2章10 『ドロドロのミスゲート!』 ⑦
静かに最前線へと立った西野に、希咲は怪訝な目を向けた。
この西野という男は法廷院率いる『
希咲の認識ではそうなっている。
だが、彼は他のメンバーと同じくただ迷惑なだけで、特に戦闘能力があるわけでもない。
そんな彼に一体何が出来るというのか――と、そこまで考えたところで、そういえば今は物理的な戦いをしているわけじゃなく、『短パンがどうとか』という意味のわからない言い争いをしているのだと思い出した。
どうしてこんなことをしているんだろうという情けなさで萎れてしまいそうになる心をギリギリのところで繋ぎ止め、希咲は西野を慎重に見た。
すると、希咲の方を見るという風でもなく佇んでいた西野は急にフッと遠い目になり、どこという場所でもない宙空へ目を向けた。
「…………」
そういえば前回モメた時もこいつらはこうだったと思い出し、希咲はイライラしながら彼の発言を待つ。
「……祖父が――」
「え……?」
すると、ポツリと漏らすように西野が口を開く。
「――祖父が以前に言っていたんです……」
「……?」
希咲は怪訝な顔になる。
彼の祖父と、学園の体操服の短パンに一体どんな関連性があるというのだろうか。
まるで二度とは戻らぬ思い出の話をするような表情で西野は続ける。
「小学校の3年生か4年生の頃だったかな……。その時の年末に父の実家で家族で過ごそうということになり、みんなで祖父の家に行ったんです……」
「はぁ……」
「紅白をみんなで観たんです。その時に祖父が言っていたことをふと思い出しました……」
「…………」
「…………」
そう言ったっきり西野は口を閉ざし、また遠くを見つめたまま佇む。
希咲はチラリと横へ目線を動かした。
そこでは完全に他人事のような姿勢で弥堂もどこか宙空をボーっと見ている。
「……っ! えっと……、それで?」
希咲はさらにイライラしながら西野に相槌を打ってあげた。
西野は満足そうにメガネをクイっとする。
「祖父は……、いえ、おじいちゃんは寡黙で厳しい人で……。当時の僕は少し怖いと思っていました。いつもムスっとしたままテレビの前に座って、何も言わず、動かない。行儀の悪いことを僕がしたら怒られる。当時僕がおじいちゃんに持っていた印象はそれだけでした……」
「はぁ……」
生返事しか出てこない。
だが、『おじいちゃん』と言い直したところから、その後の口ぶりとは裏腹に彼はそのおじいちゃんのことが好きなんだろうなと希咲は思った。
「そんなおじいちゃんと一緒に紅白を観ていた時です。おじいちゃんがふと席を立ちました。いつもだったらみんなが部屋に戻っていくまで決して動かないおじいちゃんが。その時の出番は当時人気の女性アイドルグループだったので、おじいちゃんは彼女らの曲を知らないから席を外したのかなと思いました。今の内にトイレに行っておこうとか。ですが、その後もトイレにしては長い時間が経っても戻ってこない。僕は子供心に変だなと思って、おじいちゃんを探しに行きました……」
「うん、それで?」
おじいちゃんはどうしちゃったんだろうと、七海ちゃんは若干興味を示した。
「おじいちゃんは庭に居ました。一人で。今、僕がここでこうしているように、どこか遠いいつかを映すように、夜空を見つめていました」
「ふんふん、それで?」
西野は寂しそうにフッと笑い、メガネをクイっとする。
「僕は追いかけてきたはいいものの、声をかけることが出来ませんでした」
「コワイって言ってたもんね」
「はい。どうすることも出来ずに、そんなおじいちゃんの後ろ姿を黙って見ていました。そうしたら、僕に気付いていたのでしょう。ふと、おじいちゃんが言葉を漏らしました……」
「へぇ。なんて?」
