途中で止まる。
希咲は嫌な想像を思いついて息を呑んだ。
もしかして周囲の『希咲と弥堂が付き合ってる』という誤解は、前からあった『聖人と付き合ってる』という誤解とは“別の理由”で起きている誤解なのだとしたら――
そして、弥堂の『自分と希咲が付き合ってる』という思い込みも、その“別の理由”によって起きた思い込みなのだとしたら――
「ね、ねぇ……? あんた、マジであたしと付き合ってるって思ってる……?」
「思っているというか、俺はお前と付き合っている」
「――っ⁉」
弥堂が断言する。
希咲は叫びそうになるのをギリギリのところで堪えた。
喉の奥で微かに悲鳴が鳴る。
自分と付き合っていると思い込んでいる男に対する恐怖。
そんな男の腕に抱かれているという恐怖。
そしてそれ以上の恐怖があった――
「そ、それじゃ……、あんたは……」
彼がもし周囲と同じ“症状”に陥ってしまっているのだとしたら――
――それは何を意味するか。
「そんなわけ……ない……っ」
必死に自分に言い聞かせる。
そうだとしたら多くのことが崩れてしまうから。
「じゃ、じゃあ……、いつから……?」
「あ?」
「あたしたち、いつから、“そう”なの……?」
「自分でわかってることを聞くな」
「こ、こたえてよ……」
「……ここでは言いたくないな。二人きりの時にしてくれ」
「ひっ――」
先程よりも強く悲鳴が漏れる。
この状態のこの男と二人きり?
(絶対ムリっ……!)
想像しただけで恐ろしすぎた。
希咲は必死に頭を回す。
弥堂は現在『愛苗のことを覚えていないフリ』をしているはずだ。
だから周囲が『希咲と弥堂が付き合っている』という認識違いを起こしているのなら、彼自身もそういうフリをする必要がある。
だから彼も愛苗のことを忘れていると判断するにはまだ早い。
彼は『実際は付き合っていない女の子と実際に付き合っていると思い込んでいるキモイ男』を演じている可能性がある。
だが――
(そんなことある……っ⁉)
いくらなんでもそんなことをする人間がいるわけがない。
希咲にはそう思えた。
だって――
(付き合ってないのに付き合ってるって思い込んでるだけで既に世界一キモイのに! なのに、付き合ってないのに付き合ってるって思い込んでる世界一キモイ男のフリをするとかそれ以上だから……えっと……、宇宙一キモイじゃんか……っ!)
およそ人類に可能なことだとは思えなかった。
人類に実現できるキモさではない。
仮にやろうとしても出来るはずがない。
何故なら――
(あたしだってこいつのこと世界一キライだけど……っ。でも、こいつだって、あたしのこと……っ)
嫌いな女の子と実際は付き合っていないのに付き合っていると思い込んでいる世界一キモイ男のフリをする宇宙一キモイ男――そんな化け物がこの世に存在するはずがないのだ。
だってキモすぎるから。
しかし、それが存在しないのだとすると、必然的に彼は愛苗のことを忘れてしまっていることになる。
そうすると――
(――え……? まって。その場合って、まさか……)
さらに嫌すぎる想像が膨らんで、プツプツと鳥肌が拡がっていく。
希咲は弥堂に抱きしめられながら、茫然と彼を見上げた。
その目は怪物を見るような目だ。
「ね、ねぇ……?」
「なんだ」
それは決して聞きたくない。
確かめたくなんてない。
だが、動揺した心はそれを止めることが出来ず、口が勝手に地獄へ繋がる扉の鍵を開けようとする。
「あ、あんたって……、あたしのこと……、すきなの……?」
「…………」
まるで譫言のように呟かれた希咲のその問いは、騒がしいはずのこの場にやけにハッキリと響いて周囲の話し声を消し去る。
弥堂がすぐに答えなかったことでより強い関心が二人に向けられ、誰もが固唾を飲んでそれを待つ。
妙な緊張感がこの場に満ちた。
そんな空気の中で――
(ここだ――っ!)
弥堂の魔眼が機を捉えた。
確かにその眼に、希咲の動揺が――彼女の魂のゆらめきが映された。
弥堂はそれを決して逃さない。
脳裏でキックスターターを蹴り下ろすイメージを浮かべ、ドルンっと心臓に火を入れる。
【
――服の下の見えない場所に刻まれた刻印がカッと熱を放つ。
弥堂はこの勝負をキメに――
――希咲 七海を仕留めに掛かった。
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