2章10 『ドロドロのミスゲート!』 ⑧
弥堂と希咲が怒鳴り合う中――
その頃には冷静さを取り戻していたギャラリーの方々は二人のそんな姿を見ながら、彼らも彼らでまた好き勝手なことを言い合った。
「しっかし、あの野郎ヨユーだな?」
「あぁ。自分の女がこんな人前でスカート捲ってんのに、どうでもよさそうにしてんな」
「あの野郎の性癖は既にもうそこまでのステージに……?」
男子たちが弥堂に恐れ入ったような目を向けていると、そこに女子たちも参加してくる。
「つーか、もう興味なくなったんじゃない?」
「ん? どういうことだ?」
女性ならではの見解に彼らは興味を示した。
すると女子たちも口々に勝手なことを言う。
「ほら、浮気じゃなくってホンキだったとか?」
「そうそう。ミライちゃんだっけ?」
「紅月くんの妹でしょ?」
「カワイイよね?」
「もうそっちに乗り換えるつもりとか?」
「だから希咲のことはもうどうでもいいんじゃない?」
自身の発言に少しも責任を持たない人々の言葉は、弥堂を怒鳴りつける希咲の耳にも断片的に入ってくる。
先程から何度か聞くそれらの単語が気になってしまい、弥堂への八つ当たりをやめた。
「は? なに……? みらい……? のりかえ? どういうこと……?」
まるで意味がわからず、思わず弥堂に視線で問いかける。
その問いに弥堂が答えることはないが、
(だが、そうか……)
しかし、内心でそう納得する。
現在周囲に自分たちがどう認識されているのか――希咲はそれをわかっていないようだ。
そのことに弥堂は気が付く。
考えてみればそれも当然で、彼女は旅行から戻ってからこっち、碌に登校をしていない。
単純に気が付くための機会がなかったのだ。
とはいえそれも――
(――時間の問題か……)
彼女への返事代わりに、弥堂は深く溜息を吐いた。
希咲はその態度にムッとする。
だが、この溜息の意味は、なにも彼女を馬鹿にしたということではない。
彼女同様に、弥堂もこの場の意味のわからなさにうんざりとした――そういうわけでもない。
そうではなく、これは諦観だ。
やはりここに行き着くのかと――
そういった種類の溜め息だ。
先程の西野ではないが、弥堂もこの期というものを察する。
どうやらやはり、これは避けては通れない運命のようだ。
ここまでに覚悟をしていなかったのかというと、そういうわけでは決してない。
だが、まだ他の道もあるのではという模索は言い訳とも捉えられる。
自らの魂を穢さずに済めばいいと、そんな浅ましい考えが少しもなかったかと言うと――100%の自信を持ってそうとも言い切れない。
(なにをいまさら……)
それは虫がよすぎるだろうと、思わず自嘲の笑みが漏れそうになる。
自分で考えたとおり、それは今更の話なのだ。
今日この時この場に辿り着くまでに、自分が一体何をしてきたのか。
それを省みれば、今更逡巡することでも、出し惜しみすることでもないのだ。
この身も、心も、既に穢れきっているというのに――
しかし――
だからこそ、“そう”しなければならないのだ。
これからすること自体は一度目ではあるかもしれない。
だが、似たような経験はいくらでもある。
だけど、久しぶりに躊躇いというものを覚えていたのかもしれない。
それを認めたことにした。
だから――
此処は未来へと辿り着くためには、絶対に潜らねばならない修羅場なのだ。
どんなことをしてでも。
ならば――
(――やるだけだ)
心は決まった。
「なに溜め息ついてんのよ……っ!」
弥堂の内心は彼女には知れない。
彼の態度を自分への侮辱であると希咲は受け取った。
「……べつに」
「あんたのせいで、またなんかヘンな風になっちゃってんじゃん!」
「“それ”は俺のせいじゃないんだがな……」
「あんたがチャッチャと答えないからややこしいことになってんの!」
「それは、確かにそうだな」
「へ……?」
いつもだったら頑なに自分の非を認めない彼が素直に認めたことで、希咲は拍子抜けしてしまう。
「さて、なんだったか?」
「だから、約束! したでしょ?」
「あぁ。確かにしたな」
「……なんの約束したか。言ってよ。守ってよ……!」
「いいだろう」
偽らず誤魔化さずに答えるよう彼に求めた。