「……ただ一言、『すまない』と――」
「え――」
一体どういうことなのだろうと七海ちゃんは話に引き込まれる。
ギャラリーの皆さんも私語をやめて、西野の答えを待った。
「そうですよね。そう疑問を持ちますよね。当時の僕もそうでした。いきなり謝られても何のことやら。それに、多分おじいちゃんの口から謝罪の言葉を聞いたのもそれが初めてで……、もしかしたら最初で最後だったかもしれません……」
「そ、そうなんだ……、それでおじいちゃんは何で……?」
「はい。おじいちゃんは戸惑う僕の顔を見て苦笑いをすると、続けてこう言いました。『ワシらは敗けた』と。そして『ワシらが敗けたせいで、今の日本はこうなってしまっている』と――」
「まけた……?」
そう聞くと自然とイメージしてしまうものがある。
希咲はその言葉を口にすることを一度躊躇う。
だが、結局聞くことにした。
露骨にならぬよう唇を少し湿らせ、慎重に発音する。
「……もしかして、戦争のこと?」
西野は苦笑いを浮かべた。
「いえ、すみません。誤解をさせるような言い方をしてしまって」
「あ、そうなんだ……」
「先の大戦のことではありません。ですが、ある意味そうでもあるかもしれません。現在水面下で起こっていると囁かれている超限戦争……。もしかしたら祖父の時代から既に始まっていたのかもしれません……」
「えっ……」
思い浮かべていたことではなかった。
だが、西野の慎重な口ぶりからこれは決して女子の体操服の短パンについての話なのではなく、思いの外真面目な話なのかもしれないと感じる。
誰しもが自然と姿勢を正した。
西野は一言一句を懐かしみながら大事に発音する。
「先程も言いましたが、おじいちゃんは寡黙で厳しい人で、叱られこそすれ謝られたことなどありませんでした。そのおじいちゃんが言いました……」
「…………」
「ワシらの若い頃、と言ってもお前の父ちゃんくらいの歳の頃じゃがなぁ……」
そこから先はおじいちゃんのモノマネで語られるようだ。
しかし誰も西野くんのおじいちゃんを知らないので、それが似ているのかどうかは判断が出来ず、気まずそうにお互いに顔色を窺いあった。
「ワシが全盛期じゃった頃、その時はオープンでノーガードじゃったんじゃあ」
「はぁ?」
希咲は本当にこんな“おじいちゃん口調”で喋るおじいちゃんを見たことがなかったので、彼女は既に若干懐疑的だ。
そこに二つも横文字の単語が出てきたことで、つい口調に棘が入る。
「ワシらの若い頃はのぉ、スカートがオープンしたらちゃあんとパンツがオープンされていたのじゃあ~」
「はっ⁉」
そして案の定話の展開がぶっ飛んだことで、七海ちゃんはビックリしてしまう。
「つまりのぅ、七海や。ワシらの世代に、スカートの下に短パンなどという文化はなかったのじゃあ~」
「誰があんたの孫か! 勝手にあたしの祖父ぶるな、クソジジイ!」
どさくさに紛れて名前呼びしてきた偽おじいちゃんをガーっと怒鳴りつける。
そして、やっぱりこいつらの話なんて真面目に聞くんじゃなかったと後悔した。
「つまり、おじいちゃんが僕に伝えたかったのは――」
心中で希咲の“ライン”を測った西野は口調を戻した。
「つか、今更だけどさー」
「ん? 俺か?」
だが、希咲はもう彼の話を聞くのはやめて、アームガードで右手を吊るしている高杉に話しかけた。
「あんたその腕どしたの? 昨日から気になってたけど聞きそびれちゃって」
「あぁ、これか。なに、大したことではない。ちょっと戦いでな……」
どう見ても骨折に見えてしまう高杉の腕の怪我が気になっていたのだ。
「――かつて、古の時代のテレビでは、純粋なパンチラがお茶の間に普通に提供されていたそうです……」
「なによ戦いって。まさか、あいつと……?」
「いや、弥堂ではない。それはまだ、その時ではない。別件でな、鉄板をぶっ叩いたら罅が入ってしまったのだ」
「それが我々の父の代ではパンチラは不適切という風潮が出来始め、段々とスパッツやアンスコ等で隠すようになっていき……」
「鉄板って……。てゆーかさ、あんたまだ弥堂にケンカ売る気? やめといた方がいいわよ。や、あんたを下に見てるとか、そういうイミじゃなくってさ……」
「その時がくれば、ただ拳を握るのみ」
「そんな時代が続いた先にあるのが今の僕たちの時代です。僕たちの子供の頃から、最早それが当たり前とされてきました……」
「…………」
「…………」
「そう、その時おじいちゃんの家で見た紅白のアイドルたちも当然短パンをスカートの下に着用していました……って、聞いていますか?」
「……聞いてないわよ」
希咲は嫌々返事をする。
しかし、「聞いてない」とは言ったものの、口数の少ない高杉くんとの会話は早々に終わってしまい、聞かざるをえなくなってしまった。
せめてもの反抗として、希咲はジトっとした目で西野を見た。
「つーかさ、なに? まさかスカートの下に短パン穿くのやめろとか言うつもり? なんであんたなんかにそんなこと言われなきゃなんないわけ?」
全女子もコクコクと頷きながら希咲に同意の声援を送る。
だが、西野くんは静かに頭を振った。
「いいえ。そんな次元の低い話をするつもりはありません」
そして冷静に女子たちからの非難を否定する。
内心でこっそりと彼を応援していた男子たちは「え⁉ ちがうの⁉」とたまげた。
「僕が主張したいのはむしろその逆――」
「逆……?」
西野の真意が読めずに希咲は怪訝な目で見る。
「いいですか? 僕たちの子供の頃には、アイドルたちのスカートの下にはスパッツやアンスコが当たり前だと、そう言いました……」
「きもい」
真顔で女子のスカートの中に関して言及する男に、希咲は忌憚のない意見をぶつけた。
「しかし今では、それすらもセンシティブであるとする動きが活発となり、パッと見でハッキリと短パン――というよりも半ズボンであるとわかるものの着用が推奨されています……」
「うん。きもい」
それっぽい口調で言われてもそれ以外の感想はなかった。
「少し極端な言い方をします。これではもはや、スカートの下に短パンを穿いているのではなく、半ズボンの上に腰巻を着けていると同義です」
「要するにそれが気に食わないってことでしょ? きもいんだけど」
「いえ、それについて思うことは当然ありますが、ここでは言及しません。僕が言いたいのは『見せろ』ということではないのです。むしろ、その逆――『隠せ』と言っているのです」
「はい……?」
相手の言わんとしていることが余計にわからなくなり、希咲はキョトンとしてしまう。
しかし対照的に、西野くんはクワッと目を見開く。
そしてここまで冷静に穏やかに弁論をしてきた彼は一気に声高に、かつ早口になった。
「いいですか⁉ ガッチリとズボンでガードが当たり前だと僕らはずっと刷り込まれてきたんですよ⁉ 何が何でも見せるものかと生まれてからずっと僕たちは拒絶されてきたんだ! そんな僕たちにとって! 隠すのが当然、見せてはいけないとされるスパッツやアンスコはもはやパンツなんですよ……っ!」
「はぁ……⁉」
突然ものすごい勢いで心の裡を赤裸々にぶちまけられ、希咲はたじろぐ。
「だってそうでしょう⁉ 短パンはパンツです!」
「短パンは短パンだバカやろうっ!」
ここで勢いに負けてはいけないと、希咲も果敢に怒鳴り返した。
しかし西野くんの舌はさらに加速した。