彼はそれに応じているように見える。
だけど、彼が肯定を重ねるたびに希咲の胸の中で不審感は膨らんでいく。
そして最後に彼が了承をした瞬間、これまでとの空気の違いに、彼の雰囲気の違いに気が付いた。
弥堂が動き出す。
ゆっくりと、だが一定の歩調で希咲の方へ近付いてくる。
その彼と目が合った。
「――っ⁉」
希咲の身体に緊張が奔った。
反射的に戦闘態勢に入りそうになる。
見た目上は特にいつもと変わらない彼の無表情、色の無い瞳。
だが、この空気感には覚えがあった。
半月前に彼と戦った時と同じものだった。
(――ま、まさか、こんな場所で? こんなに人目があるのに仕掛けてくる気……⁉)
そうさせない為にこんなに人を集めたというのに。
以前に彼と文化講堂で戦った時にも法廷院たちがそこに居た。
だけど――あくまで望莱の推測ではあるが――そんな中でも彼は構わずに希咲を殺しにきた。
そのことを忘れていたわけではない。
だけど、ここではあまりに目撃者が多すぎる。
いくらなんでも、この人数の前ではそんなことは出来ないと考えていた。
だけどそんなことは関係なく、こんな場所で凶行に及んでも全く構わないと言うのだろうか。
(こいつ……、そこまでイカレてんの……⁉)
弥堂が希咲へと近づいていく様子を、一般の生徒たちはどこか期待混じりに見守っている。希咲が感じている危機感は他の者には全く伝わっていない。
裏腹に希咲には混乱と緊張が膨らんでいく。
だが――
(――上等よ……っ!)
彼女も瞬時に切り替え、覚悟を決めた。
元々“それ込み”で彼の前に立ったのだ。
キッと、自分に近づいてくる弥堂を睨みつける。
いつでも全力の戦闘状態に入れるように準備をした。
だけど――
(あたしからは仕掛けられない……)
それをやってしまったらここまでの全てが台無しになる。
だから腹を括る。
(しょうがないから、先手は譲ったげる……!)
先に手を出させて、相手の戦意が確定してからこちらも全力で対応することに決めた。
(“緊急回避”を使えば、最初の一撃はどうにでもなる……)
そうして二撃目をくらう前に、反撃で彼を無力化する。
それを狙うことにした。
もしも弥堂がそれで逃げるようなら、その時は逃がしてやることにする。
一般人に被害を出さないように。
(その時は……)
後で彼の行方を追えるように最低限の手は打つつもりだ。
それをする為には、戦闘になるのは逆に好都合かもしれない。
(でも――)
もしも彼が周りなど関係なしに、ここで決着をつけるまで戦いを挑んできたら?
(そうなったら、こっちも形振り構わずやらないと他の子たちを守れないか……)
そうなったら周囲を守りながらあの“ちびっこメイド”たちが来るまでの時間を稼がねばならない。
それはあまり望ましくはないが――
(――でも、もう……、それでも構わない……っ!)
これ以上親友の居場所までの遠回りなど御免だと、希咲は心を決めた。
そして弥堂が希咲の前に辿り着く。
腕の長さのさらに半分――お互いに十分に間合いの内だ。
弥堂は無言で希咲の顔を視下ろし、希咲も目を逸らさずに見上げる。
弥堂の瞳の奥で蒼銀の光が微かにゆらめき、希咲の瞳は虹を内包するかのように煌めいた。
間近で見つめ合ったままで無言の二人に、周囲には違った緊張が拡がる。
(来るなら、こい――っ!)
希咲のその意思が伝わったのか、弥堂が先に動く。
素早い動きではない。
先程の歩行と然程変わらぬスピードで、さらに希咲へと近寄り手を伸ばしてくる。
その姿が希咲の目にははっきりと映る。
先に手を出せない希咲は初撃を受ける覚悟で、全身に力を解き放つタイミングを測る。
超至近距離での強打と、消える動き。
自身の把握する弥堂の攻撃手段を頭に浮かべ、弥堂の手がついに希咲に触れる――
――その僅かに寸前。
今思い浮かべて想定していたこととは全く別のイメージが希咲の脳裡に過る。
こんなこと前にもあったような――そんなイメージが。
「え――」
想定していた相手の行動――
そのどれとも違う、予想だにしなかった弥堂の行動によって、希咲の意識に一瞬の隙間ができ、彼女の頭と視界は真っ白になった。
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