「それは過言だったとしても……! 下に着て見せないもの。見せてはいけないもの……! ならばそれは下着でしょう! つまりパンツ! スパッツもアンスコも見せちゃダメ! 見てはダメ! そう言われて育った僕たちが反応しちゃうのはもはや必然! だってパンツですから! 違いますかっ⁉」
「ちが……、え? えっと……? んと……、どうなの……?」
希咲が問いかけた相手は西野くんではない。
彼の勢いと血走った目が怖かったので思わず目を逸らしてしまい、ちょうど目を逸らした先に居た弥堂に聞いてみた。
「あ? なにがだ?」
「だから、パンツなの?」
当然話を聞いていなかった弥堂はよくわかっていない。
その彼に希咲が端的な質問を投げかけると、彼は一応目線を上げて少し考えてくれた。
だが、少しだけだ。
適当に考えてから弥堂はコクリと頷く。
「パンツだ」
「ほら見たことですか!」
「なんで同意すんのよっ!」
弥堂の同調に西野は俄然勢いづく。
周囲の男子たちからも「おぉ……っ!」と歓声が上がった。
今日は最初から弥堂は敵だったのだが、希咲は何となく裏切られた気分になる。
このクズ男は当にならないと果敢に性欲に塗れた男どもに挑んだ。
「だからってなんなの⁉ あたしたちがスカートの下に何着たって、あんたたち男に関係ないでしょ!」
希咲の反論に女子たちは消極的に同意する。
正論ではあると思うのだが、今なんの話をしているのか着いていけなくなった者が多かったために波に乗り切れなかったのだ。
「関係ならありますよ! 僕たち男子に『見るな』『気にするな』『態度に出すな』と配慮を要求するのなら……! あなた方女子にも、僕たち男子への配慮をして頂きたい……!」
「は、はいりょ……?」
セクハラをしているくせに強気に出てくる男どもに、希咲も段々何の話をしているのかわからなくなってきた。
「見せないで下さい! 隠して下さい! なんならもうジャージ穿いとけよぉ……っ! それくらいの努力は女子もするべきだ……っ!」
「ジャ、ジャージとか可愛くないじゃんっ! 指図すんな……!」
「だったら! 見えちゃった時は少しくらい反応したって見逃してくださいよ! だってそれはパンツなんだもの……!」
「パンツじゃないって何度も言ってんでしょ⁉ 短パン!」
「こちらにだって何度も言わせないでください! こうやって育ってきた僕らにとっては体育の短パンもパンツなんです! 社会が僕たちをこうした! 僕たちには、女子はパンツで体育をしているようにしか見えないんですよおぉぉ……っ!」
「ななななな……っ⁉」
「おまけに! スカートの下にあったら余計にパンツです! パンツでしょう⁉ しかも、あろうかことか……『たくし上げ』ですって……? そんなのエッチすぎますよおぉぉぉっ!」
「そうだ! エッチだぁ!」
「パンツだぁっ!」
西野のシャウトに男子たちも吠えた。
次々に拳を振り上げて「エッチだ」「パンツだ」と同調する。
男たちのその魂の咆哮がキモすぎて、希咲はゴーンっと白目になった。
あまりに正々堂々とした彼らの性癖の吐露に、他の女子たちも若干不安になってくる。
学年トップの成績を誇る才媛である舞鶴でさえも難しい顔になっていた。
「ど、どうなのかしら、それ……? 確かにウチの学園の短パンって面積的には下着とそこまで変わらないかもしれないけれど……」
「いや、うぅーーん……? 気持ちはわからなくも……ない……? でもキモいなぁ……」
「なんだか、ののか急に恥ずくなってきたんだよ……。体操服だからオッケーとはもう言えないかも。普通にハミケツすっしな」
「ハーフパンツとかで体育したいよね」
彼女たちもいまいち上手い反論が浮かばないようだ。
だが、反論しづらいだけで間違いなくキモイという気持ちはあった。
男子たちが優勢となったが、この西野という男はここで止まるような男ではなかった。
さらに持論を展開していく。
「ここまでは全男子の代弁です。そしてっ! ここからはこの僕個人の想いです……っ!」
「な、なによ……っ」
全く聞きたくなかったが、希咲は勢いに負けてしまう。
そんな彼女へ向かって、西野は視線にキッと強い非難をこめた。
「希咲さん! あなたは自覚が足りません! アイドルとしての……っ!」
「は、はぁ……?」
素っ頓狂な声を出す希咲に、西野はビシッと指を突きつけた。
「どこの世界に自分からスカートを捲ってオーディエンスに披露するアイドルが居ると言うんです……⁉ そんな過激なファンサは不謹慎ですよ! 不適切です! レーティングだって変わるし、活動場所だって地下に潜ることになってしまう……! もっと高い意識を持って活動をして下さい! そうだろ? 本田ぁ!」
「う、うん……! 希咲さんならメジャーを目指せると思う! もっと大きなステージに僕らを連れて行ってよ……! 僕たちはそれをずっと応援したい!」
そして本田も巻き込み、口々に勝手なことを言った。
「ねぇーっ! あんたたちこないだもアイドルとか言ってたけど、まさかそれガチなの……⁉ マジでキショいんだけど……っ⁉」
希咲がガチめの拒絶をするが、限界化したオタクたちは怯まなかった。
「とにかく謝ってください! コンプライアンスに反したことに関しての謝罪を……!」
「なんであたしが謝るのよ⁉」
「希咲さん。こういう時は早めに謝っちゃった方がいいよぉ……。その方が炎上もそれほど大きくならないと思うし……」
「一個も炎上してないでしょ⁉」
西野と本田が順番に謝罪を勧めてくるが、まるで意味がわからない希咲には受け入れられない。当たり前だが。
「あなたが軽率に『たくし上げ』なんかしたことで被害者が大勢出ました」
「被害者はあたしでしょ⁉」
「いいえ。その証拠に、あなたのしたことで、ここに居る男子全員がセンシティブになってしまったんです。見て下さい、彼を――」
そこで西野は野次馬の中の一人の男子生徒を指差す。
思わず視線が釣られてしまうと、そこには正座中の小鳥遊くんだ。
小鳥遊くんは未だに不自然に正座を続けており、やはり凪いだ目で舞い散る桜の花びらを眺めていた。
「うわ、きも……」
そんな彼の様子に、希咲は思わず正直な気持ちが出てしまう。
すると、小鳥遊くんの両サイドに若干前かがみで立つ鮫島くんと須藤くんが真剣な顔で応える。
友の代わりに。
「希咲。謝ってやってくれ」
「そうだぜ。お前のせいでこいつ、こんなになっちまって……」
「なにがっ⁉」
意味がわからないので希咲は反射的に聞いてしまう。
だが彼らは何も答えず、ただ沈痛そうな面持ちで正座中の完全体小鳥遊くんの肩に手を置いた。
思わず頭を抱えたくなるような状況だが、希咲はどこかこの流れに既視感を覚え始めた。
「さぁ希咲さん。どうか誠意ある謝罪を――うっ⁉ ごふっ……! がふがふっ……!」
「に、西野くん……⁉」
さらに希咲を責め立てようとした西野だったが、言葉の途中で突然咽てしまう。
口元に手を遣って咳き込む彼に、本田が心配そうに駆け寄った。
地面に跪き身体をよろめかせる西野は本田に支えられると、何かを悟ったような目で口元を抑えていた自身の手を見下ろした。
もちろんその掌に血など付いてはいない。
「先輩……っ⁉」
自分たちの代わりに、公に口にすることは憚られるようなことを主張してくれていた西野の急変に鮫島くんたちも心配そうな声をあげる。
西野はゆっくりと手を伸ばし、こちらへ駆け出しそうになっている彼らを制した。
君たちは正座中の友についていてあげてくれとばかりに。
「……僕のことはいい。もう、いいんだ……」
「せ、先輩? どうしたってんだよ……」
「ふっ……、どうやら僕はもうここまでのようだ……」
「えっ⁉」
西野は本田に体重を預け、彼の腕の中で横たわる。
その表情は自らの死期を悟った男のものだった。
「僕のことはもういいんだよ……。僕は真実を口にした……、してしまった……! こんなに女子の多い場所で……!」
男子たちは皆ハッとする。
その意味を理解してしまったのだ。
「僕は明るみにした……! 真実と共に性癖を……っ! 僕はもう終わりだ……、今日、社会的に死んだ……っ! ゴホゴホっ……」
「西野くんもう喋っちゃダメだ……!」
わざとらしく咳き込んだ西野はまた口元を押さえる。
本田に抱きしめられながら自身の手を見て「フッ」と笑う。
もちろん吐血などしていない。
自分はもう終わりだと叫んだ男を、男たちは静かに見守った。
誰もがその最期を察してしまった。
何故なら、女子へ向かって「キミたちの体操服を下着だと思って見ている」と明言した男に対する女子たちの視線は、確かに冷たいものだったからだ。
だが、西野には後悔も未練もなかった。
残された時間で後輩たちに何かを遺そうとする。
彼の祖父がそうしてくれたように。
ちなみに彼の祖父はまだ元気にご存命だ。
「僕は死ぬ……、だけどキミたちは学んでくれたと思う……。その学びこそが僕の生命がキミたちに遺せたものだ……。この僕の死をもって教訓とし……、そしてきっと次の時代こそは……うっ⁉ ひゅぅー、ひゅぅー」
西野が容態が急変した風に喉をヒューヒュー鳴らすと、男子たちは感極まった。
「せ、せんぱい……、いや、教授っ! 教授ぅー!」
「死なないでくれ! 教授ぅーっ!」
「俺たちにはまだ貴方の教えが必要なんだ……っ!」
「まだ学び足りないよ……! 置いて行かないで下さい、教授っ!」
まるで長年世話になった恩師を看取るかのように、涙ながらに叫ぶ。
彼らは初対面だ。
すると、もう時間が幾ばくも残されていない風の西野の元に近寄る者が。
車椅子から降りて、静かに歩く法廷院だ。
「あっ……、あぁ……っ!」
今際の際に最期に目にした自らの王の姿へ、西野は覚束ない手を伸ばす。
法廷院はその手を握りしめた。
「西野君……」
「……だ、だいひょ……」
もう喋ることすら儘ならない風の同士へ法廷院は優しい目を向ける。
法廷院はスパッツもアンスコも絶対に許さない系の宗派だったが、一人の男として西野の生き様を認めた。
「ぼく、は……、お役にたてる、ことが……」
「十分だよ。西野君……。今日までとてもよく、働いてくれた……」
「あぁ……っ、あぁっ……!」
「見事だった。キミの『弱さ』、このボクが確かに見届けたよ……っ」
「……だいひょ、う……、ぼくは……、あなたを……っ、がくっ!」
最期まで言葉にすることは出来ず、西野くんは「がくっ」と言ってガクっとなった。
「「西野くぅーーーんっ!」」
法廷院と本田は涙を流し、彼の亡骸を抱きしめると「おーいおい」と男泣きに泣いた。
彼らに釣られて他の男子たちも泣き始める。
「…………」
希咲は言葉もなく、ただ男たちの嗚咽をしばらく聴いていた。
軽蔑の眼差しのまま。
やがて、彼らの泣き声も収まってくると、辺りは一瞬シィンと静まった。
そして――
「――あ、あやまれ……」
「……そ、そうだ……っ」
「……え?」
ポツリ、ポツリと男子たちからそんな声が漏れ出す。
それらの声は段々と数と音量を上げ、その全てが希咲へと向けられた。
なにか憶えのある展開に七海ちゃんはビックリ仰天した。
「なんであたしがあんたたちに謝るのよ⁉ むしろ、ワケわかんない茶番に付き合わせたことを謝んなさいよ……っ!」
希咲は勢いで負けてはいけないと自らを奮い立たせる。
だが、彼らは強い意思で静かに首を振った。
「俺たちには謝らなくてもいい……」
「だが……、せめて教授には……っ」
「このままじゃ教授が浮かばれねえぜ……っ!」
「死んでるわけないでしょ⁉」
至極当たり前のことを主張するが、盛り上がってしまった彼らの正気には届かない。
そして、盛り上がってしまっているのは彼ら男子だけではなかった。
「――七海……? あやまろ……?」
「真帆っ⁉」
まさかの日下部さんからのバックアタックにショックを受ける。
「おぉぅ……、マホマホが引っ張られちゃってるんだよ……」
早乙女が言うとおり、日下部さんは雰囲気に流されていた。
そして、そうなってしまっている女子は彼女だけではなかった。
他の女子たちの中にも、『あやまろ?派』はいくらか存在した。
さらに、そうではない女子たちも雰囲気的に強くは言い出せない。
その為、この流れを止められる者は居なく、謝れコールが希咲に襲いかかった。
到底納得など出来なかった。
自分は絶対に悪くなんてない。
心の底からそう言える。
だが同時にわかってもいる。
誰もわかってなどくれないし、自分が“そう”しないと終わらないことを。
一度経験している。
だから初めての時ほど動揺はない。
だけど、同様に経験してしまっている。
屈することも。
だから、初めての時ほど、身体も心も“それ”を躊躇ってはくれなかった。
「――す、すかーとめくって……、ごめん、なさい……っ」
七海ちゃんはまたよくわからないことで謝らされてしまった。
彼女が悔しげに口にしたその謝罪に人々はさらに盛り上がった。
それ以上誰も希咲を責めたりはしなかった。
だが、やはり彼女は納得がいかなかった。
理不尽さに堪えるように希咲は手をギュッと握る。
その手は震えていた。
やがて歓声も鳴り止み、人々は正気を取り戻していく。
みながほっこりとした顔で希咲の謝罪を受け入れたのだ。
プルプルと震える希咲の目にふと彼らの姿が映る。
地面に座り込んでいた『
大袈裟に死を演出した西野も何もなかったかのように真顔でスッと立ち上がる。
彼は普通に地面を歩いて法廷院の車椅子の後ろへ立ち、メガネをクイっとさせた。
七海ちゃんはぶちギレた。
堪え切れずに大声で叫ぶ。
「ねぇーーっ! なんでこうなんの⁉」
「なんで俺にキレんだよ」
突然キレられた弥堂は迷惑そうにした。
希咲にもその理由はよくわからない。
彼だけが唯一今しがたの茶番に参加していなかったし、何故か一番言いやすかったのだ。
なので彼に八つ当たりをする。
「なんであたしが謝るの⁉ イミわかんないんだけどっ!」
「自業自得だろ。痴女め」
「痴女じゃないし! 絶対あんたのせい!」
「なんでもかんでも俺のせいにするな」
今回に限っては弥堂の主張は正しかったが、頭に血が上った彼女は納得しない。
段々と弥堂もイライラしてきて言葉を強めていった。
「そもそも、あいつらがお前のスカートの中身に並々ならぬ興味を示すのは、そこにお前のパンツがあるからだ。つまり、やっぱりお前のパンツが悪い」
「あたしのパンツパンツゆーなっ! へんたいっ!」
「変態はあいつらと、自分でスカートを捲ったお前だ」
「うるさぁーーいっ!」
ギャンギャンと下らない言い合いを始める。
言葉汚く罵り合いながら、しかし二人共に心の裏側の冷静ば部分ではわかっていた。
同じことを感じていた。
どうにもならなくなった挙句にこうして怒鳴り合うのも、なんか覚えのあるパターンだなと。
わかっていながらしかし、二人ともそれを止める気にはならなかった。
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